夢のはざま

鏡女王の物語【水鏡】連載中です。

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蘇我大郎鞍作(そがのたいろうくらつくり)

稲目から数えて馬子、毛人につづく蘇我宗家の嫡子である。鞍作が名で大郎は長男の意味を持つ。宮中では専ら林臣(はやしおみ)で通っていた。林は母方の性で、父毛人から半年前に紫冠(大臣職)を継いだことから林臣と呼ばれる。祖父の馬子は島大臣(しまのおおおみ)、父毛人は豊浦大臣(とゆらのおおおみ)と、それぞれ居住地の名で呼ばれてきた。紫冠を継いだのなら鞍作も林大臣と呼ばれても良かった。
鞍作の行動力と発言力は、父、豊浦大臣よりも大きく、勤勉で博識なところは他の臣の及ぶところではない。立派に大臣職を果たしていると言っていい。にもかかわらず林臣に留まるのは、まだ豊浦大臣が存命であること、紫冠の譲渡がはじめ大王の勅を得ずに行われ反感をかったこと、彼がまだ二十八歳の若さであることによるものであった。鞍作の宮中での扱いは豊浦大臣の代理としか認められていなかった。
紫冠を授かる前から、鞍作は他の群臣の子弟より抜きんでていた。唐帰りの僧(みん)の開いた学堂に通い、わずか十八歳で僧旻のもたらした教えを習得したという。武芸にも優れ、賊の多い大路を夜ひとりで歩いていても、賊の方が避けて姿を見せないほど鞍作の腕は知れ渡っていた。
日に焼けた立派な体躯、濃い眉に切れ長の大きな目。堂々たる偉丈夫の鞍作は、痩せた細い体つきの毛人より祖父馬子の血を色濃く継いでいるようにみえた。
その毛人との対比を元につけられた周知の名が鞍作にあった。

蘇我入鹿。

蘇我毛人が蝦夷と同音でならぞえられるように、入鹿と言う名もまた鞍作に対するあだ名だった。
蝦夷とは東国を指す言葉である。東国にはまだ飛鳥の大和朝廷に服しない古くからの民族が存在する。大和朝廷は過去に幾度もこの蝦夷討伐の兵を差し向けているが、東国を平定するまでにはなかなかいたらない。
蝦夷はその勇敢さと毛深く男らしい容姿から毛人とも呼ばれるが、東方の醜い夷、または蝦として蝦夷と蔑称される。

「あの毛人老の髭といい、丸まった背といい、海老そのものだ」
「豊浦大臣が海老なら、体の大きい大郎は同じ海の生き物に例えると、さしずめ海豚(いるか)というところだな」

そんな群臣の陰口が次第に広まった。当然そのあだ名は当人の耳にも入ったが、当人達は大して気にもせずに、あだ名を容認している形となっていた。
陰口は、裏をかえせば蘇我家に対する羨望の証でもあった。大王家に匹敵する財と兵を持ち、発言権を有する蘇我家は、馬子時代に比べるといくらか力が衰えたといえども、まだまだ豪族の頂点に立つ存在であった。 
小墾田宮大王(おはりだのみやのおおきみ)(推古天皇)崩御後の次期大王決定時、毛人のとった態度は優柔不断とも見られたが、鞍作が政治に顔を出してからは、鞍作の頭脳と決断力に誰も正異論を唱えることが出来なかった。毛人が政治を裏から外から治めようとしたのに対し、鞍作は正面から切り込んでいく。鞍作の歯に衣をきせぬ物言いは、正論であるがゆえに人々の目からは時には傲慢ともうつるものであった。
そんな鞍作を、毛人はたびたび諌める。
「あまり目立った行動はするな。誰もが蘇我家の弱みを握ろうとしているのだ。おまえのとった行動ひとつで、蘇我家が滅びる事も有り得るのだぞ」
「心配なさいますな、父上。礼はきちんと尽くしてます」
「そこがまた抜け目ないと言われる。先の事件はまだ生々しく人の心に残っているぞ。これ以上身内を殺されるのは」
「わかっていますよ」
鞍作は昨年、妻子を亡くしている。表向きは事故となっているが、蘇我の調べでは事故に見せかけた暗殺だった。

それだけではない。

鞍作は毛人の長男となっているが、本当は次男である。
毛人には公然の秘密として高向王(たかむくのおおきみ)という王名をもつ息子がいた。


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鏡王邸(かがみのおおきみのやしき)の中の一室を与えられた男は、刀を解き、冠を外してごろりと床に寝転がった。侍女が灯していった灯がぼんやりと部屋の調度をうつしだしている。質素だが質のいいものだった。鏡王の人柄を現しているようであった。
続きの間に寝具が敷かれている。客人を迎える時、そばには世話をする見目のよい侍女がはべらせるのが、貴族達のもてなしなのだが、そういった侍女を差し向けないところが、また鏡王の性格を現していると男は思った。もちろん差し出されたところで、丁重にお断りをするつもりではあったが。
体が鉛のように重く疲れていた。だがまだ眠くはなかった。
考えなければならぬことが多すぎた。
しかし、何を考えればいいのだろう。
体だけではなく、心も疲れているのかも知れないと男は思った。

男の耳に水音が聞こえた。それが繰り返し寄せる湖辺のささ波だとわかったのは、部屋の鎧戸を開けて庭先を見てからだった。
この屋敷に入るときには気が付かなかったが、鏡王のこの邸は高床式の造りであった。湖面に下るなだらかな傾斜地に建てられており、今、男がいる部屋は庭先から一層分高い位置にあった。
部屋の前の回廊は湖面へと突き出した舞台へとつながり、舞台の中央に庭へ下りる(きざはし)が設けられている。竹や低木が植えられ、砂地や苔むした景石や、湖面に流れる小川などを配した庭は、驚くほど調和のとれたものであった。この淡海の湖そのものを取り入れたような造りの庭であった。
男は知らずのうちに回廊を歩み、舞台へと立っていた。
比叡山の上に満月が出ていた。
月明かりで湖面のささ波や、岩に生えた苔が光っていた。
どこまでも青く透明な景色であった。
男の口からため息が漏れた。
これほどの庭をいまだ見た事がなかった。自然と人工の美であった。
湖面にうつる比叡山。

水鏡(みずかがみ)か…」 

この地を都に。それは大それた発想だろうか。
淡海は近淡海と呼ばれる交通の要の地である。丹波や越前、東国に通じる街道が交差し、南へは飛鳥の都に通じる。湖を北に進み、陸に上がりひとつ峠を越えればすぐに北の海へと出る。海を渡れば半島(新羅・百済・高句羅)への行程は陸路を使うより早い。              
鏡王が言うには、この地は遠浅故に小舟しか岸に着けない。港を持つ都を考えるならもう少し西の大津が良いとのことだが、もし永続的な都を造るなら蒲生野において他ならない。問題は港や護岸を造る時間があるかどうか。
息長系であろうとそうでなかろうと、この地が重要である事にはかわりない。山で囲まれているこの地は街道さえ塞げば天然の要塞にもなり得るのだ。

男は階から庭に下り立った。砂地がほどよい硬さで締め固めてある。歩く度に水の匂いが肺を満たす。ささ波が疲れを癒すかのように心地よく聞こえた。

この地を都に。

男はまた思った。鏡王は知らないかもしれない。飛鳥にしか基盤をもたない群臣達のほとんどが遷都に反対している事を。息長系でさえ難色を示している。息長が渋っている理由はわかっていた。この案が、ほかならない自分から出たからだ。主導権を握られるのを恐れているのだ。
しかし大王家に近い鏡王が遷都に賛成すれば風向きがかわる。男はそう思っていた。政治に関わらずひっそりと暮らす鏡王であったが、それ故に鏡王の一言は大きいはずであった。
そんなことを考えているうちに、男は湖辺に立っていた。葦原が右手につづき、松の林が左手に見えた。迷いもなく、湖辺にそって左へと歩みを変えた。
打ち寄せる小さな波が、光って小さな泡となり、消えていく。
そこに水がはねる音を聞いた。
ささ波の規則正しい音とは異なっていた。
男は腰に手を置いたが、刀を屋敷に置いてきた事を思いだした。舌打ちする。しかし水音は不用意に何度も続いた。もし自分を狙う者ならば音はたてまい。男は警戒を解き、音の方へと足音を忍ばせて向かった。

松林の影の向こうに、白いものが見えた。水際に立つ白い衣を着た女であった。膝まで湖につかり、湖面の水をすくい上げては両手を伸ばし、水を細い滝糸のように湖面に戻している。
ゆっくりと繰り返される動作は神秘的でさえあった。
濡れた白い衣が、月明かりを浴びて青白くその姿を浮き上がらせている。水の糸は、月光を浴びながら白い手からこぼれ落ちる。まるで月の滴を両手で受けとめ、それを湖面へ流しているかのような、そんな光景だった。
男は自分が今見ているものが、現世のものとは思えなかった。鏡王の邸から見た光景も夢のような美しさなら、この女人の姿もまた夢のようであった。昼間見た、あの蒲生野の水辺の女人であった。
これは昼間の続きか。いや、昼間の夢を見ているのか。踏み出した一歩に女が振り向いて自分を凝視するのだ。
再現するかのように、女が動きを止め、男の方へ首だけ向けた。
しかし男は昼間とは違う言葉をかけていた。
「また会った」
昼間は見てはならぬものを見てしまったという感であったが、今は開き直る事ができた。
「おまえは何者か」
質問とは裏腹に男の口調は穏やかであった。
「近つ淡海の水の精か。それとも月の化身か。天に帰る羽衣を無くした天女か」
「人には見えませぬか」
涼しげで透きとおった女の声が答えた。昼間聞いたその声であった。
「人でないと思った方が、現実味があるのでね。この手で触れて見れば、また人とも実感できようが」
松の枝を手で押し退け、男が一歩だけ水際に近づいた。
「人と妖かしの間にどれほどの差異がございましょうか」
「なるほど、確かに差異はないかもしれない。実を言うとどちらでもいい。人でも妖かしでも」
夜、人のいない場所で見知らぬ男に対するには、女の態度は驚くほど冷静であった。男の方にも今どうにかしようと言う魂胆があるわけでもなかったが。
「名を何という」
「名を聞いてどうなさいます」
「次に会ったとき、呼びかける事が出来る。便利であろう。名とはそういうものだ」
「次に会う事がありましょうか」
「なければ探す。そのためにも名は必要だ」
手強い相手だ。と男は思った。問いに素早く切り返してくる。が、不思議に不快ではない。
女は男を見つめたまま、はっきりと言った。
(かがみ)と申します」
「かがみか。各務原の各務か。香我美の里の香我美か」
「ただの鏡にございます」 
「おれは…」
男が名乗るのを、鏡は制した。
「おっしゃらなくても存じております」
「…ほう」
「はやり妖かしかとお思いになられましたか。それでも結構。人も妖かしも共に人が創り出すもの。わたくしはわたくしでございます。あなた様があなた様であるように」
鏡は間をおいて、男の名を口にした。
「そうでございましょう、林臣(はやしおみ)様。それとも蘇我大郎(そがのたいろう)鞍作(くらつくり)様とお呼びしたほうがよろしいでしょうか」
名を言い当てられた男は、鏡が岸に上がり、軽く会釈をしながら松林の中へ消えていくのを、ただ呆然と見送った。

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