夢のはざま

鏡女王の物語【水鏡】連載中です。

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毛人は自力で屋敷に戻った。傷は大したことは無かったが、装飾用の刀で切られたせいで、なかなか傷口がふさがらなかった。
夜、豊浦の屋敷に赴いた鞍作に、毛人は事の経緯を話した。
「とうとう血迷いましたか。あのお方は」
傷の浅さに安堵しながらも、鞍作は山背大兄王への軽蔑の念を表した。
「斑鳩はほおっておけ。いずれ忘れ去られ、臣下に落ちよう」
「わたしとしては、許せませんが」
鞍作は憮然とした表情を隠さない。
「何があっても、このことは知らぬ顔で通せ。斑鳩が何を言ってきても、わしは療養中だと申せ。よいな、大郎」
「こちらに非があるわけではない事ですけどね、仕方ない」
「それと」
と、毛人は鞍作に紫冠を渡した。
「この傷ではしばらく人前に出られぬ。おまえが大臣の代わりとなって、参議をまとめよ」
渡された紫冠を手に、鞍作は父の顔を見た。
「それこそ人々の反感を買いますよ。斑鳩よりも大王との対立こそ、納めなければならない時でしょう」
「大王のことは、わしに任せておけ。おまえは大臣の位について、好きなように進めるがいい。このところの半島の動きに対応できるのは、おまえぐらいしかおらんだろう」
あれほど自分の考えを註してきた父が、好きなようにやれとは。鞍作は、父毛人の老いを感じ取った。
「阿倍の娘は元気にしているか」
前年、鞍作と婚姻した阿倍氏の娘は、鞍作の子を身ごもっていた。
「順調ですよ。予定通り翌月には生まれます」
「子供は多い方がいい。大事にせよ」
その言葉にどれほどの思いが込められていたのだろう。鞍作は笑って、毛人を横たわらせた。
 
翌朝、鞍作は紫冠を戴いて朝参した。
予想していたとおり、他の重臣たちは若い鞍作の頭上にある紫冠について、小声で、時には聞こえるようにざわめきあった。
大臣の座にいる鞍作は、床の一点だけを見つめていた。やらなければいけない事が自分にはある。そのためには、これくらい何ともないと思わなければならない。そんな風に鞍作は自分に言い聞かせていた。
大王が高座に現れ、皆がひれ伏した。
「豊浦大臣はどうしましたか」
宝皇女の声が、鞍作の頭上に響いた。この場にいる一同が、鞍作の言葉に息を潜めた。
「父毛人は病のため、しばらく休養を戴きたいとのことでございます。毛人になりかわりまして、しばしの間、この鞍作が紫冠を預かり、参議に参加いたしとうございます。若輩ではありますがよろしくご指導のほどお願い申しあげます」
鞍作は低い声で、はっきりと言った。落ち着いた態度であった。しかし宝皇女は納得しなかった。
「紫冠の譲位を許した覚えはありません。蘇我大郎鞍作。参議に出るなら紫冠は豊浦大臣に返すように。返さぬならこのまま席をはずしなさい」
一同のざわめきが聞こえた。
「大王の仰せとあらば」
紫冠を脱ぐことを誰もが予想した。が、鞍作は黙って席を立った。
「失礼いたします」
立ち去る鞍作の姿は少しも卑屈ではなく、むしろ堂々としていた。
鞍作が去った後、しばらく参議はざわめいていたが、本日の議は中止とする言葉を発し、宝皇女も席を立った。鞍作はすでにこの場にいなくてはならない存在であった。紫冠があろうとなかろうと、鞍作の発言は大きく、議をまとめる力は優れていた。鞍作がいない議はやるだけ無駄だと何よりも宝皇女が知っていたのである。しかし鞍作が大きく成長すればするほど、宝皇女の苦痛は増した。

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蘇我毛人にはもうひとつ頭を悩ませる問題があった。大王宝皇女が、板葺宮の増築を求めたことであった。
「昨年は凶作とまではいきませんでしたが、豊作にはほど遠い状態です。この時期に増築は人々の反感を買いますぞ」
「雨を降らせたのは誰です。この宮は狭い。これでは皇子をそばに住まわすこともできないではありませんか」
宝皇女は増築を譲らなかった。これには蘇我でなくとも多くの豪族が難色を示していたが、実際には毛人と宝の対立を表だたせていた。一部の豪族たちは表面下で、舂米女王の発言で再び注目を浴びた山背大兄王を擁立する動きを見せていた。

秋の日が深くなったある日、山背大兄王は毛人を斑鳩に呼びつけた。
山背大兄王は太った体をそらし、不遜な態度で毛人に対した。壬生部の件については一切触れずにおもむろに言った。
「吾はいつまで大兄のままのか」
近づき始めた豪族達に乗せられて、再び大王位を意識した言葉である事は明白であった。
毛人は落胆を隠せなかった。隠そうと思えば出来たことが、このときばかりは出来なかった。
「山背大兄様は、大兄のまま生涯を終えましょう」
つい思いのまま言葉にしてしまった。これには山背大兄王が今度は顔色を変えた。
「蘇我はこの上宮王家をないがしろにするのか。なぜ吾を大王にしない。蘇我にとっても利はあろう」
「わたしが蘇我の利を考えるなら、やはりあなたを大王にはせんでしょう」
「父、聖王(ひじりのおう)(聖徳太子)の恩恵を受けながら、その物言いは何だ。吾は上宮王家を継いだ者ぞ。上宮王家は常に人の上に立たねばならぬ。誰よりもだ」
何を言う。恩恵を受けていたのは厩戸皇子(聖徳太子)の方ではないか。蘇我馬子の財を利用して、地位を利用して。しかしそれだけの才能は厩戸皇子にはあった。
毛人は同年だった厩戸皇子を思った。人の上に立ってしかるべき人物であった。だから皆に聖王と呼ばれていた。
それに引き替えこの山背大兄王はどうだろう。妹、刀自古の血を引いているとはいえ、この傲慢さはどこから来るのだ。
あれほど壬生部の民が苦しんでいたというのに、この王の身辺は少しも変わっていないではないか。自分の財を傷つけることなく平然と酒をあおるこの甥は…。
「聞いているのか、毛人!」
伯父である自分を呼び捨てにされて、毛人は立ち上がり、とうとう声を荒げた。
「上宮王家、聖王などといつまでも…! ではいったいあなたは何をした。王家の名、厩戸皇子の名の庇護のもとで駄々をこねていただけではないか。斑鳩のこの屋敷に家族でこもり、政事に対しての理想もなく、発言するでもない。ご自分の領地の飢饉の時ですら、何の手を打つ訳でもなくただ蘇我に泣きついて来ただけではないか。ご自分の妻でさえ抑えることが出来ない。舂米女王様の発言にも我らは黙って耐えた。あなたの立場を慮ったからだ」
毛人の勢いに押されて、山背大兄王は口をぽかんと開けていた。
「あなたはちっとも変わらない。昔から少しも成長しない。宮から離れたこの場所で、太子の威光にすがって生きているだけだ。本気で大王位につきたいならここから出るべきだとあれ程申し上げたのに」
毛人は苦痛に顔をゆがめた。
「あなたさえ、…あなたさえしっかりしていれば、わしは…… 、わしは息子らを、亡くすことだって無かった」
山背大兄王の顔がぴくりと動いた。
「いや、今更言っても詮無きこと。わしら蘇我はこれであなたから一切手を引きましょう。お好きにするがいい。平群でも葛城でもお好きなところと手を組みなさい」
顔を赤くして震える山背大兄王に、毛人は背を向けた。
「まて! 吾を見捨てるというのか、毛人。この上宮王家を!」
毛人は首を少しだけ横向けて、最後に言った。
「上宮王家は、厩戸皇子が亡くなられたとき、ともに消えたのです」
部屋を出て行こうとする毛人の背を、山背大兄王は見た。小さく丸まった背であった。気がつくと刀を手にしていた。立ち上がるが先か、鞘を脱ぎ捨て、その小さな背中に斬りかかっていた。
「ううううぉーっ」
気配に振り返る毛人。とっさに腕を上げ頭をかばった。腕に焼け付く痛みが走る。振り下ろされた切っ先の血、そして毛人の直衣にみるみる広がる黒い染み。
毛人はがたっと膝をついた。ただよろめいただけであった。傷は浅い。しかし、それを見た山背大兄王は青ざめて刀を取り落とした。


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毛人は立ち止まって、女孺(めのわらわ)を見た。何を言ったのか、とっさには飲み込めなかった。
「なんと言った」
女孺は子供とは思えないほど落ちついた声で繰り返した。
「墓はひとつでは足りません」
 はっきりとそう聞こえた。墓とは、これから建てる自分の墓のことを言っているのか。

「どうされました、豊浦大臣」
 はっと気が付いて、毛人は連れだって歩いていた者を見た。そして、また女孺に視線を戻そうとしたが、そこに女孺の姿はなかった。
「今ここに、女孺がいたのだが」
辺りを見回すが、影も形もなかった。
「夢でも見たのではありませんか? こんな時間、こんな場所に女孺がいるなど」
他の者には見えなかったのだ。いや、本当に自分も見たのだろうか。しかし、耳にははっきりとあの声が残っていた。

女孺の言葉を、毛人はあまり深くは考えなかったが、あることを思いつかせた。
「父上、やめて下さい。わたしの墓まで造るなど、世間のいい笑い者ですよ。小墾田大王(おはりだのおおきみ)でさえ、ご自分の墓はいらぬと言っておられたというのに」
毛人は鞍作の分まで墓をつくろうとしたのだ。
「ついでだ。いいではないか」
「ついでにしないでください。わたしはまだ二十六です」
 建設するものが大きいほど、支払う代償が多くなる。壬生部の民も多く雇える。
「斑鳩に恩を売るつもりならほどほどにしたほうがいい。あそこは恩を恩とは感じないでしょう」
「上宮王家の所領になった壬生部の民に罪はない」
「そういうところが父上のいいところですけどね。でもわたしの墓までつくるのはやめて下さい」
「いや、造る」

蘇我親子の双墓建設の話は、あっという間に広がった。出来上がった墓をわざわざ見に来る者もあった。蘇我を快く思わない豪族は陰口をたたいたりした。
「大きい方が豊浦大臣のもので、小さい方が入鹿のものらしい」
「反対じゃないのか。体の大小でから言えば、大きい方が入鹿だろう」
「どういうつもりだか。大王家でもあるまいに生前に墓を建てるとは」
大陵(おおみささぎ)小陵(こみささぎ)だな」
(みささぎ)と言う言葉は、大王家の墓にのみ使われるものである。
この件については事前に大王の許可を得ており、人々に誹謗される筋合いのものではなかった。最も声をあげて蘇我を糾弾したのは、山背大兄王の正妻、舂米女王(つきしねのおおきみ)であった。
「なにゆえ、この壬生部の民を勝手に使って蘇我の墓を建てるのか。ほしいままに国を動かし自ら大王になったつもりか。この国には二人の大王がいるのか!」
舂米女王には、二度も山背大兄王の即位を邪魔された恨みが根強く残っていた。この双墓建設の経緯を、全く知る様子がなかった。舂米女王のこの発言は、多くの者を驚かせ、また多くの者に蘇我の僭越行為を植え付けてしまった。

「ほら言わない事ではない。父上の分ならともかく、私の墓まで造るからですよ。死んでからでもいいものを。あれほどおやめなさいと言ったのに」
苦笑いをする鞍作。周りの状況ほどには鞍作はこたえていなかった。言いたい者には言わせておけばいい。だが、感謝されてこそ悪くないところを逆に非難された父毛人の心情には、推し量るものがあった。
「あの斑鳩には、もともと期待はしてませんでしたけど、しゃくなのは今はあちら側に人が同情していることですね」
毛人は黙って庭を見ていた。期待はしていなかったが、やはりどこかで山背大兄王を助けてやりたい気持ちはあったのだと思った。だから、今少し、気が萎えているのかもしれない。怒りよりも脱力感が毛人に残った。



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大雨のおかげで田畑は生気を取り戻した。しかし鞍作が行っていた潅漑政策がなければ、作物の根はいきなりの大雨に流れていたに違いなかった。その鞍作(くらつくり)の努力は、宝が降らせた大雨によって忘れ去られた。
「いいではないですか。これで飢饉は免れる。水路や井戸はこれからも役に立ちます。それより父上の方が心配ですよ」
大王と蘇我の雨ごいは、結果、蘇我が敗れたこととなった。大王と周囲の発言が大きくなり、毛人の言が抑えられる形として残った。
「それと、田畑の大部分は持ち直したんですが、話によると上宮王家(かみつみやおうけ)壬生部(みぶべ)(皇子の所領)は危ないらしいですよ」
山背大兄王(やましろのおおえのおう)の壬生部とそれに接する他の群臣の所領との間では、雨が降る前から水をめぐっての争いが絶えなかった。水路の上に位置する壬生部は、水路をせき止め、下にいくはずの水も自分のところの田に流していた。
鞍作も調停に入ったりしていたが、山背は上宮王家の名を持ち出して、調停には応じようとしなかった。
そして降った大雨は、せき止めていた水路から溢れ、壬生部の田を水びたしにさせた。慌ててせきをはずそうとしたが、今度は下の田が強行に反対した。結果、壬生部の田は根腐れをおこし始めたのだ。 

鞍作の言葉は当たった。壬生部の田は全滅に近い状態であった。作物がとれないとなると、租税は役で払わなければならなかった。それはそれでよかったが、壬生部の民が食するものが無いという事実が残る。他のどの田も凶作を免れただけであり、余分な蓄えはない。上宮王家にまわすほどの作物はなかった。
山背大兄王は毛人に泣きついた。
「蘇我だとて決して豊作だったわけではない。だが、壬生部の民を救うことはできるかもしれない」
「むずかしいですね、父上。無償で上宮王家を救えば、大王家は蘇我に対して不信感をもちますよ」
「墓を建てる」
「墓?」
「わしの墓だ」
鞍作は毛人の言葉に笑いだした。その鞍作を諫めるように毛人は言う。
「父、馬子の墳墓をめぐった争いを、大郎、おまえも知らぬわけではあるまい。わしも年だ。わしの墓を今のうちにつくっておけば、おまえの気苦労も減ろう」
「何をいっているんです。まったく、生きているうちからそんなことを心配しなくてもいいでしょうに」
しかし毛人は墓の建設に乗りだした。大王にその許可をもらい、壬生部の民を使う事で、民に対して援助を行う事を決めた。

「しかし豊浦大臣も大胆な事をなさる。ご自分の墓を建てるとは」
「わたしは心配性でね、鞍作にまかせていると、とんでもない墓が出来そうで」
「鞍作どのならそんなことはありますまい」
「いやいや、あれはあれでけっこうものぐさな性格だ。ほおっておくと墓もつくらんかもしれん」
「仏教を擁護する蘇我家ではありませんか。先祖の霊をまつるのは宗主のつとめ。鞍作どのなら立派になさいましょう。ほら、この前も八つらの舞を馬子どのの墳墓の前で行ったとか」
八つらの舞は大陸に伝わる儀式で、天子など高貴な身分に献上する舞である。
「あれは実は模擬だったのだ。近々大王に献上するつもりで行ったにすぎない」
「ほう、それは知りませんでした」
完成した板葺宮から帰る途中、毛人は他の豪族達と歩きながらそのような話をしていた。暗がりの中を、馬舎まで歩く間のことであった。毛人はふと、行く先の掘に架けられた橋に、ひとりの女孺がいることに気が付いた。
『こんな時刻に』 
宮に上がって間もない幼い采女が、新築の宮の中で迷ったのかとも思った。しかし女孺は落ちついた様子でただ立っており、視線を毛人に向けていた。
白い裳を着た、髪の長い少女であった。歳は十二、三であろうか。不思議なのは、他の者がまったくこの女孺に気が付いていないかのように歩いている事だった。わきを通り過ぎる時も、他の者は女孺に一瞥もくれなかった。
と、女孺が言った。

「墓はひとつでは足りません」



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