夢のはざま

鏡女王の物語【水鏡】連載中です。

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男は夜露を払って衣服を正した。
鏡王(かがみのおおきみ)は傍系とは言え、先帝岡本宮大王(おかもとのみやのおおきみ)の異母兄にあたる。息長系であった押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ)を父に、息長系の姫、大俣女王(おおまたのおおきみ)を母に持つ。鏡王の同母兄の茅淳王(ちぬのおおきみ)は現板蓋宮大王(あすかのいたぶきのみやのおおきみ)の実父である。
鏡王は息長氏の所領の近くの鏡の里を拝領した王族にすぎなかった。生来病弱な故、政事から離れ、飛鳥の都から遠い産まれ育ったこの里で後継問題にも名を上げず、ひっそりと過ごしている。
その鏡王に都からの来客があったのだ。屋敷の中では右往左往の騒ぎであった。

板の間に腰を下ろし、男は御簾の向こう側を覗き見た。が、御簾の中は板の間よりも薄暗く、様子を窺う事はできない。
侍女が静かに現れて音を立てずに湯を置き、また音を立てずに退いた。
手に取る椀から若草の香りがした。と、衣擦れの音がして、御簾の向こう側に人が入る気配がした。椀を置き、深々と礼をする。
「病で伏せていたので、御簾越しに失礼いたします」
女の声がそう言った。顔を上げると灯のともった御簾向こうの中央にひとり、そして戸口にまたひとり座っているのが見える。鏡王と侍女であろう。声はその侍女のものと思った。
前触(さきふ)れも無く突然のご無礼、ご容赦願います」 
男の礼に反応し、中央の影が侍女の耳元に囁き、侍女が声を発する。
「ようこそおいでくださいました。この様な鄙びた館では、大したおもてなしも出来ませんが、どうぞ今宵はごゆるりとお過ごし下さいませ」
「いたみいります」
御簾内の布由はよどみなく男の様子を探る。
「あなた様のようなご身分の方が、お供の舎人も連れずに」
「ははは」
男は笑って、自分は気ままにひとりで旅をするのが好きなのだと答えた。
布由は飛鳥板蓋宮大王の様子や都の様子などを男に聞き、男は世情を話す。そういった会話から男の来訪の目的を探る積もりであったが、ただの世間話しか出てこない。
布由は鏡王を見て困ったようにうなずいた。
布由は鏡姫王を除けばこの屋敷で唯一都に詳しい者であった。鏡王に請われるまま座に配し、鏡王に代わって受け答えをしている。鏡姫王の部屋を出てからそのままこの場にいるのだが、男の真意がつかめないままで、次第に布由は部屋に残した鏡姫王が気になってきていた。
その様子が伝わったのか、男はふいに鏡王に来訪の目的を告げた。
「この淡海の地に都を建てるとした時の、鏡王のご意見は如何」
男の突拍子もない発言に、鏡王も布由も言葉を忘れ、ただ息を飲んだ。





ひとくちメモ [尊称について]

この時代の王を 「天皇」と呼ぶか「大王」と呼ぶかで、巷では意見が分かれるところですが、この小説の中では「大王」と呼ぶことにしています。
天皇を名乗るのは、通説をとって天武天皇あたりから。
(一説では推古天皇時代には「天皇」とあった、または天智天皇時代に制定されたとされています)

従って、その「大王」の子供達は、正しくは「王子」「王女」と書かなければならないのですが、そのほかにも「王」「女王」「姫王」だのが登場し作者にとっても紛らわしくなるので「皇子」「皇女」という尊称を使っています。

「王」とは一説には地方豪族の長であるとか、渡来系の王族だとか、これまた意見の分かれるところですが、ここでは大王家につながる親族mの「王族」という説をとっています。
「王」は天皇の子「皇子」「皇女」の子の世代から3代までが名乗れる尊称であり、男子を「王」、女子を「姫王」成人してからは「女王」と呼ぶことにしています。三世以降は「臣下」となっていくわけです。
(後に「王」という尊称は「宮」になり、皇子、皇女は「親王」にかわっていきます)

ということで、鏡王は王族である、という設定になっているのです。


次に「大兄」ですが、これも諸説あり、皇太子という意味だったり、同母の長兄の意味だったりと、それぞれ説得力があります。
が、やはりここは一般的に「皇太子=次期大王」という説をとっています。
同母の長兄であるとする方は「同世代に中大兄皇子と古人大兄皇子など何人も大兄がいるじゃないか」と言われますが、それは日本書記が最後の尊称でその人を記すためにおこる現象であると考えます。

ただ、「大兄」が次期大王であると言いきれない事例も確かにあります。
例えば「聖徳太子」
この人は、書記の中では「厩戸皇子」「法大王」「上宮太子」など、他にもいろいろな名称で登場していますが、「大兄」と書かれたことはありません。
この次期には「押坂彦人大兄皇子」がいますが、聖徳太子より長生きしたとは思えません。つまり、次期大王と目されていた人物であり、また、同母系の長男であったにもかかわらず聖徳太子は「大兄」の尊称がない。
このあたりを突っ込んで考えるとけっこう面白そうです。
でもこの物語には関係ないので省略します。

もうひとり、次期大王なのに「大兄」を名乗らない人物がいます。
そう、「大海人皇子」です。
もちろん、大兄とは長男という意味ももともとはあるわけですし、大海人皇子には中大兄皇子という兄がいるわけですから、「大兄」という尊称はおかしいですよね。
彼の場合は「皇太弟」と記されています。
ただ、兄弟相続が当たり前だった時代の次期天皇を「皇太弟」と記した例はほかにないので、このあたりもなんとなく日本書紀の史実隠蔽のにおいがしますね。



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