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夢のはざま

鏡女王の物語【水鏡】連載中です。

膝下まで水につかり、腰を屈めて両手でそっと水をすくい上げる。
冷たく澄んだ水の面が(かがみ)の瞳を映した。
目を閉じて両手を高く上げる。指の間から滴り落ちる清涼な水が、鏡の白い腕を伝い、衣を濡らす。
柔らかい春の日差しが、瞼に降り注ぐ。芽をふいたばかりの木々の若葉が日差しをさらにやさしくする。鳥の声が響き、水の流れる音が心を研ぎ澄まさせる。
もうじき見えるはずだった。何をというのではなく、見えるべきものが自然に瞼に浮かぶ。それは水面にうつるように揺らめいてはいるが、鏡には充分すぎるほどはっきりとその意志を見ることが出来た。

この島を創り出した神々。

その神の意志を伝えるのが鏡の為すべき仕事であった。
だが鏡には、見えるものが果たして本当に神の意志であるかどうかはわからなかった。小さい頃からそうやってきただけに、神とこの見えるものを結びつける事ができないでもいた。そうするにはあまりにも神はかけ離れた存在であり、また捕らえどころの無い実態のないものでしかなかった。
鏡はただ見えるものを見るのが当たり前にしか思えなかったのである。
そして、今、何かを見る事ができるはずであった。

パシッと微かに人の足音が鏡の耳に入った。
振り向いた場所に、人がいた。木の間だから藍色の袖が見える。馬が水を求めてこちらに近づこうとしているのを、その者が手綱を引いて押さえていた。
鏡は首だけをその者に向けたまま、上げていた手を下ろした。
じっとその者の行動を静かに見つめる。その者は観念したように姿を現した。男であった。背が高く体格がいい。年は二十五を過ぎたころか。着ているものの質から、かなりの家の公達であるとわかる。烏帽子はつけていないが、飛鳥の宮に勤める貴族か豪族の子弟であろう。
「すまない。覗くつもりはなかった」
低いがはっきりした声であった。
「その…、馬に水を飲ませてやってもいいだろうか」
白い紗姿(うすぎぬすがた)の鏡を直視することが出来ない様子で、男は顔を赤らめながら足元を見たり、馬を見たり、水際の草花に目をやったりしていた。
「どうぞ、ご随に。ここの水は誰のものでもありません」
鏡は水面を歩くように岸にあがり、場所を明け渡した。
「かたじけない」
男はそう言って、馬を引きながら水辺に近寄った。ちらりと鏡の方へ目をやるが、すぐに外らす。
濡れた白い(うすぎぬ)は、鏡の体の線を浮き上がらせていた。
「水浴びするにしては、まだ水は冷たかろう」
馬に水を飲ませている間、男は手と顔を洗う。そしてはたと動作をやめ、また鏡を見た。
「もしや、世を儚んで…」
「そのように見えましたか」
鏡は木にかけてある上衣をとった。
「いや、」
と男は口ごもった。そうは見えなかったが、水の中にいるこの女人を見たとき、近寄り難い何かを感じたのは事実だった。真っ直ぐに足元に伸びた髪、白い紗、白く細い腕。女と言っても少女に近い。そんな女人がこんな所でひとり、何をしているのかなどという疑問が浮かぶよりも前に、その姿に見とれていただけだった。
「着替えます。見ていたければかまいませんが」
「いや、これはすまない」
男は慌ててまた鏡から目を外らした。
落ちついた馬を撫でてやりながら、男は後ろの鏡の気配を感じようとしていた。不思議な女人だと思った。見たければかまわないと言われたが、決して見てはいけないと言われたような気がする。そんな雰囲気をもつ女人だった。

沈黙のあと、男は水面を向いたまま声をかけた。
「そなたの家は遠いのか。よければ送っていくが」
返事はなかった。
「案ずるな。何の魂胆もない。実はおれも道に迷っていたところなんだ。そなた、知っているか。淡海(おうみ)の南、鏡王(かがみのおおきみ)の館を」
それでも返事はなかった。
男は意を決して振り向いた。
「おい」
女の姿はどこにもなかった。
「幻か?」
女の立っていた場所に手をつくと、草は踏まれ、濡れた跡があった。
「それとも天女か」
まだこの辺りにいるかもしれない。男は馬に跨り、馬首をかえして林を抜けた。小道を早足で行くと広い野に出た。西に鏡山が見える。あの山の湖側に鏡王の館があるはずだった。
「するとここが蒲生野か」
背の高い草が生えた野に、人影が見えた。
「おーい」
男は人影に声をかける。先ほどの女人に間違いないように思えた。人影はふつりと姿を消した。野に馬を入れると、草は馬の足をすっぽり隠すほどに生い茂っていた。
男は馬から下りて手綱を引きながら草むらを歩んだ。いたずらに馬を走らせては、人を踏みつぶしてしまいかねなかった。
「おーい、ちょっと待ってくれ。道に迷ったんだ」
しかし返事はやはりなく、男は立ち止まって途方にくれた。
「まいったな…」
途方にくれたのは、あの女人を捕まえ損なったせいかもしれないと、男は思った。


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名前がまだ判明していませんから、「むかし男ありけり」みたいな感じで、ああこういうのもありかなって感じました。
これも長編になるのでしょうか?期待大です。

2007.04.15 21:15 URL | 一九 #- [ 編集 ]

一九さん

男の名前は序章の最後に明かされます。
途中でわかっちゃうかもしれませんが、楽しみにしていてください。
これも長編になると思います。そして前回より筆が遅くなります、きっと。
気長に楽しんでもらえれば幸いです。

2007.04.16 12:33 URL | 武久縞 #- [ 編集 ]













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