夢のはざま

鏡女王の物語【水鏡】連載中です。

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 ティスナの言葉を真に受け、サリエルは翌日また律儀に宮を訪れた。しかし、国王は風邪を召したと言われ、やむなく退出するしかなかった。
「サリエル様。どうしてもっと強行にでないのですか」
 腹心の部下がこそりと訴える。サリエルは黙ったままだ。
 サリエルに同行したエドアルドは、そんなやりとりを聞いていない振りをしながら、宮の中を伺っていた。サリエルの考えはわからない。今日連れてこられた意味も不明だった。しかし宮の中にラティアの姿を見つけられたら、それだけで大きな収穫となる。
「カルマール殿、如何した」
 広間や庭に目を走らせていたエドアルドはサリエルへ向き直った。
「いえ、物珍しいものでつい」
「それにしても寒すぎますな、ここは」
 サリエルの部下がむき出しにしている腕をさする。
「サリエル殿の領地は南のほうでしたか」
 エドアルドの問いに、ええ、とサリエルが答えた。
「美しいところだ。夏は暑いが冬は過ごし易い」
「こことは反対ですね」
「落ちついたら領地へ招待しよう。花々が咲く頃、人々は陽気に歌い、この世の楽園となる」

数日通いつめたサリエルは、ようやくティスナに呼ばれた。
「陛下のお風邪はしつこくて、なかなか起きあがる事ができません」
「無理はなさらぬ方がよいでしょう。朝晩の冷え込みはこことくに激しい」
 庭を歩きながらティスナは頷いた。ティスナの侍女達とサリエルの部下は、それぞれ距離をおいて二人を見守っている。だが会話が聞こえる距離ではなかった。
「ティスナ様もお体には充分お気をつけになりますよう」
 またティスナは頷いた。
「何かわたくしに出来る事がございますか」
 サリエルの言葉にティスナは歩みを止めた。
「あなたの望みは…」
「サリエル殿。何を申されます。わたくしはただ陛下のご回復を願うばかりですのに」
「では率直に申し上げましょう。何故、陛下の病状をお隠しになられます」
 ティスナの目が一瞬だけサリエルに向いた。
「陛下はお風邪を召したのだと申しましたでしょう? 何も隠してはおりません」
「何故呪詛を」
「わたくしは何も知りません」
「それほどまでにしてキアヌ様を王位につかせたいのですか」
 サリエルの問いはティスナの答を全く無視していた。軽くかわされればかわされるほど、サリエルはそれが問いに対する答えと思った。
「王位などに興味はありません。それに…」
「それに」
「キアヌには王たるものの資格はありません。…それはサリエル殿が一番知っているはずではありませんか」
 震えた語尾が、ティスナの本心だと伝えていた。
「やはり、そうでしたか…」
『やはりまだこの方は忘れてはいないのだ』とサリエルは音の無いため息をついた。
 国王の寵を受け、誰もが羨む生活を地位を得ているのに、それはこの人にはなんの価値もないものだったのだ。この十五年の歳月をこの人はひとりで戦っていたのだ。
「いま一度申し上げます。わたくしに出来る事は」
 ティスナは顔を上げて遠くを見つめたまま言った。
「あなたは、あなたの役目を全うなさいませ」
 侍女を引き連れて去っていくティスナを、サリエルは片膝を折って見送った。
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 タニアからの使者が来ていると告げられ、ティスナは眉をしかめた。国王オルギウスの状態が外に漏れているとは思えない。皆、変を感じているのだろうが、表だって口にする者はいない。噂は早馬よりも早いと言われるが、それでもタニアに状況が伝わったとは思えなかった。
 ティスナは衣服を改め、使者の前に姿を現した。
白髪が混ざった頭を下げひざまずく人物。
「サリエルどのか」
「お久しゅうございます。ティスナ様」
 サリエルは一旦頭を上げたが、視線は床に落としたままでまた首を垂れた。
「陛下はお休みになられています。なに用で参られましたか」
「ご機嫌伺いにございます。陛下ならびにティスナ様におかれましては、ますますご健勝のことと存じ上げます」
 無粋は武人なだけあって、サリエルの礼は型どおりであり、言葉尻から本心を見抜くことは困難であった。サリエルの本意を測れないのは疲れているせいもあったが、ティスナは疲労を理由にしたくはなかった。
「コーツウェルはもう秋。今の時分に来たところでなんの意味も無いところです。まさか避暑に来たなどと言うつもりはないでしょう?」
 ティスナの言葉に、サリエルは心持ち顔を上げた。
「北の国境でトルキット族の一群を見かけたとの報告がありました。国境の警備の見直しと視察をメルキオ殿下から仰せつかりました」
「そう言う話は陛下を通すのが筋ではないのですか」
「陛下の意向を伺うようにとの事でございます。ここコーツウェルにも賊が入った由、微弱ながらこの件につきましてもお役に立ちたいと存じます」
 ふ…っ、とティスナは心の中で笑った。
「陛下には明日お話になりますように。先ほども申しましたが、今日は既に休まれています」
 立ち去ろうとするティスナの背中に、サリエルは声をかけた。
「ティスナ様」
 立ち止まるティスナ。
「しばらくゆっくりしていかれませ。陛下は夏の疲れでここ最近はあなたの苦手な晩餐会も催していません。余計な気苦労に煩わされることもないでしょう」
 サリエルの呼びかけを無視して、ティスナは去った。残ったサリエルはティスナの衣擦れの音を聞いた。
『それにしても』
 国王がまだここに滞在しているというのに、この北宮の寂しさはどういうことだ。とサリエルは思った。宮廷夫人達のきらびやかな笑い声や、臣達の重々しい足どりはまったくなかった。派手好きなティスナもこの様子に気が付いていないようだ。
 ここに来るときにも数回見かけたが、タニアや自分達の領地に戻る貴族達が日に日に増えているようだった。
「陛下はこのところお姿を見せません」
 そう漏らしていた侍女の言葉はサリエルに重大な意味をもたらしていた。
「陛下はご病気か」
 ただの病気ではあるまい。北宮には漠然とした寂寥感はあっても緊迫した緊張感は感じられない。陛下が病だとすると、隠さなければならないほど重体なのではないだろうか。
 サリエルは自分の兵がいる北の外れの牧草地に、従卒らとともに馬を走らせた。

 エドアルドは街を避け、街道を迂回しながらラースローの屋敷に向かっていた。まさかまだアリアが残っているとは思えなかったが、消息は掴めるかも知れないと思った。
 北宮に行ったサリエルは相変わらず何も喋らない。それならそれでこっちも自分なりに行動するしかない。
 屋敷が見えてきたところでエドアルドは屋敷の背面につながる林に入った。木々に日光を遮断されるとさすがに肌寒くなる。コーツウェルは秋をすっとばして今にも冬に入るのではないかと思うほどだ。
 林の中に馬を繋ぎ、足音を忍ばせて屋敷の様子を伺う。窓も扉も閉められており、馬屋にセレスはなかった。
「行ったか」
 ほっと胸をなで下ろす。ここを去ったのならいい。エドアルドは落ち葉を踏みしめて引き返した。

 ラースローを宮まで送り、街に戻ったアリアは買い出しの為に馬車を止めた。初めてこの街に訪れた時に比べると、人の数が目に見えて減っていた。
「いつまでここに宮を置く気なのだろう」
 そんなことを考えてみる。それは自分はいつまでここに居る気なのだろうという自問でもあった。と、騎馬兵の一団が通り過ぎた。今までに見た事もない甲冑と旗を携えていた。
「どこの兵だ」
 遠巻きに見る民衆に混じって、アリアも彼らを目で追った。
 ラースローが毎日出仕している事、オレアルが屋敷を襲った事。それにこの兵士。ラースローは言った。もじきここから出て行くことになるのだと。北宮での異変は深刻なものであることは容易に察しがついた。だから、ラースローの怪我の理由だけではなく、こうして送り迎えをしているのだ。馬車にはある程度の荷はまとめてある。その気になればここから脱出する事もできる。
 アリアはいつものように食料を馬車に積んで、帰りの時間まで街で暇をつぶした。いったい自分はどうしたいのか。そんな自問を繰り返しながら。

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 コーツウェルへ向かう前、エドアルドはタニアの街を歩いていた。ラティアの事が気になった。コーツウェルにラティアがいた理由を、カルロスから聞いてた。自分の身代わりになって、責めを受け、ティスナが人質として側においたという。ならば、あの北宮襲撃で立場を危うくしていないだろうか。キアヌ王子と親しい様子だったが…。もし逃げだせたとしたら、タニアに戻っているかも知れない。戻っているとすればアリアももしかしたら。
 足はあの娼館に向いていた。夕暮れ前の時間ならば客もいない。裏からまわれば様子が確かめられる。
 カウンターの異人はいなかった。仕方なしに女主人を捕まえる。
「あんたたちのせいで商売あがったりだ」
 女主人はエドアルドを睨み据えて言った。
「どうかな。ラティアのおかげで前より客が増えたんじゃないか」
 黙ったところを見ると、的を得ていたかもしれない。実際ラティアが捕まったところを見ていた観衆のうわさで、ティスナに刃を向けたラティアは街では英雄扱いされていた。何を勘違いしたのかこの店が反政の隠れ家と思い込んで仲間に入れてくれと頼み込む輩もいた。
 タニアに残っているのがメルキオ派だと言う事で、店は取締も受けずに繁盛していた。
「ラティアは戻ってきたか」
「知らないよ」
「異人の姿が見えないが」
「あの男も一緒に捕まったんだよ。あとは知らないね」
「アーリアンは訪ねてきたか」
「知らないったら。あんたにうろうろされたら今度こそ危ないんだよ」
 女主人は掴まれていた腕を振りほどいた。
「頼みがある」
 そういうエドアルドに女主人は背を向けた。
「もしラティアがここにきたら、しばらく匿ってやってほしい。礼は充分にする。この店をもっと有名にしてやる」
 腰に手をあてた女主人が首だけ横を向けて言った。
「どうやってあんたに連絡をつけるんだい」
「おれはタニアから離れるが、また戻るつもりだ。その時はこの店も大手を振って客を呼べるようになるだろう。連絡はおれのほうからする。妙な真似をしたら、命はないと思え」
 こんな事を平気で言える自分にエドアルドは驚いていた。だが言ってしまえばなんともないことだった。カルロス・モドリッチが言ったのはこのことだったのか。
 エドアルドは自分の知らない自分がいることに戸惑った。女主人に言ったのは本心だ。もしラティアに何かあったら、もし自分を陥れる事があったらこの女を許さないだろうとエドアルドは思った。しかし、迷いが本当に吹っ切れたようにも感じられなかった。

 翌日、エドアルドはサリエルの軍と共にタニアを発った。サリエルはエドアルドを見たが、何も言わず指揮下に編入させた。客人扱いだった。兵を持たず、しかし上官も持たず、指揮系統はサリエルの直下にあった。煩わしさを予想していたが、この待遇にはエドアルドも肩をなで下ろした。自由を与えられたも同然の立場だった。
 名だたる騎士達の顔ぶれを見る度に、バルツァ家の軍事力をエドアルドは感じない訳にはいかなかった。オリシスが心配しているのはこのことかも知れないとエドアルドは思った。もしこの軍がメルキオではなくオルギウスの側だったら、とうていメルキオ殿下に勝ち目はない。
 だからといってメルキオ側であるという確証もなかった。
 ナミールでの出会いを口に出さないサリエルの真意をエドアルドは図りかねていた。オリシスの件も持ち出さない。すでにメルキオ殿下から聞いているかも知れないが、これから起こる事に対しての意見もサリエルは黙ったままだった。
「父にどこか感じが似ているな」
エドアルドはなにとはなしに思った。
 父エルネスト・カルマールも最後まで自分の考えを言わない人物だった。だから誤解されることも多かった。物事は過程ではない、結果だと父は言わずに語っていた。
 サリエルの態度はエドアルドに父を連想させた。だがサリエルの求める結果とは何なのか、それは掴めなかった。
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 タニアの王宮の広間に並んだ貴族や騎士達。全ての目がひとりの男に注がれていた。
 エドアルドは広間の真ん中を胸を張って進んでいた。まわりのざわめきが背を萎縮させる。だが負ける訳にはいかない。ここの連中が相手ではない。この先にいる、あの扉の向こうの人物なのだ。
『おれにはあの親父の血が流れている。誇りにしていい』
 と自分に言い聞かせる。ここでやらなければ父の思いもオリシスの信頼も裏切ることになる。
 広間の奥の扉が開かれた。
 窓辺にたたずむ長身の影。質素だが高価な服を着た四十前後の、メルキオ王太子。
 空気が一変したような気がした。この存在感。誰にも今まで感じた事がない。これがこの国を継ぐ人間なのかとエドアルドは思った。
「エドアルド・カルマールでございます」
 派手な恰好のカルロス・モドリッチが大げさな礼をした。エドアルドは片膝をついて頭を下げた。
「エルネストに似ているな」
 低くよく通る声が響いた。
「正面からくるとは思わなかったが」
 メルキオの視線を感じたカルロス・モドリッチが肩をすくめてみせた。
「本題に入ろう。何の用でここへ来た」
 何の用で来たはないだろう。とエドアルドはむっとした。ここに来させるような事をしたのは、他でもないメルキオ殿下ではないか。
「オリシス・ワイナーは深手を負いましたが、回復に向かっています。まだ動くことができないためにわたくしが代わりに参りました」
 正面から来たのには訳があった。これでメルキオはエドアルド親子を無視できなくなる。捨て駒で扱いされるのはうんざりだった。これはカルロス・モドリッチから出た案でもあった。タニアでのティスナ襲撃事件も堂々と表に出る事で疑いをつっぱねることもできる。エドアルドはここにいる。捕まえたければ捕まえにくればよい。
「コーツウェルの北宮が賊に襲われました」
「その報告は受けている」
「襲ったのはわたくしです」
「なにっ?」
 メルキオはエドアルドにつめより、剣の鞘でエドアルドの顎を上げた。
「そのほう…、今がどういう時期か知っているのか」
「承知しております。軽率な事をしたと思っております。ですが、これで警護の強化ということでコーツウェルに軍を送り込む事ができます」
 メルキオはエドアルドを睨みつけていたが、剣を引いた。
「父王が猜疑心を募らせていたらどうする」
「これは予測でしかありませんが、賊とは別な何かがコーツウェルで起こっていると思われます」
 ナミールでの呪詛は失敗に終わった。ラースローとオレアルはコーツウェルからの早馬でとるも取りあえずナミールをひきはらい、急いで山を下りた事。もう一歩でマテオ様を死にいたらしめるとわかっていて、たかが賊ごときでティスナがあの二人を呼び戻すとは思えない事。となればティスナかキアヌ王子か、国王陛下の身に何かが起こったと思うのがオリシスの予測であった。
「恐れながら、メルキオ殿下に不信感を持っていれば、これを機に陛下はメルキオ殿下を捕らえるでしょう。しかし襲撃から今までコーツウェルの動きは鈍い。そうできない何かが起こったとみるべきでしょう」
 しばらく考え込んでいたメルキオは、ふと顔を上げた。
「サリエルをナミルから戻せ。コーツウェルに向かわせる」
『まずいな…』
 サリエルの動きには疑問がある。とオリシスが言っていた。
 なぜサリエルはナミールに来るのが遅れたのか。人知れず送ったはずの使者がタニアに着かなかったのは? 考えすぎかもしれないが符に落ちない点が多い。オリシスを探していたようだとエドアルドが言うと、「生死を確かめているだけかもしれない。エドより先に探し出されていたら…」と静かにオリシスは言っていた。
「わたくしも、どうか勅命を」
 オリシスの読みではカルロス・モドリッチがコーツウェルに行くはずだった。カルロス・モドリッチは近衛で王族直属の兵だ。
 サリエルは国一の武将ではあるが、私兵にしかすぎない。
「そのほうが行ってどうする、エドアルド」
「ことの成り行きをこの目でしかと見届けたいと思います。それにはオレアル、ラースローの動向を追うのが最も道理に叶うかと存じます」
「また勝手に事を起こすつもりか」
 メルキオの表情は冷たい。
「もしオリシスがいたらどのようになさいます。オリシスが動けるようになるまでのつなぎでもいい。わたくしをオリシスと同様お使い下さいますよう、どうかご命令を」
 図々しい若造と思われたかもしれない。オリシスほどの才覚があるとは自分でも思っていない。だがここでオリシスの看病を続けていてもしかたがない。カルロス・モドリッチにはオリシスの居場所を知らせてある。猟師達への礼もついでに任せた。それに自分の面は割れていないはずだ。
「よかろう。サリエルの軍に所属せよ」
 メルキオはそう言って姿を消した。

「エドアルド。大丈夫なのか」
 カルロス・モドリッチがひざまづいたままのエドアルドのそばに来ていた。
 顔を上げてエドアルドはカルロス・モドリッチを見上げた。所属は違うが、何度か以前の戦いで顔を会わせた事のある人物だ。派手好きで態度も鼻につくことがあるが、憎めないやつだと以前の自分は知っている。
「オリシスなら持ち直している。いまなら動かしても問題ない」
「そうじゃない。貴公の事だよ。コーツウェルに行って何をする」
 エドアルドは立ち上がってマントの裾を正した。エドアルドのマントはここではあまりにも粗末で見劣りのする代物だったが、宮廷で着飾る趣味はカルマール家にはない。己の恰好をエドアルドは恥じてはいなかった。
「妹がいる。もうコーツウェルを出ているとは思うが、気になる。それに…」
 エドアルドは身をひるがえして歩きだした。
「オレアルだけは見逃せない。あいつの所行を必ず突き止めてやる」
「オレアルなら、最近タニアで見かけたっていう話しだが」
「新たな工作か」
「いや、メルキオ殿下寄りの臣たちに近づいているようだ。懐柔しているようだが相手にはされていないと聞く」
 ふむとエドアルドは考え込んだ。
「それならなお好都合だ。悪いがあいつの動向を見張ってくれ。誰かを使って話しに乗る振りをする。相手にされていないならオレアルはかなり焦っているはずだ。そこをうまく利用して情報を引き出させる」
 カルロス・モドリッチもピンときたようだ。オレアルはティスナからメルキオへ乗り換えようとしている。
「あの男にはあんまり近づきたくないんだが」
 そういうカルロス・モドリッチの顔にはいたずらっぽい笑みがある。
「オレアルが寝返るほどの何かがコーツウェルで起こっている。それを確かめに行く」
 エドアルドの横顔をカルロス・モドリッチは見た。
「貴公は恐ろしいやつだな」
 カルロス・モドリッチが言った。
「オリシスは最後の最後で情に流される悪い癖がある。だが、貴公は初めは呆れるほど迷うが、決心が付けば怖いものがない。最後まで貫く意志があるように思う。いいか悪いかは別にしてだ。今まで誤解していたようだ」
 カルロス・モドリッチが右手を差しだした。その手を取り、一瞬強く握る。
「サリエルの兵士にいじめられないように。健闘を祈る」
 カルロス・モドリッチは笑ってエドアルドを見送った。
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 ラースローの馬の蹄が聞こえた。石段に腰を下ろしていたアリアは立ち上がり、馬の世話をして馬屋に入れた。ラースローはそんなアリアを黙って見つめていた。
「なにをぼーっと立っているんだ。中に入って着替えたらどうだ」
 アリアはぞんざいにラースローに言う。しかしラースローは動かない。月明かりでは良く見えないが、ラースローの顔色は青白く、腕には血が滲んでいた。
「痛いなら痛いと言えばいいだろう」
 アリアはラースローを連れて椅子に座らせ、シャツを脱がせた。巻き付けてある布は解け、傷口が開いていた。
「まったく、知識はあるくせに自分の体の事も解らないのか。片腕を無くしたいならそうするぞ。この傷に効く薬はどれだ」
 ラースローは瓶の色と特徴を述べ、アリアが布と薬を持ってくる。傷口を洗い、薬を塗ると、ラースローは眉をしかめて腕に力を入れた。
「お主がつくった薬だろう。なら今度はしみない薬をつくるんだな。それが出来ないなら怪我をしないことだ」
 口調は乱暴だが、手は優しく布を巻き付ける。
「宮廷でお主の具合を心配してくれる女人はいないのか」
 ラースローは答えない。
「誰かひとりぐらいはこの出血に気が付いてもよかろうに」
 答えを求めるわけでもなく、アリアはひとりで喋りながら服を着せた。
 この時間まで寝ずに帰りを待っていてくれたアリアに、暖かさを感じたラースローだが、アリアはあれからも寝てはいないようだった。
「眠れないのか」
 熱い茶を煎れるアリアにラースローは言った。アリアは首を振った。アリアの首の筋が浮きだって見えた。アリアはラースローが見てもわかるほど、やつれていた。
「自分の体調も解らぬようでは、人に大きなことを言えんな」
 ラースローの反撃にアリアは静かに笑い、
「この世はまるで夢のようだ」
 と答えにならないような事を答えた。
 秋の虫が鳴き始めている。寝易くなった近ごろだが、アリアは夜の訪れが悪夢の始まりのように感じていた。もう悪夢は見ないかも知れない。だが眠りはアリアを不安にさせる。
「夢と夢のはざまに見る、また別の夢だ。生きていることに実感がわかない」
 敷地の向こうに広がる農地。もうじき刈り入れだ。金色になりかけた穂が風になびいて、月明かりに様々な陰影をかもし出す。アリアはこの美しい風景も全て現実のものとは思えない時がある。
「おまえが望むなら、あの夢を見ないようにさせることもできる。だが…」
 ラースローが一旦言葉を切り、続けた。
「エルネスト・カルマールに」
 アリアの心臓が音を立てた。そう、この男は父親を殺した。避けていた話題。
 父を好きだったが、まとわりついてもっと嫌われるのも嫌だった。だから父とは距離をおいていた。時折みせるあの苦悩の瞳を見たくはなかった。
「…頼まれた伝言がある。もっと早くに言うべきだったかもしれん」
 父の伝言? アリアはラースローをあおぎ見た。
「剣を振りかざしたおまえの父親に術をかけた。己の思いだしたくもない過去を見させる術だ。たいていの者は心が壊れる」
 この屋敷に押し入った家令に使った手はそれだったのかとアリアは思った。
「しかしおまえの父親は息子や娘の未来だけを見ていた。つらい過去よりも心を残す者達の未来を案じた。わたしの術にはまらない人間は後にも先にもあの男だけだ」
 アリアは父を思う。元凶になった自分を疎んじていると思っていた。だから本当は手柄をもう一度立てるためにメルキオ殿下に組みしたのだと思った。
「兄上と私の未来?」
「その隙が命を奪った。オレアルの兵士が矢を一斉に放ったのだ。言い訳する気はない。そうなるように術をかけたのはわたしだ」
 息も絶えだえのエルネスト・カルマールはラースローに手を伸ばした。とどめを刺そうとする兵士を制してラースローは膝まづき、カルマールを抱き起こした。
「貴殿には何の恨みもない。命を狙った事、許せ」
 カルマールは確かにそう言った。
「他に言い残す事はないか?」
 ラースローが聞くと、カルマールは頷いた。
「もし、息子達に会う事があったとしたら、…その時は、きっと、わしと同じ目的なのだろ…う。機会があったら、伝えてほしい。わしは恨みを抱いたまま死んだのではなかったと。恨みで人生を縛るな。自由に、生きろ」
 最後までしっかりした口調だったが、言い終わると力尽きたように息を引き取った。
 アリアの頬に自分の涙に気が付いた。こぼれ落ちる涙を拭わずに肩を震わせた。父は自分を恨んでいたのではなかったのか。これは父の愛だろうか。あの父が…。
「父上…」
「おまえの痛みも苦しみも、アリア、おまえのものだ。決して安易に手放すな。手放せば、この先訪れる幸運にも気づくことなく見過ごしてしまうだろう。しっかりと胸に抱えて生きていけ。…おまえの父親が言葉にできなかった思いだ」
 ラースローが言った。アリアは声を上げて泣きたかった。涙が止まらない。
「夢と夢のはざまにあるは、生きているという現実だ」
 声もなく、ただアリアは頷いた。
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「少し休まれたら如何です」
ラースローがちらりとティスナを見やって言った。
 国王オルギウスの容態は良くも悪くもならなかった。
「脳につまった血は取り除けないのですか」
 ティスナはラースローの言葉を無視して聞いた。
 その問いにラースローは首を振る。人体を切り内部を処理するのは未知の領域だ。今の技術では外傷を縫合するのが関の山だ。外傷のないオルギウスに施す治療は、流し込む食事を気管に詰まらせないようにすること。そして何かを絶えず話しかけて反応を診ることだけだった。  
「信用できる侍女はいないのですか。わたしは倒れたあなたまで診る事はできません」
 ラースローの言葉に顔を上げるティスナ。
「冷たい言い方ね。でもいいわ。わたくしだってあなたの治療は受けたくないもの」
 共謀者として必要なのは信頼ではない。お互いの目的を最大限に利用する知恵だけだ。ラースローやオレアルが己の保身のため、自分に何をするかわからない。ティスナはそう思って笑った。
 まだ私にはやることがある。まだ終わってはいない…。
「信用できる侍女はいなくてもいい。忠実な何も考えない者がいればいいのです」
 ティスナはそう言いながらもひとりの娘を思い浮かべた。黒髪の豊かな美しい娘。
 ラースローはそんなティスナを見て、訝しげに眉をしかめた。
「それではわたしはこれで。また明日参上いたします」
「オレアルはどうしました? 最近姿が見えないようだけど」
 出ていこうとするラースローにティスナは思いだしたように言った。
「存じません。領地に帰ったのでは? でなければタニアとか」
 そんな許しを出した覚えはない。しかしラースローの言うことは当たっているかも知れない。ティスナはレースのハンカチをちぎれるほど握りしめた。
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 オリシスの容態はかなり安定してきたようだった。
 エドアルドは猟師に頼んでふもと近くの小屋にオリシスを移した。もうしばらくしたら起きあがれる事もできるだろう。だが当分は派手な運動はできない。
 外の見回りから帰ってきたエドアルドは剣を解き、弓と上着をぬいでオリシスの様子を見た。エドアルドに気が付いたオリシスは起きあがろうと身じろぎする。
「まだ無茶はするな」
「…」
 ラースローとオレアルを討ち損じた事は、猟師達の話から推測できた。シモーナは戻ってこない。それもこれも皆、自分がつまらない猜疑心に悩まされてのことだとエドアルドは思った。
「傷はつき始めている。ここで動いたら、また開くぞ」
 オリシスは大きく息を吸い込もうとしたが、息をするだけで激痛が走る。諦めて目を閉じた。
「野兎を取って猟師に渡してきた。今夜はうまいスープが食える」
 オリシスの傷に薬草を巻く手はしっかりしていた。エドアルドのたくましさをオリシスは思った。 
 夕食を食べさせ、汗を拭いてやりながら、やつれた青白い顔のオリシスの顔をエドアルドは見つめた。
「オリシス」
 オリシスが薄目をあける。
「すまなかった」
 エドアルドは頭を垂れ、手を組んでオリシスに呟いた。オリシスは眉をしかめる。
「おれに出来る事が今からでもあるなら言ってくれ。おまえは動けない。元はと言えばこれはおれがやらねばならない事だったんだ。アリアにそう言われた。すまない。こんなことになって」
「…アリアは」
「呪詛の方法を探すと言っていた。万が一失敗したときのためにと。だが、もうあの屋敷を出ているはずだ」
 ふうっとオリシスは短い吐息を漏らした。
「エドアルド」
 起きあがるオリシスに、エドアルドは今度は手を貸して助けた。
「言わなければならないことが、ある」
 息がきれるような声で、オリシスは少しずつ話しはじめた。

 半年前、エドアルドの父、エルネスト・カルマールと連絡をつけたオリシスは、カルマールの返答に驚いて聞き返した。
「まさか」
 カルマールがこの申し出に応じるとは思ってもみなかった。
 メルキオがカルマールの名を口にしたとき、オリシスは後悔した。その名を促したのは自分であるが、出来るなら関わらせたくはなかった。秘密理にカルマールを呼び出し、メルキオの意向を伝えたときも、断るものだと思いこんでいたのだ。いまさら何を言う、と。だから伝えたし、そう答えるのを期待もしていた。
 しかしエルネスト・カルマールは真剣な面もちで可と答えたのだ。
「考えても見て下さい。これは危険だ。もしかしたらあなたは捨て駒になる可能性だってあるんです」
 オリシスは自分が持ちかけた事も棚に上げて、カルマールを説得した。しかしカルマールは受けると譲らなかった。
 頭に白いものが混じり、口髭も以前よりは薄くなったカルマールだが、態度も考えも以前のように堅物で、これと決めた信念を覆すことはなかった。
「ただ条件がある」
 カルマールは出した条件にまずひとつ、家の再興をあげた。オリシスはその条件を意外だと思ったが、次の言葉を聞いて納得した。
「わしはもういい。このまま静かに田舎で生活するのがわしの生きる道だ。だが、エドアルドやアリアは、あの何もない生活から抜け出させてやりたい」
 エドアルドは親の欲目かもしれないが、いい青年になった。騎士の家に男と生まれたからには、世界で己の力を発揮するのが男の本懐というものだ。田舎に埋もれさせるには惜しい人材だと思う。もし成功したなら、メルキオ殿下が王位を継いだら、元の地位とは言わない、新王のもとで働かせてやってほしい。そこから家を興す事ができたら、あいつも立派な騎士といえる。
 アリアはこのまま閉じこめて枯れさせてしまいたくない。自分が思慮浅くおこしこと事件が、余計に娘を苦しめてしまった。娘が外に出られるようになったのも貴殿のおかげだ。できるならしかるべきところに養女に出して、そして貴殿に嫁がせたい。
「虫のいい話だと思っている。親馬鹿だと思ってくれてかまわない。迷惑なのも承知だ。オリシス殿、娘を貰ってはくれないだろうか」
 オリシスは返答に窮した。そう働きかける事はできる。アリアのこともいずれはと思っている。だがアリアに関しては本人がその事に心を閉ざしている限り、難しい。
「オリシス殿。すまない。今のは忘れてくれ」
「カルマール殿。今は無責任に約束する事は出来ません。問題は私ではなく、アリアの中にある傷です。いつかその傷が癒えたなら…。だが、これはこの任務とは全く別の問題です」
 カルマールはほっとしたように頷いた。
 もうひとつの条件は、失敗したとき子供たちに咎めがないようにしてもらうことだった。任務を引き続けさせる事もないように。これは自分が受けた仕事なのだからとカルマールは言った。
 が、結局オリシスの力が足りなく巻き込む結果になってしまった。
 オリシスはせめて今度は成功させるようにと、エドアルド、アリアと行動を共にした。がそれも今では危うい。

「許してくれ…」
 全てを話し終えたオリシスはエドアルドに最後にそう言った。
 エドアルドは膝に肘を乗せ、手を組み指をもてあそびながらじっと耳を傾けていた。
 父が自分から、それも息子や娘のために単身で。あの厳格な父が…家族のために。涙が滲んだ。厳しかった父。息子だろうが侯爵の跡取りだろうが分け隔てなく剣を教えた父。めったに笑う事がなかった父。アリアは父に愛されていないと思っていた。自分もそうだと思っていた。それは間違いだったのだ。
 そしてオリシスのことも勘違いしていた。
「謝るのはおれのほうだ。オリシス。おれはおまえにひどい事をした」
「いや…」
「ひどい事をした。おまえを信用しなかった」
 オリシスは首を振った。
「頼みがある。サリエルを知っているか」
「ナミールに来ていたが」
「彼を避けてメルキオ殿下に会ってくれ。カルロス・モドリッチならいい。渡りをつけろ。コーツウェルの状況を言って、軍を派遣させるんだ」
 コーツウェルの北宮に入った賊の取締りに軍を投入する。北宮とティスナの動きを封じる。
「わかった」
 エドアルドは夜が明ける前に小屋を出た。
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 ラースローは日が暮れて星が出てからようやく屋敷に帰ってきた。
 アリアは正面玄関の石段に座って月夜に咲き誇る野バラを眺めていた。アリアの横を通り過ぎ屋敷の中に入って行ったラースローは、しばらくするとまた出てきた。食事の用意はしてあったが、食べ終るには短すぎる時間だった。
 アリアの目の前に白っぽい粉の入った瓶が差し出された。
「これだ」
 何がこれなのだ。アリアはラースローから瓶を受け取ると、中の粉末を眺めた。
「あいつらが探していた物だ。もっともこんな形をしているとは思ってもみなかっただろうが」
 石段の手摺りにもたれ、ラースローが言った。自分だけがわかるような言い方をするいつもの口調だった。
「薬?」
 それとも毒だろうか。あの家令は屋敷に居るときもラースローの留守になにか捜し物をしていた。オレアルの手先であった家令。オレアルが欲しい物。
「呪詛の方法だ」
 驚いてアリアはその瓶を取り落としそうになった。
「これが?」
「おまえも探していたのだろう」
 そう。だが、呪詛の道具ならともかく誰がこんなもので呪詛を知ると思うだろうか。
「わたしがクレメンテから盗んだものだ。呪詛は口伝によって伝えるもの。書には記せない」
 アリアの頭では理解できない。この男は何を言っているのだ。
「クレメンテには替わりに犬の骨を焼いた物をおいてきた。実物があったところで呼び出すには相当の力のある者しか無理だろうが。おそらくわたしがこれを持ちだしたことをクレメンテは知らないだろう。騒がれている呪詛は毒殺とでも思っているかも知れない」
「骨? 呼び出す?」
「何百年も前に呪詛を極めた者を焼いた骨だ。反魂で呼び出して術を授かる」
「!」
 ラースローがいつか言っていた言葉をアリアは思いだした。死者を呼び出す方法。血や髪ならなおいい。骨は…もっと強力かもしれない。
「それを持って行け。オレアルが強行に仕掛けてきたのは、おそらく」
「裏切り…」
 呪詛の証拠を手に入れる。そしてそれを持ってメルキオ殿下側に寝返る。毎日ラースローが出仕しているのは、なにか北宮に異変があったのだ。ナミルでのことかもしれない。呪詛は失敗した。オレアルは保身を考えたのかも知れない。かりに寝返らなくても、呪詛を行ったラースローが生き残っていればオレアル自身も危うい。そして呪詛の方法が手にはいれば、べつにラースローが居なくてもかまわないのだ。
 ラースローは奥歯を噛みしめ、眉をしかめていた。
「お主はどうするんだ」
 アリアの問いにラースローは自嘲気味に笑っただけだった。
「アルマーシ公爵家の拝領か」
 アリアがずっと思っていたことだった。ラースローが呪詛に協力するのはきっと拝領の件がからんでいること。それがはっきりしないかぎりラースローはここを離れないだろう。もはや諦めているのかも知れない。殺せと言ったのは本心だったのか。
「軽蔑するか」
 ラースローが口端をゆがめながら言った。
「私もあいつらと同じだ。金や権力をほしがるあいつらと何の変わりもない。軽蔑しているやつらと同じ穴の狢なのだ。爵位などどうでもいい、あの世界を毛嫌いしているのに、いやだといいながらこだわっているのだ、自分の爵位を」
 ラースローの苦痛がアリアにもわかった。わかりたくないのにわかってしまう。この男はずっと孤独だった。カリスにいてもオレアルの所にいても、そして宮廷でも。誰もこの男の孤独を理解しようとはしなかったのだ。だからなおさらラースローは孤独だった。誰もがため息をつく容姿。恐れるほどの才能。それはラースローにとってはどうでもいいものなのだ。むしろ嫌悪していると言ってもいい。心の葛藤にもがき苦しんでいる。
 屋敷に飾ってある肖像画。きっとアルマーシ公爵家ゆかりの者達のものなのだろう。あの肖像画はラースローが確実にアルマーシ家とつながっていることを物語っている。しかしそれを言ったところで何の慰めになろう。
 アリアは静かにラースローに言った。
「お主が欲しているのは地位や爵位ではない。お主は自分が何者であるかだけはっきりさせたいんだ。拠り所を掴みたいだけだ。爵位はお主のたったひとつの鍵だからそう思うんだ。何者かはっきりしなければ、自分の価値が無いとでも思っているのだろう?」
 ラースローの瞳がアリアに向けられる。何かに縋るような子供の目。
「未来を予言してやろう、ラースロー」
 アリアはラースローの瞳を受けとめた。
「お主はこれからも、もしかしたら生まれ変わっても同じ境遇になるかもしれない。だが、どんなときも、どんな時代でも必ずそばに居てくれる者が現れる。お主を愛し、お主を必要とする相手が現れる」
 ラースローの瞳が見開かれる。
「だから決して自分を卑下するな。お主はもっと自分を評価してやっていい。今は私が保証してやる」
 いつも自分を卑下していたのに、他人にこんな事を言える自分がアリアには不思議だった。この男といるとなぜか生きる事に希望を持ちたくなるようなことを言っている。思いつきだったが、今言った事はどれも自分の本心だと思った。この男の心には闇がとてつもなく広がっている。このままではラースローは己の闇にのまれてしまうだろう。自業自得だ。王子や王女を殺し、父までを殺した。自滅してしまえばいいと思う。心の弱さが心の闇に負けるのだ。それがいやなら自分でなんとかすればいい。
 だが、初めて会ったときから、あの落馬したときから、この男は私に助けを求めてはいなかっただろうか。子供のようなわがまま。気むずかしさ。
 この男のしたことは許せないが、アリアは自分がこの屋敷に来たのはこの男を裏切るためだった事を改めて思った。
 裏切ろうとした。それが目的だった。それを責めたからと言って、この男に何の咎がある。
 ラースローは顔を背けて肩を震わせていた。泣くのは初めてというような背中だった。
 アリアは立ち上がり、瓶を持って庭に下りた。
 瓶の蓋を開け、中身をバラ園に撒いた。風が灰を運び、雪のように舞っていたが、そのうちにまた透明な闇が訪れた。
 ラースローはそんなアリアを見ていた。
「アリア…」
「私には用のないものだ。これを持って行ったところで誰が信じる。クレメンテに問い合わせる? 誰がそれを確かめる。こんなものは誰にも必要ではない。それに」
 透明の闇を見るアリア。
「骨の主もこれでやっと眠れるんだ」
「アリア」
 ラースローが手摺りから離れ、アリアに近づいた。お互いが向き合う。
「おまえに、…触れてもいいだろうか」
 かすれる声。アリアはびくっと肩を震わせた。思わずおびえた表情を見せたアリアに、ラースローは俯いた。
 ラースローのさらりとした胡桃色の髪にアリアは手を伸ばし、一筋撫でた。顔を上げるラースロー。アリアの手はラースローの頬に触れる。
 なぜ私なのだろう。なぜ私を。
 声にならなかったアリアの問いはラースローには通じた。
「…初めてだった。なんの見返りもなく手を差し伸べてくれたのは」
 落馬の時のことか。それまでもそれ以後も、ラースローに差し出された手は、どれも何かを要求していたのか。この屋敷に来た自分も含めて。それでも、カルマールの娘と知っていても、ラースローは、あの落馬を助けた時の私を見ていたのだ。
 ラースローが手を伸ばして、そっと触れるか触れない程度にアリアの体を抱いた。アリアの手がラースローの頭を抱き寄せた。
 自分も求めていたのかも知れない。自分を必要としてくれる者の存在を。
 アリアは自分の肩に乗せて泣くラースローの髪を優しく撫で続けた。
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 翌朝、屋敷中に散らばった死体を片づけた。近所の農夫に街へ行って貰い、警護兵を呼んだ。そう指示したのはラースローだった。
「被害は?」
「主人が腕に怪我をしたぐらいで、他は」
 ちらりと見やると、ラースローは自分で手当をしたのか、羽織った薄いシャツから腕に巻いた布が透けて見えた。
「これを全部ひとりでやったのか…」
 警護兵は死体を一体一体確認しながら呟いた。驚くのは無理ない。アリアの姿は15、6歳の少年にしか見えないのだ。アリアは天然のウエーブがかかった赤い髪をかきあげ、結び直した。ラースローが最後のひとりを切ったことは伏せておいた方がいいのかもしれない、と何気なく思った。
「心当たりは」
 とかなんとかラースローに聞く声がする。ない、とラースローの短い声。
 それにしても何者だったのだろう。武装はしていたものの、ひとり二人をのぞいては素人集団のようだった気がする。二人きりという屋敷の状況を見くびっていたのか。
 と、アリアの頭に引っかかるものがあった。
『こいつらは屋敷内にラースローと少年の自分しか居ない事を知っていた?』
 荒らされたのは書室とその奥。そしてラースローの寝室。ほかは殆ど手つかずだ。
 二階から運ばれてきた遺体を見て、アリアはそのひとりに目を見張った。
『この男…』
 辞めさせられた家令だった。あのときは薄暗くてよくわからなかったが、ラースローが差し貫いたのは家令だったのだ。
 運び出された死体は、馬車に乗せ警護兵達が引き取って行った。身元がわかるような物はなにもなかった。
 床に飛び散った血を拭い、敷物を洗って干す。荒らされた部屋の整理をしているアリアにラースローが声をかけた。
「適当にしておけ。もうじきこの屋敷から出ることになる」
 手を止めてアリアはラースローを見た。
「おまえもさっさとここから出て行け」
 口をききたくはなかったが、思わず声に出していた。
「あの男は何を探していたんだ。お主は知っているのだろう?」
 ラースローは無表情のまま「北宮に行く」と言った。
「今日ぐらい休んだらどうだ。馬に乗ると傷が開くぞ」
 だが、ラースローは口端をゆがませて出かけて行った。
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 馬が嘶く声。複数の足音。扉をこじ開け押し入り、物を落とす音。
 アリアは剣を取り、扉に耳をあてて階下の様子を窺った。足音から察すると、四、五人。いやもっといるか。音でラースローも起きたはずだ。だがラースローに攻勢を頼むのは無理というものだ。あの細腕で剣を握られるわけがない。
 そっと戸を開け廊下を見る。足音が中央の階段をあがってきた。アリアは急いで使用人用の扉のついた細い階段に入る。足音を偲ばせて階下の台所近くの扉の前で止まった。ひとりの足音が扉を通り過ぎ、台所へと向かっている。音がしないよう扉を開けて、足音の主の背後に出る。女であるはずはないとは思っていたが、やはり武装した男がいた。
 剣先を男の背中に突きつける。そのまま切りつける趣味はアリアにはない。それにどこの者か聞いても悪くはないだろう。 
「何者。この屋敷に何の用だ」
 相手は答えるかわり、振り向くと同時にアリアに切りかかった。が、かわしたアリアは相手の喉を狙い突いた。相手が先に手を出したのだ。敵意があるとしか思えない。とすれば身を守るだけだ。
 次にアリアは物音が激しい書室へと向かう。ひとりで倒せるだろうか。
 書室とその奥の部屋で、三人の男達が棚をひっくり返したり本を漁ったりしていた。何かを探している様子だ。単純な物取りならもっと金目のものがありそうな所を探すだろう。
 書室にいる男をまず切った。男が上げた奇声でほかの二人が気づき、書室に戻り剣を構えた。
 ひとりが切りかかる。剣をはじき返してアリアはもうひとりと対峠した。じりじりと回り込む。室内で剣を振り回すのは初めてだった。どう動いたら有利になるだろう。はじき返した男は背中にまわっている。
 背中の男の方が先にまた切りかかってきた。
 避けるアリア。宙を切った相手の剣はテーブルの足にあたり、鈍い音をたてた。すかさずもうひとりが剣を振り上げて向かってきた。ガキッと剣が合わさり火花が散った。さらにもう一度。相手の男の力強さに押されるアリア。汗が額に首筋ににじみでる。汗で剣を握る手があまくなる。
「ううっ…、やあーっ」
 満身の力をこめて、足と手で相手を押し返す。二歩下がって息を整えた。
『ここで時間と取ってる暇はない。二階の人間が下りてきたら、いっぺんには無理だ』
 アリアは両手を上げて切りかかった。胴を狙う相手の剣を予測し、横に振った剣を床に転がって交わし、そのまま足をなぎ切った。倒れた相手の男は自分の足が無くなったのに気づく前に、アリアにとどめを刺されていた。
 テーブルの足に剣を取られたままの男は、長剣をあきらめ、短剣で襲いかかってきた。逃げる気はないのか、必死の形相だ。短剣を両手に握って突き進んでくる男にアリアは本を投げつける。それでもかまわず突き進む相手を斜めに迎え討つ。あっけないほど簡単にその男は倒れた。短剣で大剣に向かう方が無茶なのだ。
 肩で息をしながらアリアは二階にあがった。ラースローの寝室に向かう。アリアの足音に気が付き、ラースローの部屋から廊下に飛び出したひとりを気迫で切り落とす。ラースローの寝室から光が漏れていた。
 中をのぞき込む。剣を構え、中に入った。
 ラースローはベットから起き上がり、一方をじっと見つめていた。
 アリアは胸をなで下ろした。まだ生きている。
 とラースローが見つめる方向をたどると、侵入者の最後のひとりが剣を構えたまま身じろぎひとつせずに立ち尽くしていた。
「?」
 様子がどこかおかしい。男の表情は恐怖を目の当たりにしたような驚愕したものだ。何におびえているのだろう。ラースローは丸腰だと言うのに。
 突然発狂したように男が叫びだした。そして、口から泡を吹きながらがくりと膝をついた。
 ラースローは男に近づき、男の握っている剣を取り上げ、背中に突き刺した。どさりと男は倒れ、絶命した。
 自分は今一体何を見たのだろう。あの男は病気か何かだったのだろうか。アリアは男のそばに立ってこちらを見ているラースローの視線に気が付いた。ラースローの目は冷たく、そして何かに腹を立てているようにも見えた。
 よく見ると腕に怪我をしたのか、ラースローの寝服は切れて血に染まっていた。
「どうした。いい機会ではないか。その血に塗られた剣で、わたしも切ればいい」
 皮肉に笑うラースロー。アリアはかっと頭に血を昇らせた。
「そんなに死にたいなら自分ひとりで勝手に死ねばいいっ。私を巻き込むな!」
 数人の血がべっとりついた剣をラースローの足元に投げ出して、アリアは部屋を駆け出していた。死体を跨ぎ、台所を通り抜け、裏庭にでる。井戸水を汲み、頭からかぶった。何度も何度も。それでも全身に浴びた返り血は消えなかった。
アリアはそのまま石畳に座り込んだ。悔しくて悲しかった。死にたいならさっさと死んでくれた方がよっぽどいい。なのに、あいつが生きている姿を見たとき、自分はほっとした。
 ふわりとやわらかな布が頭からかぶせられた。身構えて斜め後ろを見ると、ラースローが立っていた。
「毎晩そんなことをしていればかぜを引く。ろくに寝てもいないのだろう」
 アリアは布を乱暴に取り払い、ほおり投げようとして、そのまま握りしめた。
「夢を見るのが、こわいのか」
 振り向かずにアリアは体をこわばらせた。
「あれだけ強い夢はその気がなくても、他人を引き込む。おまえは…」
 ラースローがあの夢を見た? 過去を読み、呪詛を行うものなら可能なことだとアリアは思った。
「おまえには…悪い事を、した」
 ラースローはそう言うとアリアを残して立ち去った。
 あのラースローが謝った。過去を読むよりもっと信じられないような気がした。
 アリアは布を握りしめたまま嗚咽を漏らした。
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