翌朝、何頭かつれて丘を走らせて、厩に戻って世話をする。 あの葦毛の馬も居た。
「昨日はまさかおまえがあのときの馬とは思わなかったよ」
葦毛はアリアに鼻面をよせる。 自分を覚えているとは思えない。 きっと藁で体をこすられて気持ちがいいのだろう。
台所の隅で朝食をとる。 熱いお牛乳を飲むと眠気がおそい、あくびがもれた。
口を閉じるか閉じない時に、ガシャンと音がして、一気に目が覚めた。 同時に響く怒鳴り声。 ラースローの声だ。 台所の女たちは肩をすくめただけで自分達の手を止めようとしない。
しばらくすると、若い給仕がお盆に砕けた食器を乗せて、台所に入ってきた。
「またかい?」
年輩の女が聞く。
「また、さ。 まったくいいかげんにしてほしいね、毎回毎回」
乱暴に屑篭に食器を投げ込む。 ちらりと見ただけだが、投げ捨てられた食器はかなり高価そうな代物だとアリアは推測する。
「何があったんだ?」
アリアが聞くと、女たちは背中を向けたまま言った。
「いつもの発作さ」
アリアは牛乳を飲み干して食堂へ向かった。 発作ならばほっとけない。
ダイニングのテーブルには朝食とおぼしきものが散乱していた。 座ったままのラースローが憮然とした表情で窓の外を見ている。
「具合でも悪いんですか」
近づいて声をかける。 返事はない。
「発作だって聞いたから」
ジロリと横目でアリアを睨むラースロー。
「だとしたら、おまえに何が出来る」
「馬を走らせて医者を呼んできます。 ああ、それより馬車に乗せていった方が早いかな」
とは言ったが、病気ではないことはラースローの様子を見てわかった。 発作とはヒステリーのことだったのだ。
「何が気に入らないんです? おいしい食事じゃないですか。 もったいないことを」
ラースローの機嫌は最悪の状態のままだ。
「何もかもだ」
ラースローの袖や胸には、スープが飛び跳ねたらしく、濡れていた。
「着替えた方がいいですね。 その間にここを片づけましょう」
いつまでたっても誰かが来る気配がない。
「それはおまえの仕事ではない。 余計な事はするな」
「でも、そうしなければ、いつまでも朝食は食べられませんよ。 だからそんなに痩せているんです」
「朝は食べない!」
残っていた茶器がラースローの腕で払いのけられた。
「ああ、血の脈が低いのですね」
「勝手に決めるな!」
「寝しなに温かいワインを飲むといいですよ。 ぐっすり眠れます。 それから、本もいいけど陽にあたって運動もしたほうがいいでしょう」
「おまえはいつからわたしの主治医になった。 ぐだぐだ言ってないで、さっさと仕事をしろ!」
ラースローは立ち上がって怒鳴りながら部屋を出て行った。
すぐ後に先ほどの給仕が入ってきた。 このタイミングでは、戸の影で自分達の様子を伺っていたにちがいない。
「本気で怒らせたな。 あとでこっちにもとばっちりがくるんだ。勝手なことはするなよ」
給仕はクロスや食器を片付けながらアリアに毒づいた。
「いつもはどうしてるんだ」
「ほとぼりが冷めるまでほっておくんだ」
どうもここの使用人達は、主人に対する尊敬の念がない。 あの性格ならしょうがないが、とアリアは思った。 しかし、ほおっておくからよけいに癇癪をおこすのではないのだろうか。 ラースローの態度は子供と同じだ。 父が教えていた村の子供達にも、そういう子がいたことをアリアは思い出していた。
「おまえは愛想がない大胆にものを言うな。あのラースロー様に向かって」
といった給仕の言葉に、アリアは考える。
『そうだろうか』
たしかに愛想はないと自分でも思う。アリアはもともと口数の少ない子供だった。 あの事件があってからは、殆ど口をきく事はなかった。 家族や子供やオリシスならまだしも、外の大人に向かって必要以上に喋る事は、あの村ではなかったことだ。
タニアに入り、娼館で過ごし、知らずのうちにまわりの人間と打ち解けていた。 オリシスが娼館を選んだのはこのためだったのだろうか。 アリアはあの館をなつかしく思った。 ラティアや女主人はどうしているだろう。 もう二度と会えないかもしれない人たち。
アリアは首を振った。 それはそれ、これはこれだ。 会話が出来なければ、情報を得る事もできないではないか。
書室をノックをして入ると、ラースローはいた。 窓辺に向いて、分厚い本を開いている。
「お茶をお持ちしました」
大きなティテーブルにお盆をおいて、茶の支度を整えた。 ラースローは何も聞こえていないように本から目を離さない。 怒っているというより、本に没頭しているようである。
「そちらまで運びましょうか?」
茶器を椅子のそばのテーブルに移す。
「薬草茶か。 わたしは病人ではない」
「今朝近くの教会から分けてもらいました。 この種類なら屋敷の隅に植えておけば育ちますよ」
アリアはラースローの嫌みを無視する。 薬草茶は地域によって育つ種類が違うが、多くは教会で精神安定剤のような用途で飲まれることが多い。
ラースローは苛立ちながらも黙って置かれた茶器を持ち上げ、そして口元へ運んだ。
「これは、おまえがいれたのか?」
「はい。 …あの、まずいですか? 自己流ですから」
アリアは自分の家でいれていた方法しかしらない。 母がよくいれたお茶のいれかただ。 いつもその方法だったので、それが他人にとっておいしいのかどうかはわからなかった。
ラースローはそれには答えずに飲んだ。 そしてまた本に目を戻す。
「ほかに、何か」
「もういい、下がれ」
お盆をもって出て行こうとする背中に、またラースローが言った。
「知識のないというわりには、けっこう分類ができていたな」
本の整理のことだ。 ほめ言葉ではなかった。 しまったととっさにアリアは思った。 字は読めても、分類まですることはなかったのだ。
『怪しまれただろうか』
「前の屋敷でいろいろと教えてもらいましたから」
しかしそれ以上ラースローは言わなかった。
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葦毛はアリアに鼻面をよせる。 自分を覚えているとは思えない。 きっと藁で体をこすられて気持ちがいいのだろう。
台所の隅で朝食をとる。 熱いお牛乳を飲むと眠気がおそい、あくびがもれた。
口を閉じるか閉じない時に、ガシャンと音がして、一気に目が覚めた。 同時に響く怒鳴り声。 ラースローの声だ。 台所の女たちは肩をすくめただけで自分達の手を止めようとしない。
しばらくすると、若い給仕がお盆に砕けた食器を乗せて、台所に入ってきた。
「またかい?」
年輩の女が聞く。
「また、さ。 まったくいいかげんにしてほしいね、毎回毎回」
乱暴に屑篭に食器を投げ込む。 ちらりと見ただけだが、投げ捨てられた食器はかなり高価そうな代物だとアリアは推測する。
「何があったんだ?」
アリアが聞くと、女たちは背中を向けたまま言った。
「いつもの発作さ」
アリアは牛乳を飲み干して食堂へ向かった。 発作ならばほっとけない。
ダイニングのテーブルには朝食とおぼしきものが散乱していた。 座ったままのラースローが憮然とした表情で窓の外を見ている。
「具合でも悪いんですか」
近づいて声をかける。 返事はない。
「発作だって聞いたから」
ジロリと横目でアリアを睨むラースロー。
「だとしたら、おまえに何が出来る」
「馬を走らせて医者を呼んできます。 ああ、それより馬車に乗せていった方が早いかな」
とは言ったが、病気ではないことはラースローの様子を見てわかった。 発作とはヒステリーのことだったのだ。
「何が気に入らないんです? おいしい食事じゃないですか。 もったいないことを」
ラースローの機嫌は最悪の状態のままだ。
「何もかもだ」
ラースローの袖や胸には、スープが飛び跳ねたらしく、濡れていた。
「着替えた方がいいですね。 その間にここを片づけましょう」
いつまでたっても誰かが来る気配がない。
「それはおまえの仕事ではない。 余計な事はするな」
「でも、そうしなければ、いつまでも朝食は食べられませんよ。 だからそんなに痩せているんです」
「朝は食べない!」
残っていた茶器がラースローの腕で払いのけられた。
「ああ、血の脈が低いのですね」
「勝手に決めるな!」
「寝しなに温かいワインを飲むといいですよ。 ぐっすり眠れます。 それから、本もいいけど陽にあたって運動もしたほうがいいでしょう」
「おまえはいつからわたしの主治医になった。 ぐだぐだ言ってないで、さっさと仕事をしろ!」
ラースローは立ち上がって怒鳴りながら部屋を出て行った。
すぐ後に先ほどの給仕が入ってきた。 このタイミングでは、戸の影で自分達の様子を伺っていたにちがいない。
「本気で怒らせたな。 あとでこっちにもとばっちりがくるんだ。勝手なことはするなよ」
給仕はクロスや食器を片付けながらアリアに毒づいた。
「いつもはどうしてるんだ」
「ほとぼりが冷めるまでほっておくんだ」
どうもここの使用人達は、主人に対する尊敬の念がない。 あの性格ならしょうがないが、とアリアは思った。 しかし、ほおっておくからよけいに癇癪をおこすのではないのだろうか。 ラースローの態度は子供と同じだ。 父が教えていた村の子供達にも、そういう子がいたことをアリアは思い出していた。
「おまえは愛想がない大胆にものを言うな。あのラースロー様に向かって」
といった給仕の言葉に、アリアは考える。
『そうだろうか』
たしかに愛想はないと自分でも思う。アリアはもともと口数の少ない子供だった。 あの事件があってからは、殆ど口をきく事はなかった。 家族や子供やオリシスならまだしも、外の大人に向かって必要以上に喋る事は、あの村ではなかったことだ。
タニアに入り、娼館で過ごし、知らずのうちにまわりの人間と打ち解けていた。 オリシスが娼館を選んだのはこのためだったのだろうか。 アリアはあの館をなつかしく思った。 ラティアや女主人はどうしているだろう。 もう二度と会えないかもしれない人たち。
アリアは首を振った。 それはそれ、これはこれだ。 会話が出来なければ、情報を得る事もできないではないか。
書室をノックをして入ると、ラースローはいた。 窓辺に向いて、分厚い本を開いている。
「お茶をお持ちしました」
大きなティテーブルにお盆をおいて、茶の支度を整えた。 ラースローは何も聞こえていないように本から目を離さない。 怒っているというより、本に没頭しているようである。
「そちらまで運びましょうか?」
茶器を椅子のそばのテーブルに移す。
「薬草茶か。 わたしは病人ではない」
「今朝近くの教会から分けてもらいました。 この種類なら屋敷の隅に植えておけば育ちますよ」
アリアはラースローの嫌みを無視する。 薬草茶は地域によって育つ種類が違うが、多くは教会で精神安定剤のような用途で飲まれることが多い。
ラースローは苛立ちながらも黙って置かれた茶器を持ち上げ、そして口元へ運んだ。
「これは、おまえがいれたのか?」
「はい。 …あの、まずいですか? 自己流ですから」
アリアは自分の家でいれていた方法しかしらない。 母がよくいれたお茶のいれかただ。 いつもその方法だったので、それが他人にとっておいしいのかどうかはわからなかった。
ラースローはそれには答えずに飲んだ。 そしてまた本に目を戻す。
「ほかに、何か」
「もういい、下がれ」
お盆をもって出て行こうとする背中に、またラースローが言った。
「知識のないというわりには、けっこう分類ができていたな」
本の整理のことだ。 ほめ言葉ではなかった。 しまったととっさにアリアは思った。 字は読めても、分類まですることはなかったのだ。
『怪しまれただろうか』
「前の屋敷でいろいろと教えてもらいましたから」
しかしそれ以上ラースローは言わなかった。
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