夢のはざま

鏡女王の物語【水鏡】連載中です。

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新大王が要求した飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)は豪族や民にとっては大きな負担であった。板葺きだけでも大がかりだというのに、宝はたびたび変更を求めた。当然工期は遅れた。
「何を考えているのだ。三韓の動きが激しいこの時期に」
「宮の建設どころではないだろう」
群臣達は不平を漏らす。半島からの守りを固めなければならない次期に、宮のための財や人をさいている場合ではない。

半島では、宝皇女が即位した年の二年前に、高句羅が一氏族の泉蓋蘓文(せんがいそぶん)の乱がおき、高句羅の王族を一掃してしまった。
次の年は百済の武王(ぶおう)が亡くなり、義慈王(ぎじおう)が立った。
そしてさらに一年後、百済と高句羅が新羅を攻めたが、新羅の王族、金春秋(きんしゅんじゅう)が人望をあつめ、彼の統率力で侵略をまぬがれていた。
三韓のどの国も力のある指導者による独裁政治が行われようとしていたのである。
このような三韓の動きに倭国は動揺した。より強い大王が必要と思い始めたのである。
群臣達や民までもが、厩戸皇子の外交政策を懐かしんだ。そうしてまた山背大兄王の名が人々の口に昇るようになっていった。

宝が即位したこの年、民の非難の追い打ちをかけるように日照りつづいた。六月になっても雨は一滴も降らなかった。凶作が危ぶまれた。このままでは間違いなく凶作であった。大陸や半島からの出兵があるなら、食料の備蓄は多ければ多い方がいい時であった。
民の雨を望む声が上がった。
「豊浦大臣。雨を降らせよ」
大王の言葉であった。
無理を承知で、毛人は雨ごいの儀式を仏式で執り行う事を約束した。約束したが雨が降るかどうかはわからなかった。 
「やめた方がいいですよ、父上。雨は天の授かりもの。仏に祈ったところで降るものではありません」
鞍作が毛人に言った。
「降るにこしたことはありませんが、降らなかった場合、父上の立場はますます危ぶまれましょう」
「たとえ数滴でも降れば、大臣の威信はたもたれる。雨ごいはわしがやる」
「何を言っているんです。お歳を考えて下さい。この日照りの中で父上が幾日もわたって雨ごいなど、体がもちませんよ。それより実務的な策を施した方がよっぽどいい」
鞍作は潅漑用の水路や井戸の建設を進めていた。
「それはそれで必要な事だ。だが最も必要なのは、豪族の大王への不満を抑えることであろう」
鞍作は手にしていた水路の図面を床においた。
「では、私がかわりましょう。少なくとも父上より体力はあります」
「いや、わしがやる」
鞍作はため息をついた。
「倒れない程度にしてくださいよ。たとえ雨が降らなくとも持ち直せるぐらくのことはできそうですから」
鞍作の働きは、新大王の代では群をぬいて目立ち始めていた。口だけの群臣を後目に、対唐政策や三韓への使者への文、国内の調査など、自ら指揮をとって毎日腰を落ちつける間もないほど動き廻っている。
「単なる儀式だ。だが雨は降らせなければならない。わしではなくとも」
毛人は独り言のようにつぶやいた。
七月、百済大寺での毛人の雨ごいの儀式は結果、ほんの小雨が降るにとどまった。降るだけましであったが、小雨はすぐに止んだ。この程度小雨では、田畑が潤うにはほど遠いものだった。
日照りはそれからも続いた。
鞍作の水路は少しではあるが、いくらかの田が持ち直していた。少ない水を、各々の領地の民たちがうまく利用できるよう、農民達はお互いに協力しあっていた。
八月になって、宝皇女は自ら雨ごいの儀式に立った。今度は神に祈る儀式であった。神仏の対決と人々は見た。
宝は三日三晩祈り続けた。四日目の朝、にわかに雲が立ち始め、勢い良く雨が降り始めた。毛人が降らせた雨とは比べものにならないほどの大雨が大地を潤した。

「水の女だ」

人々は歓喜の声を上げ、踊り、大王の名を讃えた。宝皇女はこの雨ごいの儀式で地位と名声を得たと言ってよかった。
毛人は、この結果に思いのほか冷静であった。こうなる事を望んでいたかのようでもあった。事実、望んでいたのかもしれない。その思いは、毛人のみの胸に納められていた。



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