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夢のはざま

鏡女王の物語【水鏡】連載中です。

 コーツウェルの宮殿は静かな夜を迎えた。 今夜は宴もなく、楽士がいたずらに奏でる調べに警護の兵も微睡みかけていた。
 と、楽士の琴音がぴたりと止んだ。
「静かに眠って貰おう」
 呟く声の背後には、すでに庭を守る兵士が三、四人倒れている。
 黒っぽい装束に身を固め、顔を異国風に覆った数人の者が宮中に忍び込んでいた。
「ティスナとキアヌは宮の奥だ。 間取りは頭に入っているな」
 残りの者が頷く。
「撤収は笛の合図だ」
 打ち合わせ通りに男達が動く。 失敗は許されない。 その中のエドアルドもキアヌの部屋を目指して走った。
 
 ラティアはティスナの部屋に向かっていた。 部屋の外が騒がしいと見に行った同室の侍女たちが血相を変えてまた部屋の中に飛び込んできたのだ。 何事と質すのにも青ざめたり興奮していたりで要領を得ない。 それでもなんとか事態を把握したところで、ラティアは部屋を飛び出していたのだ。
 賊が進入した。
 とっさに浮かぶのはキアヌが池に落とされそうになった事。 そして先日のティスナの裁断だった。 ただの物盗りかもしれないが、それでもティスナの無事を確かめたかった。
 頭の中にちらりと女の声が蘇った。
「機会があれば、ここから出るように」
 あの後何度も繰り返し考えてきた。 しかし今ここを出る訳にはいかないと忘れようとした。 侍女達のいたずらかもしれなかったし、キアヌの事も心配だった。 なによりティスナの予見したように、エドアルドが来るかも知れないと思ったからでもあった。 いや、それよりもまだここに居るべき何かを感じているのか。 とにかく今はその機会の真っ直中にいるが、やはりティスナを見届けてから考えたかった。
 ティスナやキアヌの室は人もなく、静かだった。 宮中の別の所で騒がしい音が聞こえる。 ラティアはほっと胸をなで下ろして歩調を緩めた。 警備のものは騒がしい方へと皆向かったのか、宮中のものも部屋に閉じこもり鍵をかけているのか、ラティアが歩む先にも後にも誰もいないのが不安もあった。 これなら逃げ出せるかもしれないと、ふと頭をよぎった。 
 と、その時、ラティアは柱の影にちらりと小さい背中を見かけた。
「王子…?」
 戻って姿を確かめる。 広い廊下には何本もの独立した装飾柱がたっている。 その一本の柱のそばにキアヌがいた。
 こんなに宮中が騒がしいというのに、誰もキアヌについていない。 賊の狙いが本当に金品だとしても、この騒ぎに乗じてまた誰が手を出すかわからないではないか。 ひとりでいるキアヌにも腹がたったが、とにかく一緒に部屋へ連れようとラティアはキアヌへと一歩踏みだした。
「王子」
 声をかけたが、それには答えずキアヌは一点を見つめている。 柱の影になった方向へ角度を変えながら視線をたどると、顔と髪を布で覆い、大剣を振り上げている男がいた。
「つっ立ってないで早く逃げるのよ!」
 思わず叫んでいた。 男は一瞬怯んだようだった。 ラティアはキアヌに走り寄り、手を掴んで強く引っ張った。
「…ラティア か?」
 くぐもった声はキアヌのものではなかった。 ラティアは声の主を見た。 布の間からのぞく緑の瞳。
 布を少し引き下げて、男は顔を出した。
「エ…」
 キアヌの前でエドアルドの名は呼べなかった。 しかし、こみ上げてくるものを押さえる事は出来なかった。
 会えた。 また会う事が出来た。 自分の名を呼んでくれた。 もうそれで充分だと思った。 が、なぜ。
「この子はただの子供だわ。 殺してどうするの」
「それがすべての元凶だ」
 剣を構え直すエドアルド。 
「ちがう。 この子に罪はない! あなたの狙いはティスナ妃じゃなかったの?」
「ティスナを切ってもそいつがいれば同じ事が繰り返される。 そこをどけっ、ラティア!」
 ラティアはキアヌを自分の後ろへ追いやった。 キアヌは呆然と事の成り行きを見ている。 小さな肩が震えていた。
「いいえどかない。 あなたは間違っている。 昔、取るに足らない貧しいあたしを助けてくれたじゃない。 そのあなたが今度は子供を切るの? そんなことをしたら、あなたはあなたじゃなくなってしまう」
「ラティア、どくんだ。 これしか道はない!」
「運命は変えられるって言ったじゃないっ」
 エドアルドの動きが止まった。
「あなたが言ったのよ、あたしに。 人は幸せになるために生まれて来るんだと。 この子だって幸せになる権利はある。 この子を殺して、あなたは幸せになれるの?」
 エドアルドはラティアを見つめた。 体が動かなかった。 額の汗だけが流れ落ちる。
「だったらあたしも殺して。 昔助けて貰った命を、今この場であなたに返すわ」
 キアヌの頭を抱き抱えながら、ラティアはエドアルドに背を向けた。
「いたぞーっ」
「あそこだ!」
 警護兵達の足音が近づいてきた。 エドアルドは苦い表情の後、踵を返して走り去っていった。
「うっ…」
 ラティアはキアヌを抱いたまま、声を押し殺して泣いた。 エドアルドは無事に逃げられるだろうか。 キアヌを殺させていれば、もっと早くここから立ち去れたものを。 キアヌの命よりエドアルドの方が大事だ。 しかしそれより理想の方が大事だったのではないか。 自分は利己主義だとラティアは思った。 あの時のエドアルドの面影を残したくて、変わったかもしれないエドアルドを受け入れたくはなかったような気がして、ラティアは泣いた。
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