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夢のはざま

鏡女王の物語【水鏡】連載中です。

 庭の野バラが咲いた。 北の気候では遅咲きの野バラが一斉に花開く。
 アリアは庭用ナイフを手に、もう片方の手で野バラの花を撫でた。
「つ…」
 小さな刺に指をあてたらしい。 指先を押すと赤い点が膨らんでいった。
「見事に咲いたな」
 背後の声に振り返る。 めずらしくラースローが庭におりていた。 朝日がまだ登りきっていないしらみかけた空に目を細めている。
「おはようございます」
「刺をさしたのか」
「あ、ええ」
 あわてて指先の血を嘗める。
「見せてみろ」
 朝の庭で姿を見るよりももっと驚く言葉だった。
「大した事はありません」
 アリアがそう言って手を隠すと、ラースローは眉をしかめ、口端を引き締めていた。
『まずいな、怒らせたかな』
 頬に赤身が走っている。
『?』
 そういえば機嫌が悪いときのラースローは感情のままに怒っていた。 関心が無いときは無表情で冷たく言い放す。 しかしこの状況は今までにないことだった。
「ラースロー様?」
「バラを切ろうとするからだ。 そのままで咲いている方がよっぽど見栄えがするものを」
 言い終わらない内に背を向けて屋敷の方へ歩いていくラースローを、アリアはあぜんと眺めた。
「なにしに来たんだ、あの男は」
 野バラに目を戻す。うすピンクと黄色い花びらが朝日にきらめく波のようだ。 思わず見とれて、花を切るのがためらわれて、手を伸ばして花を撫でていたのだ。 この花はここに咲いているのがいい。 屋敷の中の豪華な花瓶に生けられるよりずっと。 同じような事をあの男は言った。 アリアは指先にチクリとした痛みを覚えた。
 昨日のオレアルの用件は分からなかった。 馬を走らせて、丘陵地帯の草原に腰を下ろし、お茶を注いだときも、ラースローから何の反応も見られなかった。
 それにしても、よくあの男が自分の提案を受け入れたものだ。 宮廷以外は滅多に外に出ないラースローが昼間、しかも馬に乗って黙って走らせた。
 穏やかな午後だった。 口も開かずに空と風を眺めた。 流れる雲が美しい夏の空を描いていた。
 何も聞かなくていい。 今だけは。 そう、今はこの空を眺めよう。
 ラースローの風になびく髪と端正な横顔。 しかし灰味かかった薄茶色の瞳はなぜか闇を連想させた。
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