夢のはざま

鏡女王の物語【水鏡】連載中です。

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 熱でうとうとしかけたとき、オリシスは馬の蹄の音に身を起こした。
『シモーナか?』
 だが天幕の方が騒がしい。 早馬か。 コーツウェルで何かがあったか。 それともサリエルが動いたか。 まさかアリアを捕らえるためか?
 自分に付いていた見張りの兵士も天幕の方に首を伸ばしている。と、その首に一筋の赤い線が走った。 声もなく崩れる屍。
「申し訳ありません。遅くなりました」
 シモーナがオリシスの縄を解いた。
「コーツウェルからの早馬のようです。 北宮に賊が入ったとか」
「なに?」
エドアルドか。
「今の内です。 逃げましょう」
「まて、いまが好機だ。 ラースローとオレアルを討つ」
「その傷では無理です」
 オリシスはシモーナが奪い返したオリシスの剣を左手で取った。
「今しかあるまい。 事は起こってしまったのだ。 おれのことが知れた以上…」
 だらりと右腕を下げ、洞窟へ向かうオリシスにシモーナも続いた。
「今は逃げる事です。 これでは」
「おれは死なぬ」
 天幕の外では馬に鞍が乗せられていた。 オレアルが支度をして出てきた。 ラースローを呼びに兵士が洞窟へ入る。 洞窟の入り口の茂みに隠れ、ラースローが出てくるのをオリシスは待った。 その間に手早くシモーナが肩の傷の手当をする。オリシスの肩は倍にも膨れ上がり、高熱を発している。 動くのもつらいはずだ。 これで戦えるというのだろうか。
 ラースローが姿を現した。 不機嫌な表情が見て取れる。 ラースローが背後を見せたところで、オリシスが飛び出した。 気づく兵士をまず切り捨てる。 肩に激痛が走った。
 シモーナが集まる兵士たちを引き受ける。
「ラースロー! 早く馬に乗れ」
 オレアルが叫ぶ。
「そうはさせぬ!」
 ラースローに切りかかるオリシス。 髪一重でラースローがかわし、その間にもオリシスのまわりに兵士が集まった。
「雑魚にかまうな、オレアルを狙え!」
 シモーナは短剣を抜き、オレアルめがけて投げつけた。 が、それは間に入った兵士の額に突き刺さる。
ラースローはその間に馬に跨っていた。
「行くぞ」
ラースローとオレアル、それに二名の付き人が馬の腹を蹴って走りだした。
「まて!」
満身の力を込め、囲む兵士を両断した。強い、と兵士が一旦怯むのを見逃さず、オリシスは馬の行く手を阻んだ。走り来るラースローの馬の足を切りつける。片足を無くした馬がもんどりうって倒れ、馬上のラースローがほおり出された。
「これまでだ。ラースロー!」
オリシスの剣が振り下ろされた。が、背中を切りつけた兵士がいた。その兵士の胴をシモーナがなぎ倒す。ラースローはひとりの付き人の馬を取り上げ、再び走り抜けていた。
「オリシス様」
膝をついて、何とか立ち上がろうとするオリシスをシモーナが支えた。
「ラースローは…?」
「しとめ損ないました。もはや逃げるしかありません」
シモーナはオリシスを抱えたまま、じりじりと後退した。煙幕筒を取り出し、松明めがけて投げた。松明ごと倒れ、数秒後に煙があたりにたちこめた。
 兵士達はせき込み、それでもシモーナの後を追ったが、すでに二人の姿はなかった。
 
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「なかなかしぶとい性格ですな。 ここで喋らなくてもこちらは勝手に理由をでっち上げられることが出来るというのに。 同じ事ならさっさと喋って楽に死んだ方がよかろう」
 勝手な事をほざくな。 と床に転がされたオリシスは思った。 侯爵家の子弟に対する扱いではなかった。 肩の治療もさせず、食事もさせず、眠らさせず、剣の鞘で打すえ同じ事を質問する。
「誰の命でここへ?」
 しかしオリシスは笑って答えない。 さらに打たれる。
「お主の望みはなんだ、オレアル伯。 金か? 地位か?」
「だったらどうだと言うのだ?」
「取り引きしないか。 おれにつけば、望みはかなう」
「たわけたことを、青二才が」
 オレアルは一笑したが、表情が変わったのをオリシスは見た。 オレアルの頭の中はしきりにどちらの天秤に自分が乗るか計算しているはずだ。
「考えてもみろ。 時間はあまりないはずだ。 それまでに企みは成功するのか? 保身を思うなら、今の内に別の道も確保しておいたほうが得策というものだ」
 オリシスが国王の歳のことを言っているのがオレアルにもわかった。 そもそも事を急いだのはそれが理由だ。 が、そう簡単に口車に乗せられないと思っているのかオレアルは無言だ。 さらにオリシスは言う。
「おれには仲間がいる。 おれが帰らなかったら陛下に全てが話される。 さて、陛下は本当にご存知なのだろうか。 このナミルで行われている事を」
 オレアルは素知らぬ振りをしようとしたが、表情が硬くなったのをオリシスは見逃さなかった。 ナミルでの呪詛は国王は知らない。全てがティスナが企てたものなのだ。 オリシスは確信した。
「…ほほう、面白いことを。 ではこちらも聞くとしよう。 陛下はご存じなのかな? 国王派と言われているワイナー家のご子息がこのような真似をなさっていること。 まるでメルキオ殿下の下での働きではと疑われてもしかた有るまい?」
 痛いところを衝かれた、とオリシスは舌打ちした。 オレアルも案外馬鹿ではない。 そんな発見が今は恨めしいばかりだ。 これ以上のことを気づかないように何を言うべきか。 しかしオリシスの不安は的中した。
「あのラースローの屋敷に入れた若い男。 あれは確かワイナー家の紹介だったな。 …ほう、なるほど、そう言うことだったのか」
 オレアルはにやりと笑ってオリシスの顎を剣先でしたたかに打ち付けた。
「見張っておけ。 明日の朝、処分する」
 オレアルはオリシスを残し自分の天幕へ戻って行った。 オリシスは空を見上げた。 うっそうとした木々が夜空を覆っていた。 肩が焼けるように熱い。 化膿してきているのだ。 打ちすえられた体の節々が肩の傷みを幾分紛らわす。
 失敗した。とオリシスは思った。 早くアリアに知らせなくてはあいつの命が危うい。 すでにあの屋敷を出ていればいいが、アリアの事だ。留まって証拠を探しているに違いない。 間に合うだろうか、サリエルは、シモーナは。
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 ナミルの山頂から東にかかる稜線に、見張りの兵士がいる。 ひとり、ふたり…。 洞窟の入り口にも数人、山道にそってまた数人。
 茂みの中からオレアルの天幕も見えた。 夜の色がうすくなり、篝火の色もあせはじめていた。
 オリシスとシモーナはまる一日、洞窟の様子を窺っていた。 ラースローの姿は見えない。 あの中にこもっているのはまちがいない。 オレアルは酒を飲み、暇そうに辺りをうろつくが、すぐに飽きて天幕の中に入っていく。 兵士の交代は日に三回。
 ついてきた猟師は、半日ほど山を下りたところで待機しているはずだった。 三日たっても戻らなければ、文をもってバルツァ家のサリエルを訪ねるよう指示してある。 退路も覚えた。
「オリシス様」
「よし」
 髪をひとつに束ね、身軽い装束のシモーナが走る。 天幕の見張りを音もたてずに喉を掻ききる。 洞窟の兵士を上から矢にかけ、オリシスはひとり中へと進んだ。
 暗く、細い道が続く。 洞窟の中には兵士がいなかった。 奥のほうで、灯がちらちらと揺れているような影が見える。 オリシスは剣を握り直してさらに進んだ。 音が聞こえた。 薪が燃える音に混ざって低く高く唱える男の声。 ふいにその声が止んだ。
 オリシスは一旦足を止め、そして最後の岩影をまわった。
 広くひらかれた場は、赤々と燃える薪で眩しいほどに明るかった。 炎に照らされた鍾乳の天井が白く光り、蝋燭が薪を囲むように円を描いている。 その中に、白いフードのついた衣に身を包んだ背中があった。
「ラースローか」
オリシスが背中に声を投げつけた。
「答えられよ。 この場で何をしているか」 
 背中が立ち上がり、ゆっくりと向きなおった。 炎を背にして立つその姿は神々しいほどに美しかった。 オリシスの首筋に汗が一筋流れた。 炎の暑さのせいと思いたかった。
「人にものを訪ねるときは、自分から名乗るものではないのか、タニアの飼い犬よ」
 オリシスの頭にかっと血が上った。
「それとも主人に名をつけてもらえなかったか」
 くっとラースローの口端があがった。
「昨夜から気配はしていた。 ワイナー候の嫡男オリシス。 何故この聖域を犯す」
「どちらが犯しているのだ、ラースロー。 それはなんの所行」
「ただの修行だ。 陛下の許可も得ている」
 ぎりっとオリシスは奥歯をかみしめた。 陛下の許可を得ているはずがない。 しかしここでそれを問いただす必要はないし、ここまで来た以上もはや引き返せない。
「検分させてもらおう」
「なんの権限があって行う。 説明もしないつもりか」
「ならばただ切るのみ」
 オリシスが剣を構えて進んだ。 ラースローは動かない。
「覚悟!」
 切り込み、あと一歩でラースローに届く瞬間、オリシスの肩に激痛が走った。 剣が地面に落ちた。 肩を貫いや鏃が見えた。振り返ったオリシスが見たのは、オレアルと弓を構えた複数の兵士だった。
「…!」
「ひとりで乗り込むとは勇ましい事ですな、オリシス殿」
 何という事だ。 ラースローの言葉に乗せられて、冷静さを欠いた結果だ。
「来て貰いますよ。 聞きたい事がたくさんあるのでね」
 兵士がオリシスを捕らえ、洞窟から引き出された。
「警告したはずだ。 昨夜から気配があったと。 我々が何の用意もしていないとでも思っていたのか」
 振り返ってオリシスはラースローを睨んだ。 冷たく笑うラースローが炎の影に揺れていた。
 オレアルは「ひとりで」と言った。 シモーナの存在は知られていない。 オリシスは肩の傷みを堪えながら、シモーナの気配を探した。 どこかで自分を見ているだろう。 逃げ出す機会を掴むのだ。 いや逃げ出すだけではいけない。 彼らを討ち取らなければメルキオ殿下に影響が及ぶ。 オリシスはしっかりとした歩調で歩んだ。
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 夜を徹して北宮の捜索が行われた。 片端から賊の残党を探したが、警護兵や使用人達の屍しかなく、賊を追跡した兵士達も彼らの行方を掴む事はできなかった。
 夜が明けてオルギウスの室に重臣が集められた。
「なんとしてでも賊を見つけ出せ。 王宮を襲うとは何という暴虐。 探し出すまでわしの前に出る事はゆるさん!」
 膝をおり、頭を深々と下げた重臣たちがこわばった表情で退出した。
 部屋にはオルギウスが執務席に腰をかけ、両側にティスナ、そしてキアヌが寄り添う。オルギウスの手は怒りでまだ震えていた。 そばにいるキアヌを引き寄せる。
「無事でよかった。 おまえに切りかかったものはわしが捕まえてやる。 その場で切り刻んでやる。 安心しろ」
 キアヌは青ざめた表情で父王の手を握った。 ティスナは冷めた目で息子を見た。
「話によると、賊はかなりの手椀だったようですわ。 盗まれたものも大した事はないとのこと。 ただの強盗とは思えませんわ。 無法者の仕業にしては手際がよすぎ、そして中途半端です」
 オルギウスがティスナを見上げた。
「お母さま…」
 キアヌがますます青ざめる。
「何が狙いだったというのだ、ティスナ」
「さあ…。 それは陛下のほうがよくご存知なのでは」
「うぬ…っ。 あいつか? あいつがわしにたてついて…」
「わたくし、本当に何もいりませんのよ。 なのにわたくしたちを疎ましいと思っている方達がたくさんいるなんて、悲しい事ですわ」
 ティスナの言葉が、さらにオルギウスの疑惑をかき立てた。
「おのれ、メルキオめ…っ」
 オルギウスは立ち上がった。
「タニアに軍を送る。 バルツァの家に使者を出す。 メルキオを幽閉するのだ」
ティスナは扇で口元を隠してこっそり微笑んだ。
「このままでは済まさぬ。 この国の王が誰なのか思い知らせてやる」
キアヌは恐怖の目でオルギウスを見上げた。 顔を真っ赤にして怒る父王がまるで冥界の神のように見えた。 と、父オルギウスの様子が変わった。 目を見開き、体全体が震えている。
「お父さま?」
「あ…、ああ…」
 オルギウスは言葉にならない声を発し、床に崩れ落ちた。
「陛下!」
「お父さま!」
 そばに控えていた数人の侍女が小さく悲鳴を上げた。 ティスナは倒れたオルギウスの元にかがみこんだ。
「どうなさったのです陛下。 陛下!」
 侍女達が人を呼びに行こうとしてる。 ティスナは意識の無いオルギウスを確かめ、侍女を制した。
「侍従を呼びなさい、内密に。 それから主治医を。 外部に漏らしてはなりません。 漏れた事がわかったら、おまえたちの命はないと思いなさい」
 動揺はしていたが、しっかりとした命令だった。
「陛下、わたくしの声が聞こえますか。 陛下! 返事をなさって下さい」
 オルギウスは大きないびきをかいていた。
 現れた侍従に、すぐにナミルのラースローを呼び戻すように言った。
 ベットに寝かされたオルギウスをそばで見守りながら、ティスナは独り言のように呟いた
「こんなことでは死なせはしない。 あなたにはもっとふさわしい死に方がある。 こんなことでは…」
 ティスナの呟きを、キアヌは凍る思いで聞いていた。
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 コーツウェルの宮殿は静かな夜を迎えた。 今夜は宴もなく、楽士がいたずらに奏でる調べに警護の兵も微睡みかけていた。
 と、楽士の琴音がぴたりと止んだ。
「静かに眠って貰おう」
 呟く声の背後には、すでに庭を守る兵士が三、四人倒れている。
 黒っぽい装束に身を固め、顔を異国風に覆った数人の者が宮中に忍び込んでいた。
「ティスナとキアヌは宮の奥だ。 間取りは頭に入っているな」
 残りの者が頷く。
「撤収は笛の合図だ」
 打ち合わせ通りに男達が動く。 失敗は許されない。 その中のエドアルドもキアヌの部屋を目指して走った。
 
 ラティアはティスナの部屋に向かっていた。 部屋の外が騒がしいと見に行った同室の侍女たちが血相を変えてまた部屋の中に飛び込んできたのだ。 何事と質すのにも青ざめたり興奮していたりで要領を得ない。 それでもなんとか事態を把握したところで、ラティアは部屋を飛び出していたのだ。
 賊が進入した。
 とっさに浮かぶのはキアヌが池に落とされそうになった事。 そして先日のティスナの裁断だった。 ただの物盗りかもしれないが、それでもティスナの無事を確かめたかった。
 頭の中にちらりと女の声が蘇った。
「機会があれば、ここから出るように」
 あの後何度も繰り返し考えてきた。 しかし今ここを出る訳にはいかないと忘れようとした。 侍女達のいたずらかもしれなかったし、キアヌの事も心配だった。 なによりティスナの予見したように、エドアルドが来るかも知れないと思ったからでもあった。 いや、それよりもまだここに居るべき何かを感じているのか。 とにかく今はその機会の真っ直中にいるが、やはりティスナを見届けてから考えたかった。
 ティスナやキアヌの室は人もなく、静かだった。 宮中の別の所で騒がしい音が聞こえる。 ラティアはほっと胸をなで下ろして歩調を緩めた。 警備のものは騒がしい方へと皆向かったのか、宮中のものも部屋に閉じこもり鍵をかけているのか、ラティアが歩む先にも後にも誰もいないのが不安もあった。 これなら逃げ出せるかもしれないと、ふと頭をよぎった。 
 と、その時、ラティアは柱の影にちらりと小さい背中を見かけた。
「王子…?」
 戻って姿を確かめる。 広い廊下には何本もの独立した装飾柱がたっている。 その一本の柱のそばにキアヌがいた。
 こんなに宮中が騒がしいというのに、誰もキアヌについていない。 賊の狙いが本当に金品だとしても、この騒ぎに乗じてまた誰が手を出すかわからないではないか。 ひとりでいるキアヌにも腹がたったが、とにかく一緒に部屋へ連れようとラティアはキアヌへと一歩踏みだした。
「王子」
 声をかけたが、それには答えずキアヌは一点を見つめている。 柱の影になった方向へ角度を変えながら視線をたどると、顔と髪を布で覆い、大剣を振り上げている男がいた。
「つっ立ってないで早く逃げるのよ!」
 思わず叫んでいた。 男は一瞬怯んだようだった。 ラティアはキアヌに走り寄り、手を掴んで強く引っ張った。
「…ラティア か?」
 くぐもった声はキアヌのものではなかった。 ラティアは声の主を見た。 布の間からのぞく緑の瞳。
 布を少し引き下げて、男は顔を出した。
「エ…」
 キアヌの前でエドアルドの名は呼べなかった。 しかし、こみ上げてくるものを押さえる事は出来なかった。
 会えた。 また会う事が出来た。 自分の名を呼んでくれた。 もうそれで充分だと思った。 が、なぜ。
「この子はただの子供だわ。 殺してどうするの」
「それがすべての元凶だ」
 剣を構え直すエドアルド。 
「ちがう。 この子に罪はない! あなたの狙いはティスナ妃じゃなかったの?」
「ティスナを切ってもそいつがいれば同じ事が繰り返される。 そこをどけっ、ラティア!」
 ラティアはキアヌを自分の後ろへ追いやった。 キアヌは呆然と事の成り行きを見ている。 小さな肩が震えていた。
「いいえどかない。 あなたは間違っている。 昔、取るに足らない貧しいあたしを助けてくれたじゃない。 そのあなたが今度は子供を切るの? そんなことをしたら、あなたはあなたじゃなくなってしまう」
「ラティア、どくんだ。 これしか道はない!」
「運命は変えられるって言ったじゃないっ」
 エドアルドの動きが止まった。
「あなたが言ったのよ、あたしに。 人は幸せになるために生まれて来るんだと。 この子だって幸せになる権利はある。 この子を殺して、あなたは幸せになれるの?」
 エドアルドはラティアを見つめた。 体が動かなかった。 額の汗だけが流れ落ちる。
「だったらあたしも殺して。 昔助けて貰った命を、今この場であなたに返すわ」
 キアヌの頭を抱き抱えながら、ラティアはエドアルドに背を向けた。
「いたぞーっ」
「あそこだ!」
 警護兵達の足音が近づいてきた。 エドアルドは苦い表情の後、踵を返して走り去っていった。
「うっ…」
 ラティアはキアヌを抱いたまま、声を押し殺して泣いた。 エドアルドは無事に逃げられるだろうか。 キアヌを殺させていれば、もっと早くここから立ち去れたものを。 キアヌの命よりエドアルドの方が大事だ。 しかしそれより理想の方が大事だったのではないか。 自分は利己主義だとラティアは思った。 あの時のエドアルドの面影を残したくて、変わったかもしれないエドアルドを受け入れたくはなかったような気がして、ラティアは泣いた。
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「アリア様からの伝言です。 今朝方、ラースローが屋敷を出て宮へ向かったとのことです」
 シモーナは宿のオリシスへ告げた。 今さっきアリアと接触し、得た情報をオリシスに伝える。
「ひとりで発ったようですが、どこかでオレアルと合流するでしょう。 いかがなさいます」
 オリシスは窓辺に立って眼下の通りを見ていた。
 エドアルドの行方は依然つかめないままだ。 この機を逃したら、ラースローの追跡は出来なくなる。
「支度だ。ラースローを追う」
 エドアルドのことは諦めたとオリシスの目が言っていた。
「すぐに」
「オレアルはまだ北宮にいるんだな」
「はい」
「宮の南口。 そこで待機だ」
「はっ」
 シモーナが部屋から素早く姿を消す。 オリシスも上着を着た。 行き先はおそらくナミルだろう。 マテオ王子の継承権受理から一週間。 事を起こすには早すぎる。が、逆に相手が焦っているのなら呪詛も早く行える場所にするはずだ。
「エドアルド。 どこにいる」
 苛立ちがつのる。 エドアルドがいなければ今回の事も意味をなさない。 コーツウェルに乗り込んだ子弟らの行方をつかんだが、エドアルドの姿はなかった。 取り越し苦労ならいい。
 オリシスは荷を担いで部屋を出た。

 まだ開いていない酒場の奥の一室で、エドアルドは考えをまとめようと必死になっていた。
 考えれば考えるほどわからなくなっていく。 オリシスのこと、ティスナとキアヌを討つこと。 どちらが本当にすべきことなのか。 アリアはあの屋敷を出ただろうか。
「どうしたエドアルド。 怖じ気ついたのではあるまいな」
と声をかける同僚に一瞥をくれる。
「決行は」
「五日後だ。 この日は晩餐も舞踏会もない。 国王陛下の休暇日になっている。 警護も手薄だ」
 そんなときに紛れ込めるのか。 強盗を装うなら人が集まっている方がいい。 しかし、やると決めたからにはやらなければならない。 エドアルドは酒に手を伸ばし、そしてまたオリシスの事を、アリアの事を考えた。

 宿の主人はオリシスとシモーナの姿をただの行商人と思った。
 オリシスは主人と多愛の無い話をして、ラースロー一行の足どりを確かめる。 昨夜この宿を発ったらしい。 人相や人数からラースローと一致した。
 北宮で彼らを見つける事は出来なかった。 オリシスたちよりも先に出発したのだ。 後を追ったが、計算違いに向こうは馬を走らせていたらしい。 日はまだある。 夜通し進めば追いつくだろう。
 タニアへの使者はすでに送ってある。 早ければ、同時刻にナミルにサリエルと落ち合えるはずだ。 マテオ王子の侍女にひとり潜り込ませてある。 鏡やその他の持ち物は、全て取り替えてある。 呪詛を行ったにしても、効果がでるまで時間をかなり稼げるだろう。
「エドアルド。 早まるな」
 そう念じて、オリシスは馬を走らせた。

 ナミルは山と言うより山脈を意味している。タ ニアを見おろす北に連なる山々を指す。 そこから湧き出る豊かな水脈が、タニアの都を潤している。 木が生い茂り、鹿や兎や狐が生息し、麓の平野では毎年狩が行われる。 聖域ではあるが、これもエタニア王家に伝わる伝統的な行事のひとつだった。 許可のない立ち入りは厳しく禁じられており、密猟や貴重な薬草を乱取されるのを取り締まっている。
 ナミル山が見えはじめたところで、オリシスはラースローの一行に追いついた。 あの山の向こうがタニアである。 彼らがナミルに入るのを見届けてオリシスとシモーナはサリエルの到着を待った。 時間がいたずらに過ぎていく。 
 ナミルは広いが、一般的な上り口は全部で三箇所あった。 その三箇所に警護兵が張り付いている。 コーツウェルからの一行の数は八名。 彼らは東の上り口から入って行った。 とすると…。
 呪詛の行われるであろう場所を想定し、猟師達を使い獣道から調べさせる。 猟師達は、ここが聖域であることを知った上で、豊富な獣の狩を無断で行う。 抜け道や水の場所まで知り尽くしているのだ。 もちろん見つかり、捕らえられれば命はない。 しかしそれも生活のためであり、そんな彼らをメルキオは黙認していた。 彼らとて縄張りを荒らされたくはない。 よそ者の進入を拒み捕らえるのは、警護兵ではなく、一般に彼ら猟師のほうだった。
「東側斜面に洞窟があるんでさ。 木に囲まれてんであんましめだたねえけど、そこに櫓とか薪とかが積まれてて…」
 オリシスは猟師に銀貨を与えた。 猟師達はまたなにかあれば、とオリシスの前から消えた。 場所は絞り込んだ。踏み込むのも時間の問題だ。 あとは…。
 しかし何日たってもサリエルは現れなかった。
 どこまで呪詛が進んでいるのか。 マテオ王子の様子は。 知りたいことが何も分からない。 オリシスはシモーナを呼んだ。 二人でいったいどのくらい戦えるだろう。 山の警護の者達は数にいれなくていい。 獣道を通り、ラースローとオレアルを討ち、警護兵が駆けつける前に退却する。 果たしてうまく行くのだろうか。
「ここへ着いてからも使者を送ったというのに、まだ着かないところを見ると、あるいは…。 退路を確保すれば」
「勝算は」
「五分五分というところでしょう」
 ならばそれに賭けるしかない。 サリエルがそれまでに到着してくれれば助かるが、期待をしない方が安全かも知れない。
「猟師をひとり、道案内に雇おう」
「はい」
「日が暮れたら、…行くぞ!」

 タニア街のはずれに、ひとつの死体が見つかった。 近衛騎士が検分を行った。 腐敗がかなり進み遺体の身元は分からなかったが、遺体は荒らされた様子もなく所持品は殆ど手つかずで回収された。 夏に伸びた背の高い葦のせいで発見はおくれたものの、物取りや死体荒らしの手にかからなかったのだ。 所持品のなかには、近衛隊が驚くものもあった。
 カルロス・モドリッチはメルキオに直ちにそれを渡し、ついでサリエルが呼び出された。
「オリシス・ワイナーからの書状だ。 オレアルたちはすでにナミルに入っている」
 使者は途中何者かに殺されたが、この書状が残っていたということは、あらかじめ二通したためてあったようだとカルロス・モドリッチが言った。
「すぐナミルに発て」
「はっ」
 カルロス・モドリッチがサリエルを追いかけてタニア王宮の廊下を小走りした。 サリエルの背中に声をかける。
「あれはコーツウェルからの使者じゃないでしょうな。 もし待ち伏せしたのなら、もっとタニアから離れたところで討つ。 私ならそうする。 としたら、オリシスが送ったコーツウェルからの使者はどこに消えたんでしょうね?」
「わからぬ。 届いていないと言う事は、やはり途中で何者かに殺されたのだろう」
「…ふむ」
 並んで大股に歩きながら、カルロス・モドリッチはサリエルの表情を盗み見した。 動揺が微塵も感じられない落ちついたサリエルがいた。 さすがエタニア随一の武人。
「用心するにこしたことはありませんね。 もうすでにやつらはナミルに入っているのでしょう。 使者が二人も殺されたんだ。 まだなにかあると思った方がいいですね」
「承知の上だ」
 カルロス・モドリッチは颯爽とマントを翻して歩いていくサリエルを見送った。
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 アリアとラースローが一緒に食事をする日が何日か続いた。 食事中特段会話がはずむでもなく、楽しい時間というわけではなかったが、ラースローは落ちついていた。 アリアはそんなラースローに安心とも不安ともつかないものを感じていた。 何も言わないが、確実にその日は近づいているのだ。 杞憂であってもほしいし早く片がついて欲しいとも思う。
 あの肖像画は、ラースローが書斎の奥の部屋に持って行ったことをアリアは知っていた。 やはりあの調子では何も見つからなかったという事か。
 知らずの内にため息をついていたらしい。 ラースローがアリアをじっと見ていた。
「なにか…?」
「よそ見をしながら食べるな」
「は?」
「こぼしている」
「ええ?」
 見るとテーブルの上から膝の上、床までこぼれている。
「あー…」
 くくくくっと、ラースローはおかしそうに笑っていた。 ひねた、あの皮肉っぽい笑いではなく、本当に笑っていた。 こんな笑顔を見るのは初めてで、ついアリアも笑った。
「子供のようだ、おまえというやつは」
 笑いながらラースローが言う。 なにを言っている、じぶんこそ子供の癖に。とアリアは声に出さず笑い顔のまま思う。
「砂糖菓子もつくったんです。 食べますか」
 お茶と菓子を持ってテラスに運ぶ。 野バラの庭園が月明かりに妖しい色を出している。
「最近はさすがに涼しいですね」
「…」
「月が出ていますよ」
 ラースローは黙って月を見上げた。
 そんな素直な仕草が、アリアに笑みをもたらす。
「月は見ているんですよ」
「…何をだ」
「すべてを。 月明かりの晩には悪い事をしてもすぐにばれてしまうんだって」
「悪い事」
「ええ。 ずっと昔から月は人間のしている事を見ているんですよ。 母の口癖ですけど。 ラースロー様のお母君は?」
 ラースローは月を眺めた。 ラースローの生い立ちを知っているだけに余計なことを聞いたのかも知れないとアリアは思ったが、ラースローはポツンと言った。
「わたしは父も母も知らぬ」
 抑揚の無い声だったが、ラースローが自分のことを話したのは初めてだ。
「じゃあ、お互い孤児どうしってことですね」
 アリアはただ、そう言った。 それ以上掘り下げることもなく、ただ真実だけを。
 ラースローは月からアリアに視線を移した。 慰めや同情とは違う言葉を初めて聞いた。
「そうだな」
 そう言ってラースローはまた月を見た。

 翌朝ラースローが庭に出ているのをアリアは見つけた。 野バラを眺めている。
「おまえか」
「はい」
「出かける。 馬の用意をしておけ」
 とうとう時が来た。とアリアは思った。
「どちらへ。 わたしもお供しましょうか」
「留守中は屋敷の中にいろ。 空いている部屋はいくらでもある。 いつまでもうすぎたない小屋にいるな」
「どちらへいかれるのですか」
 もう一度聞いた。
「宮へ行く」
「どのくらい留守に」
「わからぬ」
「それではわかりません。 留守を預かる身としては、主人の帰りも把握しておかなければ、万が一というときに対処ができません」
 ラースローは背を向けたまま野バラを見ていた。 もっと食い下がるべきか、それとも疑いを持たれる前に切り上げるか、アリアは判断に迷った。
「十日、いや一か月になるかもしれぬ。 それはわからぬ」
 呪詛に必要な日数というところか。 シモーナに知らせなくては。
「宮に行くなら、私が従僕としてお供します」
「その必要はない」
 宮へ行くのは本当かも知れない。 だが、そのあとは? 
 アリアはあし毛の馬をなだめて小屋から出した。 昨日走らせたから、今日はおとなしいはずだ。
「ちゃんとご主人を乗せて走るんだぞ。 こないだみたいに暴走するなよ」
 立派な鞍と鐙、そして飾りをつける。
「よおし、男前だ。がんばれよ」
 ポンポンと鼻面をたたいてやる。
 ラースローの支度も手伝うが、所持品は少なく、ちょっと遠乗りに行くといった感じであった。
「ラースロー様」
 馬上のラースローがアリアを見おろす。 アリアは眩しくて手をかざした。 正真正銘の貴族のようだった。
「お気をつけて」
 そう言うのが精いっぱいだった。 これでアリアが街に行き、シモーナに告げればオリシスはラースローの後を追うだろう。 呪詛の場を見つけたら、ラースローはその場で殺されるかも知れない。 もし、本当に呪詛を行ったならば、それは当然の報いだ。 父もラースローに殺されたのかもしれないのだ。
 だが、憎むべきは違う相手なのでは?
 オレアル、ティスナ、そしてまつり事に関与しない国王。
 ラースローは馬を進ませた。 遠くなる背をアリアはいつまでも見送った。
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北宮の女性だけの区画があった。 ティスナ妃とその侍女達が生活する区画である。 男性は国王しか入れないことになっているが、ティスナ妃のところにはよく他の公達が行き来していた。
ラティアはティスナに呼ばれてその部屋に入った。
「ティスナ様?」
呼んでもティスナの気配はない。そのとき扉が音を立てて閉まった。
 振り返ったラティアはそこにいる数人の男女に目を凝らした。 ティスナ妃の侍女たちと見慣れぬ貴族の男達だ。
「こんなところに殿方を連れ込んで、いったい何をするつもり?」
 侍女の言っていることがわからない。 男を連れ込んだのは彼女達ではないか。 彼らの含み笑いが癇にさわる。
 男達が進み出てラティアの腕を掴んだ。
「離してっ」
「あら、殿方の扱いは慣れているんじゃなくて?」 
「気取ってないでいつものようにしたらどう」
 腕を掴まれたままラティアはと女達を睨んだ。
「おい、本当にいいのか?」
 男が侍女に聞いた。
「かまいませんわ。 そのための娘ですもの」
「下賎のものですけど、その道の長けた者ですの。 ひとときのお楽しみにはなりますわ」
 男達の腕に力が入った。 ひとりの手がラティアの胸元にかかった。
「いや!」
「聞いたぞ。 客を取っていたんだってな」
 近づけた男の顔にラティアは唾を吐きかけた。
「このっ 売女がっ」
 痛烈な平手打ちがラティアの口を切った。 衣服の胸元が引きちぎられ、裾がまくられた。
「いい姿ね。本性が出たみたい」
 女達の高笑いが聞こえた。 悔しくて涙が出そうになった。しかし泣いている暇はない。 ラティアは腕を掴む男の手をおもいっきり 噛んだ。 足で辺りかまわず蹴る。 体が自由になってラティアは部屋の隅に逃げ込んだ。
「逃げても無駄だ」
 ラティアは燭台の蝋燭をはらい落とし、彼らに向けた。
「それをおろせ」
 男のひとりが剣を抜く。
「そんなもの恐くないわ。 脅さなきゃものにできないなんて最低。 あたしは商売女よ。 寝たかったらお金をもっておいで! 文無しには用はないよ」
 髪を振り乱し、口はしに血を滲ませて睨むラティアの形相は、男達も女達もぎょっとさせた。
「用がないならさっさと出ておいき!」
 彼らが後ずさったとき、扉が開いた。
「何をしているのです」
 ミストール婦人だった。
 女達は一瞬しまった表情をしたが、ひとりがすかさずひざまずいて言った。
「物音がすると思って入ってみたら、彼女が殿方と…」
 ラティアは思わず女の方に走りより、おもいっきりひっぱたいた。
「な、なにをするのよ」
「あることないこと言わないでよ。 陥れようとしたくせに」
「おやめなさい」
 ミストール夫人が眉を釣り上げてラティアを睨んだ。
「殿方はここが男子禁制とわかっていて入られたのですか」
「いや、その」
「彼女が引き込んだのですね」
 この状況を見て、なぜそんな言葉がミストール夫人の口からでるのかラティアには理解できなかった。
「それではお引き取りください。 おまえたちも下がってよろしい。 ラティア、おまえはわたくしと来て貰いますよ」
 燭台を落とし、拳を震わせた。 今度のことだけは許せなかった。 ほかの嫌がらせはまだ我慢できた。 しかし今回は自分の人権も誇りも踏みつけにされた気がした。
 ミストール婦人に連れられたのはティスナの部屋だった。
 ティスナはラティアの様子に驚いたが、ミストール夫人が言い出すまで黙っていた。
「もうこの者をおいておくことはできません。 こうも問題を起こされては示しがつきません」
「彼女が何をしたの」
「殿方と部屋におりました」
「そう」
 興味がないようにティスナは扇をあおいだ。
「ティスナ様」
「誰がいたの」
 ミストール夫人はそこに居た男女の名を上げた。
「彼女達には暇をだすといいわ。 無一文で追い出してちょうだい。 騎士達には騎士の称号を剥奪してやりたいけど、それは陛下の権限だわ。 この夏の北宮への出入りを禁じましょう」
「!」
「おまえももうお下がり」
 ミストール夫人は顔を青くして下がった。 そしてティスナは改めてラティアを見た。
 あっけにとられたラティアは衣服をただす事も忘れて、ティスナを呆然と眺めた。
「いじめられたのね。 あの娘達もやりすぎたわ。 まったく自分達の無能さを棚に上げて妬むことしかしないんだから」
「あの…」
「今回の事で恩を着せるつもりはないわ。 おまえも何も気にすることはない。 おまえを残したのはまだ暗殺者が捕まらないからよ」
 ラティアは黙ってうつ向いた。 そうだろう。 しかし、自分を信じてくれたことは確かだ。 それには素直に感謝した。 救われたと思った。
「さあ、顔を冷やしなさい。 おまえは美しいわ。 しなやかで孤高に生きる野生の豹のように」
 ティスナの目が優しく笑った。 つくった笑いではなかった。 世間で噂されるティスナ妃とは別人のようだ。 信じるべきは何なのだろう。 せめてこの笑顔をキアヌ王子に向けてほしいとラティアは思った。
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