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夢のはざま

鏡女王の物語【水鏡】連載中です。


田村王(たむらのおおきみ)が即位し、尊称が変わり田村皇子(たむらのみこ)となった。新たな岡本宮の建設も開始された。
即位の儀式で大王の隣に座る宝姫王(たからのひみぎみ)がいた。大后(おおきさき)になったことで、宝姫王も皇女(ひめみこ)と呼ばれ始めていた。

即位の席で宝皇女は目の前にいる蘇我毛人の方を見ようともしなかった。恨まれているに違いないと毛人は思った。漢人を死なせてしまったのは、この自分だ。しかし晴れやかな舞台であるのに、宝皇女の表情は色がなかった。毛人の屋敷を去っていくときの、あの気の強い美しさが欠けていた。
「大后は具合でもお悪いのか」
「ご存じないのですか? ご懐妊なさっているのですよ」  
「ご懐妊?」
とすれば、田村皇子との間の第二子となる。
「おめでたいことだ」
毛人は笑って呟いたが、なおのこと合点がいかなかった。いくら具合がわるかろうと、めでたいことではないか。この晴の舞台にあの表情のなさはそれだけではない気がした。
宝皇女が第一子、葛城皇子を産んだのが三年前、その直後に漢が死んだ。
もしや宝皇女は漢が殺された理由を知っているのではないか。それが誰によるものであるかも。

宝皇女は岡本宮に遷る前に女児を出産した。間人皇女である。
その二年後に、さらに男児を産んだ。大海人皇子と名付けられたこの皇子は出生日が明らかにされなかった。生まれてすぐに北の大海人氏に預けられた。本当は田村皇子の子ではないのだとか噂されたが、単なる噂でしかなかった。 

岡本宮に遷り、田村皇子は岡本宮大王と呼ばれた。即位二年の年には毛人らの働きで第一回遣唐使が遣わされた。唐は海を渡ってまで倭国への介入はしなかった。三韓は唐の属国であったが、倭国は厩戸皇子が随にしらしめた一国のままを保つことが出来たのだった。その意をさぐる遣唐使であった。

島の庄に預けられていた鞍作は、田村皇子が即位した後、豊浦の屋敷に戻されていた。記憶は戻らなかったが、それ故か、本来の明るさを取り戻し、剣を学び、後に第一回遣唐使として帰国した旻法師の学堂に通ったりしていた。
旻法師は大陸の最新の知識を、若い豪族や貴族の子弟達に惜しみもなく教え与えた。中でも鞍作の乾いた砂が水を吸い込むような知識の吸収力は目を見張るものがあった。物事を系統だてて理解する事が出来る数少ない学徒であった。
十五歳のころ、国史編纂の場で鞍作はまだ各地の伝承を織りまぜた草案を見ながら言った。
「これではまだ足りません。父上、倭国の歴史を明らかにするだけでは、ただの歴史書になってしまう。大陸は中央の力が巨大です。倭国が大王の血統を重視するなら、大王をもっと強大なものに位置づけなければ、この国史編纂自体の意味がなくなるでしょう」
豪族達の力をおさえ、中央に向ける事こそが、力をひとつのところに集める事が、これからの倭国のあり方なのだと鞍作は言った。
「我らの力を抑えろと」
毛人は、蘇我のように豪族が力を持つ事を否定するのかと鞍作に問うた。
「豪族の力はそれなりに必要なのです。ですが、その力を己の氏族の為だけに使う事が危険なのです。国というものを形成することを考えなければなりません。わが国は国としてはまだ未熟です。分散している力を一つにまとめる。これが大陸に対抗できる国をつくる第一歩なのです」
これは旻法師の教えなのか。いや、旻は学者ではあるが思想家ではない。倭国がどうあるべきかなどと講義しないであろう。おそらく鞍作は自分なりに理解し、考え、言葉にしているのだろう。
蘇我家を大きくすることしか考えなかった馬子とそれを見てきた自分には、理解しきれない考えだと毛人は思った。
しかし理解できないとはいってもその必要性は、毛人にも感じとれた。編纂を行っている史部たちには鞍作の言葉通りの指示を与えた。

平穏な時が過ぎた。平穏は時に怠惰を生む。
人望厚きと言われていた岡本宮大王の、息長に対する厚意が目立ち始めていた。他の群臣や大臣である蘇我家を蔑ろにする行為もあった。毛人にとっては思った通りのことであった。岡本宮大王と息長系氏族への不満の声が聞こえ始めもしていた。

とりわけ大王に采女を差し出している地方の豪族たちの不満は大きかった。采女はいわば人質の形で大王に仕える豪族達の姉妹娘である。都の情報を探る諜報でもあったが、分断化された仕事や階級により、采女ひとりが得られる情報には限りがある。諜報より豪族達にとって大きな思惑は、自分達の差しだした采女が大王の目に止まり、子を為し、それによって一族の地位が引き上げられることであった。
当然采女の多くは見目が良く若い女達であったし、大王家にのみ仕え、采女の一生は全て大王の一存によっていた。決して大王家以外の群臣達が手を出せるものではない。采女とはそういう存在だった。
その采女に手をつける者が多く出たことが、豪族達の不満のもとであった。
一度手をつけられた采女は、宮から追放された。一族の恥と、故郷に帰っても肩身の狭い思いをしなければならない。そればかりか、次の采女を差し出さなければならず、また采女の生活のために荘園と召使いをつけなければならなかった。これは小さい豪族にとっては大きな打撃であった。
もともとは采女を管理しなければならない大王家の怠惰によるものである。岡本宮大王はそんな不満を全て毛人などの非息長系に押しつけていた。



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