fc2ブログ

夢のはざま

鏡女王の物語【水鏡】連載中です。

泣く声が聞こえた。
「先生、起きあがっては」
「かまわん」
 老人はベットから起き上がり、弟子の手を借りながら、寝室に続いている小さな部屋の椅子に腰掛けた。
 老人の髪は白く腰まで伸びている。口も白い髭で覆われており、額にも頬にも手にも深い皺が刻まれていた。
「ここにもうじき母親につれられて少女がくるだろう。その子はわたしが診よう」
 老人の言葉に弟子達はいまだ信じられない思いをする。確かめに行った弟子が首を振る。遠くにその姿はまだ見えないというのに。 病に冒されてはいても老人はまだ彼らにとって師であった。

 老師の言葉通り、少女の手を引いた母親が小屋を訪ねてきた。
 少女だけが老師の部屋に入り、弟子が椅子に座らせた。老師とすぐ向かいあった位置であった。
 老師は弟子さえも下がらせ、うつむいて涙をこぼす少女をしばらく見ていた。
「なぜ泣いている」
 目にいっぱいの涙を浮かべた少女に老人は言った。
 少女の母親は、ここ一年間、寝てもさめても涙を流し続ける娘を心配していた。泣いている理由を訪ねても娘はただ首を振るばかりであった。病気ではないかといろんな医者に見せたが、原因はさっぱりわからなかった。
 母親は迷ったあげく、町の外れの森の入り口にあるこの小屋を訪ねたのだ。
 万病を治すと噂される老師がいて、数人の弟子たちが薬草を調合したり、怪我や病気を診たりしている。噂が噂を呼んで、遠くから訪れるものも少なくない。だがここに来るもの達は、最後の藁にしがみつくためにやってくるのがほとんどだった。それ以外はあまり近づきたくない場所だと言ってもいい。
 少女は涙を流し、唇を引き締めていたが、ぽつりと喋った。
「悲しいの」
「なにが悲しい」
「そばにいないから」
「誰がそばにいない」
 少女は首を振った。
「ふたりの人。でも、捜しているのに、どこにも居ないの」
うつ向いてしゃくりあげる少女に、老師は優しく微笑みかけた。
「泣かないでもいい。大丈夫だ」
「でもあたし、会いたいの。会わなきゃいけないの」
「なぜだね」
「会って謝らなきゃ。あたし、あたし…」
 少女は泣きじゃくった。老師は少女の髪を一筋撫でた。
「大丈夫。そんなふうに思わなくてもいい。謝る事などなにもない」
 撫でられた髪に伝わる温かさ。少女は涙に濡れた瞳を上げた。
「…ラ…ス?」
 やさしい穏やかな瞳が少女を包んだ。
「ラースロー?」
 老師は何も言わず微笑んでいる。
「…ごめんなさい。ごめんなさい。ごめん…」
 少女が椅子から立ち上がって老師の首にしがみついた。
「あなたを、…ひとりにしてごめんなさい」
 老師は少女の背中に手を廻し、やさしく撫でた。
「さみしくはなかった。本当だ。だから今、こんなにも穏やかだ。おまえがわたしに謝る理由は、何もない。むしろ、わたしのほうがおまえに謝らなければ」
 少女を椅子に座らせて、向かい合った。
「おまえのその思いはもう必要のないものだ。もう忘れていい。わたしが植え付けてしまったのだ。だから取り除こう。もう、泣かなくていいのだよ」
 老師が少女の額に軽く手を触れた。
「もうひとりのことは心配ない。もうじき会える。おまえはそういう星を持って生まれてきたのだ。今度は諦めるな。自分の好きなように生きるのだ」
 老師は少女の額から手を離した。
「だが、おまえにはまだもっと学ぶべきことがたくさんある。出会うためには初めから学ぶ必要がある。その小さな体におまえの過去は大きすぎるのだ。 もうひとりとの出会いまで、おまえの過去を封じよう。心配するな。必ず会える」

 母親の手に引かれて、夕暮れの中を帰っていく少女。
「先生。お休みなってください」
 弟子達がテラスの老師を支えた。
「いや、ここでいい。ひとりにしてくれないか」
 揺り椅子に腰掛けて、老師は赤く染まる森の空を見た。
 血に染まったアリアを抱きかかえ、自分の命を終わらせようと思ったのも、こんな美しい晩秋の夕暮れだった。 
 アリアを側に横たえ、湖の畔で己の剣を喉元に突きつけた時、遠く赤ん坊の泣く声が聞こえた。
 草をかき分けると、ぼろ切れにくるまれた赤ん坊が、声のある限り泣いており、そばには母親らしき女が倒れていた。女の息はなかった。
 ラースローは赤ん坊を抱き上げた。
「アリア…」
 おまえは、それでもわたしに生きろと言うのか。
 赤ん坊を抱いて、ラースローは咽び泣いた。
 あれからもうどのくらい自分が生きているのか覚えていない。放浪し、拾った子供は数しれない。 傷ついた子を癒し、子供らを養うため、貧しい村に薬を与えていくうちに診療所のようなものが出来た。成長した彼らに自分の持っている知識を教え与えた。幾人もの子供達がここから巣立ち、教わった知識で各々の生活を営んでいる。
「アリア…。わたしが今まで生きてきたのは、おまえに再び会うためだったのだな。こうやっておまえを救うために、わたしが生きてきた意味があったのだな…」
 ラースローは懐から包みを取り出して、開けた。
 ぱさついた赤い髪がこぼれた。
「いや、救われたのは、やはりわたしの方か」

───どんな時も、どんな時代でも必ずそばにいてくれる者が現れる。お主を愛し、必要とする相手が現れる。だから決して自分を卑下するな。今は私が保証してやる───

「別れだ、アリア」
 ラースローは微笑み、そして両手を上げて赤い髪を風に放した。
 風が髪を舞上げる。乾いた赤い髪は夕陽に照らされて、燃えるような輝きを辺りに振りまいていた。舞い上がり、揺らめき、風に乗ってどこまでも。
 上げていた手は力なく垂れ下がり、そしてそのまま二度と動かなかった。

「どうしたの」
 後ろを振り返った娘に母親が言った。少女はしばらく立ち止まって小屋の方向を見ていたが、やがて
「ううん…」
 と歩きだした。
 少女のほほに涙が知らないうちにこぼれ落ちた。母親に気付かれないようにうつ向く。
 ついさっきまで、自分はとても悲しかった。どうしようもなく寂しかった。なぜなのかわからない。今は悲しくともなんともないのに。それなのに涙が出る。
 とても悲しかった事だけはどこかで覚えている。きっとそれを思い出せないのが切なくて泣けてくるのだ。まるで、鮮やかに見た夢を忘れてしまった時のように。
 この切なさも、きっと明日の朝には忘れてしまうのだろう。
 だから今はこのまま涙を流そう。忘れ去った悲しみのために。

  夢のはざま 完





スポンサーサイト



 ポチっとお願いします→












管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://yumenohazama.blog69.fc2.com/tb.php/125-2ac39a7b