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夢のはざま

鏡女王の物語【水鏡】連載中です。


山背大兄王(やましろおおえのおう)は大王の再三の忠告にも耳を傾けなかった。
近従の者達は、毎日のように独り言を言って歩く山背大兄王の姿に、不安を感じていた。このままでは大王家に討たれてしまう。主に忠言するものもいたが、山背大兄王はうわごとのように
「蘇我が報復に来る。毛人が吾を切りにくる」
と繰り返していた。
「毛人、吾のせいだと言うのか。吾が大王になれないのも吾の責任だというのか。毛人の息子らが死んだのも、全て吾が…」
山背大兄王はつぶやくのをやめ、歩みを止めた。
「息子ら…?」
『毛人も哀れなものよ。息子に次々死なれて』
山背大兄王の耳に摩理勢の言葉がよみがえった。あの時はさして気にもとめなかったが。
山背大兄王はまたぶつぶつと独り言をつぶやきながら、部屋の中を歩き回っていた。

軽王(かるのおう)は大王宝皇女の令をもって斑鳩を取り巻く兵を送った。命を出したのは宝皇女だが、実際には軽王が親戚の息長氏にたきつけられて挙兵を宝に迫ったのである。

蘇我馬子の時代から斑鳩という地は、朝廷にとって目障りな存在であった。半島の使者は難波の津に上陸したあと、必ず斑鳩を通って飛鳥宮へ向かう。大陸や半島の情報は朝廷にもたらされる前に、斑鳩が吸収するのである。壮麗な宮や斑鳩の寺は、ここが朝廷か、使者に思わせる。それがそもそもの軋轢でもあったのだ。
先帝岡本宮大王が百済大寺を建て、九重塔を建てたのも、元は斑鳩寺に対抗するためでもあった。だが、地の利だけは斑鳩に叶うべくもなかったのである。

軽王は息長系の春日氏だけではなく大伴や阿倍氏などもの兵も差し出させていた。
「蘇我にも責任はあろう。人を出させよ」
大王の言で蘇我もとうとう人を出さざるを得なかった。
鞍作は武装はせず、家人らと蘇我系である高向国押と東漢氏をつれて斑鳩の里に赴いた。
「なんだ林臣、その恰好は。やる気はあるのか」
舅である阿倍倉梯麻呂が叱咤した。
「やる気などありません。最悪の事態を避けたいのでね」
「だらしがない。娘と生まれる子のために、手柄の一つでもたてて見よ」
「手柄は軽王にお任せ致します。あちらにも義父上の媛と孫がおありでしょう」
平服のままの鞍作は、腕組みをしながら斑鳩宮の方向を眺めた。

上宮では幾重にもとりまく兵を目の当たりにして騒然としていた。
「大兄様、もはやどうにもなりません。兵を解き、大王にお詫びを」
「うるさい!」
「兄上!」
厩戸皇子の子の殆どがこの斑鳩に山背大兄王子と共に住んでいた。それは上宮王家の財を分割させず、巨大な富を維持するためであった。 
「到底我らに勝ち目はありません。兵を解くか、さもなくば逃げるかです」
「逃げるしかありません。兵を解けば、それに乗じて、大王の兵が流れ込みましょう。こうなった以上上宮王家は取りつぶされます」
「平群はどうした」
「平群の兵はとっくに引きましたっ」
山背大兄王を担ぎあげようとしていた平群氏は、すでに自分の領地に引き上げていた。落ちぶれた平群氏の分家が、かつての大豪族の地位を取り戻す夢を見ただけのことである。蘇我家に対抗するなどと無理な話なのだ。山背大兄王が大王の反感を買った今、平群氏自体を滅亡に追いやるわけにはいかない。大王が介入した時点ですでに多くの氏は上宮王家から手を引いていた。
最後まで宮で渋っていた山背であったが、引きずられるように宮を抜け出し、生駒山へと逃げた。

「山背大兄皇子は生駒山へ逃げた様子です」
追跡を開始する軽王。
鞍作は高向国押を生駒へ使わし、上宮王家の方々を見つけたら、密かに難波に逃すよう命じた。上宮王家を滅ぼすことはしたくない。何よりも父、毛人が悲しむと思った。それにこの責任は誰かがとらねばならない。痛くもない腹を問われるよりは、上宮王家と大王家を取りなす方がよっぽど楽だと思った。
しかし、この策は裏目にでてしまった。
高向国押が追跡の手にあることを知った山背大兄王は、おびえ震えながら、また斑鳩の宮に戻ったのである。
「国押が来た。高向王の養家の高向が。仕返しに来たのだ。吾に高向王を殺されたと毛人に吹き込まれて…」
「何を言っておられるのですか、大兄様」
舂米女王が狂った姿の山背大兄王の裾にすがった。
「高向国押は、漢人のためにこの宮敷の財を奪いに来たのだ。蘇我毛人がそうさせたのだ」
ぶつぶつと独り言を繰り返しながら、山背大兄王は燭台に手を伸ばした。
「おやめください! 大兄様!」
「たれか、たれかはやく大兄様をお止めして!」
すがりつく妻や妹達を振り払い、山背大兄王は燭台の炎を、次々に館に移していった。
「やるものか。この財を、父が残した上宮王家を。漢人なぞに、大王なぞに」
炎の中に、山背大兄王の悲鳴のような笑い声が聞こえたが、焼け落ちる轟音にのまれて消えていった。

「斑鳩が燃えている…」
「上宮王家が滅んだ」
厩戸皇子が作り上げた上宮王家は、たった二代で消え去った。一族全てを炎に焼かれて。
その報を聞いた毛人は立ち上がって北の空を見た。
「馬鹿な…、あれほどほおっておけと言ったのに…」
毛人は北の空を何時までも見つめていた。



山背大兄王について

聖徳太子=厩戸皇子 その一族の悲劇。
これが今日の太子信仰となっているのですが、果たして、その息子の山背は本当に聖人だったのでしょうか。

山背大兄王は蘇我氏に斑鳩宮を襲撃された際、このようなことを言ったと記されています。
「戦えば勝つのは明白だ。だがそれでは民百姓が苦しむことになる。我々はこの身を差しだそう」とかなんとか。
確かにこれだけ言われては「聖人」としか言いようが有りません。

でも、何も一族郎党死ななくてもいいだろう。
幼い子供も全て自殺させるなんて、傲慢すぎる。

私の第一印象がこれです。

聖人である一方、日本書紀によると山背大兄はずっと大王の位を望んでいたように描かれています。推古天皇の遺言も誇大解釈し、蘇我家の分家を巻き込んだ争いをしていますし、皇極天皇の時も、声を荒げて蘇我を「この世には2人の王がいるのか!」と糾弾しています。

そのくせ、参議に参画した様子がありません。
斑鳩と飛鳥の宮はかなり離れています。馬を使ったとしても一時間は離れているのではないでしょうか。
毎朝夜明けとともに参議が始まるのに、わざわざ斑鳩から通ったのでしょうか?

聖徳太子は妻の実家が二件(推古天皇、蘇我馬子)あり、そこから通うことが出来たでしょう。自分の実家の橘寺も有りますし。
しかし、山背大兄王は生母と共に斑鳩に住んでいた、とあり、蘇我家から通ったなどという感じか見受けられません。ということは、斑鳩に引きこもっていた、と見るべきでしょう。
妻をひとりしか持たなかった聖人、というより、妻(しかも妹)をひとりしか持てなかった変わり者、だったと解釈する方が自然です。

こういう山背大兄の背景と「我が身を差し出す」という最期は全く合致しません。

ということで私なりの解釈で、上宮王家の滅亡を簡単に追って見ました。
もっと詳しく描きたいのですが、話の本筋からは外れるので、蘇我家が濡れ衣をかぶせられた背景のみにとどめています。

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