夢のはざま

鏡女王の物語【水鏡】連載中です。

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 その日の夕方、アリアは開けた窓を閉め、三階の奥の部屋に最後に向かった。 開いた扉からラースローの姿が見える。 蝋燭も燃え尽きて一層暗くなった部屋にぽつんと背を丸めて座っていた。 何も見つけられなかったか、若しくは見つけてもいい事はなかったかどちらかであろう。 昼食は手もつけていなかった。
「ラースロー様」
 ぴくんと肩が動いた。
「夕食の用意が出来ています。 それから…湯浴みの用意も」
 ラースローは黙ったままだ。
「ここは私が明日にでもきれいにしておきます。 さあ」
 手を差し出す。 ラースローは手をアリアに預けた。 アリアの冷たい手がラースローに表情を戻したようだ。 アリアを見上げる瞳が失望に彩られていた。 アリアの胸が傷んだ。
 アリアはラースローを立ち上がらせて、窓を閉めた。 昼食を手に部屋から出る。 ラースローもあとに続いた。 不思議な時間だった。 ラースローは大人しく後をついてくる。 手にはあの女性の肖像画を持っていた。 
 お湯を浸した浴槽にラースローを入れた。 埃だらけで髪には蜘蛛の巣さえかかっている。
「ご自分で洗いますか? それとも流しましょうか」
 何も言わないラースローにアリアは高価な石鹸をぬりたくった。 こういう時に石鹸を使わずいつ使うのかというくらい、頭にも背中にも塗った。 布で背を洗い流す。 きめ細かい肌だと思った。 日に焼けたアリアの肌とは対象的に白く、痩せている。 新しいお湯をかけると、ラースローはようやく口を開いた。
「あつい」
「え?」
 お湯の流す音でよく聞き取れず聞き返すと、今度は怒鳴った。
「熱いと言っているだろう! あとはやる。 もういい」
 アリアの持っていた布がラースローにひったくられた。
「ちゃんと拭いて出てきて下さいよ。 夕食を整えておきますから」
「うるさい!」
 いつものラースローに戻ったとアリアは苦笑した。 だが、あの時見せた表情こそがラースローの本当の姿ではないかと思った。 だとしたら、なんという悲しい姿なのだろう。
 夕食の間何も話さなかったラースローが、食後のワインをアリアにも勧めた。
「あ、でもまだ食事してないし」
「だったらここで食べろ」
「はあ」
 今度は遠慮無くラースローの言うとおりにした。 たぶんそうすることをこの男も望んでいるのだ。 何か話したいことがあるのかもしれない。
 アリアが食事をしている様子をラースローはワインを飲みながら眺めていた。 妙な息詰まりを感じる。
「なんだか、見られながらひとりで食べるのって変な感じですね」
 何か喋らないと、うまく食べ物が喉を通らないような気がした。
「そう思うなら明日から同じテーブルにつけ」
 そう言ったラースローにアリアは納得した。 ラースローも窮屈だったのかもしれない。 若い給仕ラジールに対してとった態度もその表れだったのか。 オレアルの屋敷に居た頃はどうだったのだろう。 自分だったらオレアルと差し向かいで食事をするのは大金を積まれてもいやだ。
「でも給仕は…」
「給仕するような料理か」
 言われてみればその通りである。アリアの家でもテーブルに盛った料理を取り分けて食べていた。
 しかし、この命令口調は…。 だから勘違いするんじゃないか。
 今ならアリアも分かった。 命令するのはそうしてほしいからなのだ。 うるさい小言は言うが、滅多に希望を言わないラースローの希望は、この命令口調に含まれていたのだ。
「では明日から」
 アリアは笑いをかみ殺しながら答えた。
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 割った薪を積み上げ、アリアは井戸水で顔を洗い、台所で簡単な昼食をつくった。 三階の奥の部屋に運び、古い書物をめくっているラースローの背中には声をかけず、古びたテーブルの上に置いて台所に戻った。
 着替えのため自分の小屋での戸を開けたとき、人の気配を感じてアリアは戸口に立てかけてある鋤を取った。
「わたくしです」
 暗がりから戸口に一歩踏みだした影はシモーナだった。
「シモーナ…!」
「考えましたね。 ここを部屋としたのは」
「どうした? 何かあったのか」
 今までここにはオリシスもシモーナもエドアルドも来た事がない。 アリアは鋤をもとに戻して扉を閉めた。
「その後動きはありましたか?」
「昨日オレアルが来た。 ラースローと話をしてすぐに帰った。 その前まではエドに伝えたけど」
「街に来たのは四、五日前でしたね」
「ああ」
 エドアルドが言った最後の言葉が蘇った。 「オリシスに気を許すな」。 シモーナに確かめたいのを堪える。 様子が変だった。 ここまできたのも変だ。
「エドアルド様からはなんの連絡もありません。 ここ十日ほど姿が見えないのです。 ここへは?」
「兄上が?」
「いらしてないようですね」
 来たような痕跡はなかった。
「何があったんだ、兄上とオリシスの間に。 知ってるからここに来たんだろう?」
「エドアルド様は何かあなたにおっしゃっていましたか」
 アリアは答えるのをためらった。 もしオリシスとエドアルドが反目しているのだとしたら、話す事でエドアルドが危険にならないだろうか。
「アリア様」
「着替えさせてくれ。 戻らないとラースローに変に思われる」
 考えをまとめる時間を作る口実だった。 シモーナに背を向けてベストとシャツを脱ぎ捨てるアリア。 筋が引き締まった背中がシモーナの目に入った。 思わず目をそらす。 確かにアリアの肢体は少年のように美しい。
「使用人は私ひとりになったんだ。 呪詛騒ぎがあって、ほとんどの使用人は逃げた。 家令はラースローに解雇された。 あの男がなぜ私だけを残したのかわからないけど」
 着替えながらアリアは言った。 エドアルドに会ってないなら、もう一度繰り返すしかない。
「オレアルの来た目的はわからない。 使用人たちのことだったかもしれない」
「いえ。次の仕事の事でしょう。 タニアからの使者が来ました。 マテオ王子が正式に継承権を持ちました。 ティスナ妃の次の標的はマテオ様です。 オレアルが来たということは、近々ラースローが動き出すということです。 我々も彼の動きを追います」
 着替えを終えたアリアが振り返った。
「わかった。ラースローの出かける時期と期間、場所をうまく聞き出せばいいわけだな」
「ええ。 それと、もしエドアルド様がここに見えたら、このことをお伝え下さい。 あの方の手が必要なのです」
「…兄上はここには来ないだろう」
「なぜ」
「私にこの屋敷を出るように言った。 ラースローの事はほおっておけと。 オリシスが知らないなら、兄上は単独で何かをする気なのかもしれない」
「アリア様」
「私は兄上が心配だ。 オリシスと反目している理由も知りたい。 オリシスだって何を考えているかわからないけど、兄上は確かに変だ。 今はどっちを信用していいのかわからない。 でも兄上に不利になるような事だけは避けたい」
「もちろんです。 オリシス様はあなた方のことを考えているのです。不利になるようなことなど」 
「そうだといいけど…」
 アリアには分からなかった。 オリシスのことを信用している。 だが、エドアルドのことも気にかかるのだ。 あのエドアルドが疑心暗鬼になっているのは、オリシスに対してではないのか。
 オリシスのことは実の所何も知らない。 どういうことをしているのか。 シモーナを使って何をしていたのか。 あの狙ってきた男達。 分からない事が多すぎる。 自分で見極めるまで確かなことは何も言えない。
「アリア様」
「私はここにいる。 ラースローのこともまだ調べなければ。 情報はきちんと把握して伝える。 それでいいだろう」
アリアは扉に手をかけた。
「オリシスに心配するなと伝えてくれ。 私はうまくやっている」
「アリア様、ラースローにあまり深入りなさいませんよう気をつけて下さい。 あの男があなたをそばにおいたことが気になります」
「大丈夫。 そうするよ」
 シモーナは出て行ったアリアの残像を戸に映して見ていた。
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 使っていない部屋の虫干しのために、アリアは部屋の窓を開けた。 片っ端から部屋の鍵をあけ、ガタついた鎧戸と窓を開ける。 窓の修理も本当はした方がいいのだろうが、そこまでの手間はかけられない。 倉庫のような部屋の窓も開けた。 かび臭い匂いに新鮮な空気が混ざる。 窓から差し込む光を頼りに部屋の中に積もれたものを見回した。
 古い家具や衣装箱、埃のかぶった調度品。 白い布がかけられた数枚の額。 布をめくると誰かの肖像画のようだ。 何枚かをもって階下に下りた。
 台所の隅で肖像画の埃を払う。 全てが肖像画で大きいものから小さいものまで様々だ。 ふと取り上げた小さい肖像画の人物に、アリアは目を奪われた。 ほっそりとした貴婦人が椅子に座って微笑んでいる。 驚いたのはその面立ちだった。 まるでラースローが女装をしたかのようによく似ていた。
「誰、これ」
 額の裏を見ても何も書いていない。 絵の古さや描かれた衣装からみると、一昔前のもののようだが。
 埃を充分に払った後、書斎にその内の数点を運んだ。 それをラースローが素早く見つけた。
「何だこれは」
 むっとした表情。 今朝の事がまだ尾を引いているのかとアリアは思う。
「ええ。 バラのかわりに絵を飾ろうかと思って」
「どこからそんなものを持ってきた」
「三階のいちばん奥の部屋です」
 ほら、汚れも落としたし、と見せる肖像画にラースローは益々眉をしかめる。
「ここはわたしの屋敷だ。 関係無い者の肖像画を飾る気か!」
 ああそうか、とアリアは思った。 よほど価値がないかぎり一般的には肖像画はその家系の者を飾るものだ。
「あ、でもこれ見て下さいよ。 この方、ラースロー様によく似てますよ。 それにこっちもなんとなく」
 他の肖像画もこの女性の家族のものならば、似ていても不思議はない。 そう思うと本当にどの肖像画もラースローの面影があった。
 なにをばかな、といった表情で絵を見たラースローだったが、次の瞬間には目を離せない様子だった。 もう一度椅子に座る女性の絵を見たあと、もう一度アリアに聞いた。
「この絵はどこにあった」
「だから、三階の…」
 ラースローは額を片手に三階へと上がって行った。 今まで屋敷内は自室と食堂と客間と書斎、そしてあの小部屋しか行かなかったラースローだ。 いちばん奥の部屋の扉を開ける。 北側の小さい窓からはほんの少しの光しか入らない。 その中でラースローは真剣な、いや思い詰めた表情で荷もつや家具をひとつひとつひっくり返していった。
 後を追ったアリアは薄暗い部屋の中のラースローの姿に呆然とした。蝋燭を用意し、部屋の中を灯す。 いつも書斎と奥の不気味な部屋しか関心がないラースローとは全く別人のようだった。 いったいこの部屋で何を探しているのだろう。
 アリアはそっと部屋を出て、台所の裏で薪を割りはじめた。 薪は生活に必需だ。 台所でも湯を沸かすのにも薪がなければいけない。 寒い夜には暖炉もつける。 冬までここに居る事もないだろうが、たくさんあるに越した事はない。 剣を持つ手では薪を割るぐらいで肉刺など出来ないが、かなりの重労働ではあった。 しかし体を動かしながら考えるには調度いい。
 ラースローに何か変化が起きた事はわかる。 オレアルとラースローのつながりはなんなのだろう。 そもそもなぜラースローはオレアルに言われて呪詛など行っているのか。 まだ確証はないが、あの知識ならば呪詛を知っていてもおかしくはない。
 ラースローはオレアルに何か弱みでも握られているのだろうか。 あの気性でただ利用されているだけとは思えない。 面倒な事を自らするような性格ではないのだ。 ラースローはオレアルから逃げたいのではないか。 その証拠にオレアルの用意した使用人達をやめさせてしまった。 あの白い人形はラースローの仕業なのか。 いや人形はアリアの所にもあったのだ。 なのにアリアは手元に残した。 あんな稚拙なことはラースローはやらない。 もっと辛らつに、そう家令を辞めさせたようにするだろう。
 オレアル。 ひきがえるのようなと言ったら、ひきがえるの方が気を悪くするかも知れない男。 アリアは自分の手をさすられた感触を思いだし、ズボンで手の汗を必要以上に拭った。 あの男は男に興味があるのか。 気色悪い。 騎士団や王族にはそれほど珍しくない性癖だと聞いた事がある。 それはともかくとして、オレアルのは変態の類だとアリアは思った。
「!」
 ラースローが十二歳の頃にオレアルに保護されたことをアリアは思い出した。
「まさか…」
 拭おうと思っても拭えない仮定が頭の中を支配した。 それは弱みではない。 恨みだろう。 ならばなおさらオレアルの言いなりになるラースローがわからない。
 あのわがままな態度。 ヒステリーな性格。 他人に興味を持たず…。 そのラースローが今朝、アリアの指の心配をした。 断らなければよかったと後悔した。
 彼は心を置き去りにした子供だったのだ。 必死にそれを取り戻そうとあがいているのではないか。 冷淡な態度とは裏腹の感情の起伏の多さ。 子供がずるい大人達に対抗するには、自分を守る術を身につけなくてはならなかった。 心につけいる隙を与えないわがままで扱いにくい子供。 利用される事を利用した。 そして宮廷でうまく立ち回るための冷静さと他人をけおとす冷淡さを。
 アリアは自分の過去と重ねた。 自分にはまだ家族がいた。 厳しい父も優しい兄もいた。 遠い国の話をしてくれたオリシスもいた。 だがラースローにはなにがあっただろう。 家族もなくあるのは知識だけ。
「家族」
 アルマーシ公爵の跡取り。 あの肖像画。 ラースローはつながりを求めてあの部屋を捜索しているのでは。
 気が付いたときには薪の山が出来上がっていた。 これくらいあれば当分は薪を割らずに済む。 汗でシャツやズボンを滴らせるほどになっていた。 屋敷の上を汗を拭いながら見上げる。 まだあの部屋にいるのだろうか。
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 庭の野バラが咲いた。 北の気候では遅咲きの野バラが一斉に花開く。
 アリアは庭用ナイフを手に、もう片方の手で野バラの花を撫でた。
「つ…」
 小さな刺に指をあてたらしい。 指先を押すと赤い点が膨らんでいった。
「見事に咲いたな」
 背後の声に振り返る。 めずらしくラースローが庭におりていた。 朝日がまだ登りきっていないしらみかけた空に目を細めている。
「おはようございます」
「刺をさしたのか」
「あ、ええ」
 あわてて指先の血を嘗める。
「見せてみろ」
 朝の庭で姿を見るよりももっと驚く言葉だった。
「大した事はありません」
 アリアがそう言って手を隠すと、ラースローは眉をしかめ、口端を引き締めていた。
『まずいな、怒らせたかな』
 頬に赤身が走っている。
『?』
 そういえば機嫌が悪いときのラースローは感情のままに怒っていた。 関心が無いときは無表情で冷たく言い放す。 しかしこの状況は今までにないことだった。
「ラースロー様?」
「バラを切ろうとするからだ。 そのままで咲いている方がよっぽど見栄えがするものを」
 言い終わらない内に背を向けて屋敷の方へ歩いていくラースローを、アリアはあぜんと眺めた。
「なにしに来たんだ、あの男は」
 野バラに目を戻す。うすピンクと黄色い花びらが朝日にきらめく波のようだ。 思わず見とれて、花を切るのがためらわれて、手を伸ばして花を撫でていたのだ。 この花はここに咲いているのがいい。 屋敷の中の豪華な花瓶に生けられるよりずっと。 同じような事をあの男は言った。 アリアは指先にチクリとした痛みを覚えた。
 昨日のオレアルの用件は分からなかった。 馬を走らせて、丘陵地帯の草原に腰を下ろし、お茶を注いだときも、ラースローから何の反応も見られなかった。
 それにしても、よくあの男が自分の提案を受け入れたものだ。 宮廷以外は滅多に外に出ないラースローが昼間、しかも馬に乗って黙って走らせた。
 穏やかな午後だった。 口も開かずに空と風を眺めた。 流れる雲が美しい夏の空を描いていた。
 何も聞かなくていい。 今だけは。 そう、今はこの空を眺めよう。
 ラースローの風になびく髪と端正な横顔。 しかし灰味かかった薄茶色の瞳はなぜか闇を連想させた。
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 呼び鈴の音にアリアは客間に向かった。
 オレアルとラースローの会話が気になっていた。 客の従者達の飲物と軽食を台所に近い小部屋に用意し、彼らの馬に水を与えたところだった。
 客間に行くと、先ほどと同じようにゆったりとした肘掛けに臨月間近かと思わせる腹をもつオレアルが座っている。 ラースローが不機嫌そうにこちらを見て言った。
「茶を煎れなおしてこい。 冷めてしまった」
 アリアはオレアルを見ないようにテーブルに近づいた。 オレアルの視線がこちらに向いているのが気になる。 自分の面影から父親や兄を連想させただろうか。
 テーブルの茶器を下げようと伸ばした手をオレアルがすっと握った。
「思ったより華奢な手だな」
 好色な目つき。 ぞくっと寒気が走った。 妙に温かいねっとりとしたオレアルの手の感触が気持ち悪い。 引っ込めようとする手をますます強く握って撫で廻す。
「おや、寒いのかな。 鳥肌がたっておる」
『貴様が気色わるいんだろうが!』
 と怒鳴りたいのを堪える。
 ラースローを見ると、冷めた目で笑っていた。
 アリアは急に自分が落ちついていくのが分かった。息を吸ってわざと乱暴に言う。
「あの、おれ、馬糞いじってまだ手ぇ洗って無いんスけど」
 オレアルはぎょっとして思わずアリアの手を離した。
「ば、ばかものっ。なぜ洗ってこんのだ」
「はあ、早く来いって呼ばれたもんで」
 ラースローは急に大声で笑いだした。 ラースローの突然の反応に、今度はアリアが驚く。 ラースローの笑いは止まらず、目に涙さえ浮かべている。
「けしからんっ」
 オレアルは席を立ち、体を揺すりながら洗面へと向かった。
『馬糞ぐらいで。つくづく武人には向かないやつだな』
 とアリアは茶器を片付けはじめた。
「くくくくっ」
 ラースローの笑いはまだ治まらない。
「お茶、どうします?」
「煎れてこい。 うんと馬糞の香り効いたやつをな、ははははっ」
『なんなんだ、こいつらは。まったく』
 アリアは背を向けてから初めて顔をしかめた。
「わたしにおまえのような知恵があったらな」
 背中にぼそりと呟くラースローの声が聞こえた。 しかし聞こえなかった振りをして台所に戻る。
「どういう意味だったんだ、あれは」
 客人用のポットのお湯を沸かしながらラースローの呟きを考える。 新しい茶を運んだときには、オレアルの姿はなかった。
「もういい。 客は帰った」
 むっつりしたラースローが言った。
「そうですか」
「せっかく煎れたんだ、おまえが飲め」
「では」
 台車を持って引き返そうとした。
「ここで飲んでいけ」
 命令するのが好きな奴だ。 アリアは茶を注いだカップをラースローに渡すと、自分も注いで立ったまま口をつける。
「座って飲め!」
 アリアは一旦手をとめ、そしてカップを持ったまま床に座った。 目を見開いて自分を見るラースローがわかる。
「なぜ椅子に座らない」
「椅子が汚れます」
「あとで掃除をすれば良かろう」
「お言葉ですが、掃除をするのは私です。 ラースロー様の使用人は私ひとり。 他にもやることは山ほどあります」
「口達者なやつだ」
「いいえ、怠け者なだけです。 …それに、たまには床の上もいいもんですよ」
 アリアは床の上であぐらをかきながらお茶をすする。 と、顔を上げてまたラースローを見た。
「そうだ。 どうせお茶を飲むなら外へ行きませんか。 今日は天気もいい。 熱いお茶を持って、馬を走らせて、草の上で寝ころんで何も考えずに過ごすんです」
 ラースローの戸惑った驚いた表情が見える。
「あのあしげの馬、たまにはご主人が乗って走せなきゃ。 私もこのところ馬の面倒もろくに見てやれないし。 それに馬はもともと走るのが好きなんですから。 いい機会だ。 そうしましょう」
 ぽんと膝をうってアリアが下から笑った。
「勝手に決めるな。 それにおまえは忙しいと言ったばかりだぞ」
「明日にまわせばいいことです。 大丈夫、私のご主人は心の広いお方だから、それくらい大目にみてくれますよ」
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 オレアルは肘掛けに背をもたれ、ぞんざいに足を投げ出して座った。 部屋の四方を眺め廻す。 ねっとりとした視線がラースローの顔でとまった。 ラースローは軽く視線を外した。
「前に来たときと随分雰囲気が変わったな」
「変わったことなど何もない」
「何を言う、使用人はあの若いのだけだ。 なぜ皆をやめさせた。 よくやっていたようじゃないか。 何の不満がある。 食事はどうだ。 おまえは好みがうるさいからな。 あの若いのはちゃんとつくっとるのか。痩せたよう…」
 しかしラースローにやつれた様子がないのを見て黙る。
 アリアがいつもの茶を運んできた。
「ラジールのやめた理由はなんだった?」
 ラースローからのいきなりの問いに、アリアはチャンと茶器の音を立てた。 ラジールがどうなったかラースローが知らないはずがないのに。 アリアはオレアルを見た。
「彼は書斎から調度品や書籍を盗んで逃げました。 運悪く事故にあったようで死にましたが」
「ああそうだった。 それからあの台所女は?」
「娘さんのお産があるそうで」
「若い女もいたな」
「庭師見習いと駆け落ちしました」
 嘘半分、真実半分だった。 どのみち家令がオレアルの手先なら本当の理由をすでに報告されているだろう。 だからといってそれをラースローに言う訳にもいかないことぐらいオレアルにもわかっているらしい。
「家令はわたしがやめさせた。 使用人の管理もできない家令なぞ必要ない」
 オレアルはぐぐっと喉をならした。 さらにものを言えない様子だ。
「おまえはもういい」と片手を上げるラースローの言葉に従い、アリアは台車をおして下がった。
 アリアの後ろ姿を執拗なほど眺めてから、オレアルは締まりの無い口元をラースローに向けた。 今さっきまでむっつり押し黙っていたのがうそのようだ。 ラースローは顔をしかめていた。
 背もたれから身を起こして、オレアルは話題を替えた。
「とうとうマテオ様がメルキオ殿下の継承者になったぞ」
 意気込んだオレアルの顔は紅潮している。
「ふん」
 鼻で笑うラースローにオレアルはもっと身を乗りだした。
「ティスナ様からの伝言だ。 早々に発つようにと」
「焦らなくても継承者はすぐには変わらない」
「だが陛下はわからん」
 ティスナの心配は国王オルギウスの年齢だとオレアルは言った。 マテオとメルキオを順に片づけるには時間がものを言う。 それまでオルギウスが健在だという保証はない。
「マテオ様の死を見届けたら、ラースロー、おまえは晴れて公爵様だ」
 ラースローの片方の眉が上がった。 何度その手に乗せられたか。 しかし…。
「確証はあるのか」
「はっきりそう申された。 この屋敷ももともとはアルマーシ公のものだ。 ほとんど認められたも同然ではないか」
「よかろう。 ナミルの準備を整えてくれ。 それからだ」
「ナミルでいいのか? あそこは」
「タニアに近く、霊がこもっている。 早く片づけたいならあの場所が最適だ」
オレアルはしばらく考えていたが
「わかった」
としぶしぶうなずいた。
「ところで、あの若いのを呼んでくれんか。 お茶のおかわりがもらいたい」
 締まりのないオレアル顔を上目遣いで睨みながら、こいつからまず呪い殺してやろうかとラースローは思った。 相変わらずの変態野郎め。 体が震えるのをぐっと堪える。 公爵家拝領の件がなければ、真っ先に殺してやる相手だ。
 ラースローは手を伸ばして呼び鈴を持った。
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北宮の一角を借りたワイナー家の部屋に、オリシスは二人の男を招き入れた。 国王オルギウスへのご機嫌伺い、メルキオ殿下からの書状と贈り物の数々を届け、タニアの近況を伝えた使者一行のひとりはオリシスが旧知の知人であった。
 その使者、バルツァ家の当主サヌルスは年の頃は40代前半。 立派な口髭を蓄えている。 落ちついた雰囲気を持ち、頑固そうな所はカルマール氏と似て無くもない。 
 バルツァ家は強力な軍を持っている。 サヌルス自身、エタニアきっての武人である。 代々エタニア王家に仕えているが、その強力な軍隊は一度も王家に向けられた事がなく、王家から厚い信頼を寄せられている。 王家にとってみれば、自分よりも多く巨大な兵をもつ領主、豊かな土地の領主はいつも油断ならない内なる敵であった。 裏切りと寝返りの多いこの時代において、バルツァ家の忠誠はいつも王家にむいていた。
 もうひとりは若い。 タニアの近衛騎士団長カルロス・モドリッチ。こちらも名門貴族の出で、次男であるがため家を離れ騎士団に入り、若くその才能をオルギウスに買われて騎士団長にまでなった男である。
 二人ともオリシスにとって気の合う友人だった。
 だがそれだけではない。
「相変わらず飄々とした恰好をしているな、オリシス。 もっと北宮に出入りするべきだ」
 カルロス・モドリッチが言った。 きらびやかな服がよく似合う。
「そう見せなければならないんだ」
「うそをつけ。おまえのは地だ」
「そういうカルロス・モドリッチこそ、派手さは国王にも劣るまい」
「まあな、わたしの洗礼された美には…」
「なにをほざいている。 美よりも道化ものだぞ、それは」
 ひとしきり笑ったあと、むっつりとしていたサヌルスが飲み物を持って下がった侍女を見届けて言った。
「タニアからの使者はメルキオ様の書状を国王に渡した。 王位の第2継承権をマテオ様にという内容のものだ」
「間違いないか、サヌルス殿」
「間違いはない。 わしの目の前で書状にサインし、そのまま使者に託したのだ。 その返事をもってタニアに引き返すよう言われている」
 オリシスは深く息をついた。
「メルキオ殿下はよくご決断なされた。 帰ったらお伝えしてくれ。わが身に代えても必ず阻止すると」
「ああ。 しかしお主が表だって行動するのはどうかと思うぞ」
「お主はまだ地下面で動いて貰わなければならないことが多い。 とくに事が済んだあとはな」
 カルロスの言葉にオリシスは黙って顔をしかめた。
 エタニアの、いやメルキオの影で情報を収集し、それをもとにこの二人が行動を起こして対隣国との国交や領主達の動きを制してきていた。この三人が国王派を名乗ることで、王室内の分裂を防いでいるところがあった。 国王派のバルツァ家、ワイナー家の進言をメルキオが不承不承聞く、という構図だ。 全てはメルキオの指示ではあったが、情報を得て作戦を練るのはオリシスの仕事と言っていい。 オリシスが自由に動けるのは、いつも影の役割だったからだ。 しかしそれもうすうす宮廷内で知られるようになってきていた。 だからなおさらオリシスはワイナー候の不肖の息子、風変わりな異端児を装うのだ。
「あの坊やでは危ういな」
「エドアルドは坊やではない」
 カルロス・モドリッチは両手を軽く上げてうなずいた。
「すまない。 だが、あの美しい暗殺者の事もある。 彼女、あのままティスナに付かせていたらどうだ? うまくすれば情報が入るかもしれないぞ」
「ラティアのことは計算違いだったが、おかげでエドアルドが救われた。 だが、あのままでは、こちらの情報もいつ漏れるかわからない。 逃す手はずは整えているが」
「そう、そのタニアでのティスナ妃襲撃事件だ。 正式には発表されていなが、かなりな捜索が行われているぞ。 カルマールの小倅の存在は、とうに向こうに知られている」
 そして声をひそめて
「殿下も今回の事からはエドアルドを外せと言っておられる」
 オリシスは腕組をして黙った。 サリエルも何も言わない。 カルロス・モドリッチだけが優雅に足を組み、ワインの杯を口に運ぶ。
 つぶっていた目を見開いてオリシスが言った。
「これは私怨だ。 エドアルドに討たせるのが妥当だ。 おれはそう思う。 そもそもそれを建て前として立てた計画だ。 エドアルドがいることで、どうにでも言い訳がたつ」
「むろん、私怨」
「だが国命がかかっている」
「だから、だ。 どう転んでも立て直す要素を残しておかなければならない。 エドアルドは残す。 あいつに仇を討たせる」
 サリエルとカルロス・モドリッチはお互いに顔を見合わせ、オリシスの表情を読もうとした。
「お主はエドアルドと仲がいい。 ここで手を引かせれば、エドアルドは国外に逃亡させることができる。 その機会を逃すのか? それとも彼を手駒にしておくのか?」
 サリエルが慎重に聞く。
「どちらでもない。 おれにとって大切なのは…」
「エタニア国か」
 オリシスは答えなかった。
「殿下に伝えて貰いたい。 エドアルドは役に立つ。 おれがそうさせる。 奴らが動く前にナミル警護の指揮権をサリエル殿に移す工作をしていただきたいと。 動きがあったらすぐタニアに知らせる。 引継を理由に、サリエル殿はナミルに向かって貰う。 オレアルの動きを封じる。 どちらが前後するかは分からないが、呪詛の痕跡があれば、その者はエドアルドが切る」
 それはラースローの存在があれば、と同義語であった。 サリエルが頷いた。
「カルロス・モドリッチ。 お主はマテオ様の身辺に注意してくれ。 それとタニアの守りを頼む。 ほかの領主たちや近隣諸国が騒ぎだすと困る」
「承知。 近衛騎士団の半分はもともとタニアに残っているからな。 継承権を得たマテオ様の警護と言えば、陛下もタニアに戻ることに反対はなさるまい」
「シルバキアの領事は薄々感じているようだ。 リンデアも国交回復のためのカミラ様が亡くなられたことで真相を追求しているふしがある。 介入を防ぐためにも事は敏速に。 国王の連れている諸候の軍がタニアに流れ込む事も有り得る。 その時は一兵たりともも城壁の中に入れるなよ」
 うむ。 と両氏がうなずいた。 席を立つ前、思いだしたようにサリエルが言った。
「タニアの若い騎士達がコーツウェルに紛れ込んで来ているようだ。 血気盛んな奴らだ。 なにをしでかすかわからん。 ただの物見遊山かもしれんが、監視するにこしたことはないぞ、オリシス」
 サリエルとカルロス・モドリッチはワイナー家の部屋を出たが、オリシスは最期の言葉に引っかかった。 監視する? どこにそんな手があるというのだ。 しかし姿を見せないエドアルドは…。
 オリシスは上着を脱ぎ、いつものくたびれた衣服を片手に部屋を出た。

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買い出しに出るのは久しぶりだった。 食料も生活用品も二人だけの生活ではなかなか減らなかったのだ。 アリア一人では手の込んだ料理はつくれなかったし、そんな料理を作れるというのも変だと思った。 だから質素な田舎料理しか出さなかったが、料理の品目にはラースローは文句は言わなかった。 むしろ味付けの文句は言うものの、アリアのつくったものの方をラースローはよく食べていた。
 初めの情報以来、エドアルドやオリシスには連絡をしていない。 使用人がアリア以外いなくなったことは、アリアが知らせなくてももうすでに噂から察しているかもしれない。 下働きの女達が呪詛の人形の事を黙っているとは思えなかった。
 腐りにくい食料を馬車に積み、ワインを買い、ラースローに頼まれた蝋燭や瓶や得体の知れないひからびたものを買う。 その店に行ってラースローのメモを見せると、紙にくるまれた品物を渡される。 これはなんだと聞くと、店主は薄気味悪い笑いを浮かべ、なんとかを干したものだと言ったが、なんとかの部分は聞き取れなかった。 別に本当に知りたかった訳ではないのでそのまま店を出たところに、影があった。
 知らぬ顔で馬車に戻る。影も別の方向を向きながら、馬車の近くに止めてある馬の手綱を取った。
「ああ、どうしよう!」
 アリアが必要以上の声を上げる。 そしてまわりを見て影の人物を捉えると
「すいません。 車輪の軸が折れちゃったようで、ちょっと手を貸してくれませんか」
 と言った。
 影は黙って頷くと、かがみこんで馬車の車輪の様子を見はじめた。
「ラースローは殆ど外出しないし、外との連絡も取っていないようだ。 屋敷に来る者もいない。 そっちはどうだ、兄上」
 小声でアリアがエドアルドに呟く。
「たいした進展はない。 タニアからの情報もないようだ」
 短く答えて、車軸にも手を伸ばす。
「オリシスたちはどうしてる」
 動かしていた手を止めて、立ち上がった。 手をはたいて埃を落とす。
「もうじき片がつく。 おまえも頃合を見計らってあの屋敷を出ろ」
 この前も感じた事だが、エドアルドは変わっていた。 思い詰めたような目をしている。 思慮の深さを感じられない。 何があったのか。 タニアに残っていたときに何を見たのか。
「ちゃんと話してくれ。 何かするつもりなのか?」
「心配するな」
「ラースローはどうする」
「小物はほおっておけ。 雇い主が無くなれば、自然に排除される」
 アリアは思わずエドアルドを見つめた。 何かを言いたくても何を言っていいかわからない。 自然に排除されるなどという言葉はエドアルドから聞きたくはなかった。 相手がラースローだからではない。 知っているエドアルドはそんな言葉は使わない。 もっと真摯に物事を取り組む質だ。
 エドアルドは衣類をただしてアリアに軽く会釈した。
「大丈夫。 まだこれなら走れる」
「あ、ああ。 ありがとう」
 すれ違いざまにさらにエドアルドが呟いた。
「オリシスに気を許すな」
 振り返ってアリアはエドアルドが馬に乗って歩み出すまで見ていた。
 何を言っているのだ。 オリシスが…? エドアルドとオリシスの間に何があったのだ。 仲たがいをしてどうする。 いや、あれは単なる喧嘩をしている言い方ではない。 自分にまで警告するのはオリシス自身に問題があるようなものだ。 アリアは馬車を屋敷に向けて動かしはじめた。 伏せ目がちに街の様子を伺う。 どこかにオリシスかシモーナがいるように思えた。 誰でもいい。 この状況を説明してもらたかった。 

「ラティアさんには逃げ出す手筈を整えると伝えました」
 シモーナの報告にオリシスはただうなずいた。 北宮にはたまに出仕しているが、オレアルを毎回見かけるのに対し、ラースローはしばらく姿を見せてはいない。 屋敷の人間を解雇した事でオレアルと顔を合わせづらいのか。
「エドアルドからは?」
「連絡はございません」
 何をやっているんだ、とオリシスは舌打ちした。 エドアルドもこのところ顔を見せない。 どこにいるのか、居場所を知らせない日が続いていた。
「タニアからの使者が来る頃だ。 しばらく家の方にいる。 連絡はいつも通りの方法で」
「かしこまりました」
 シモーナは窓から通りを見た。 小さな荷を積んだ馬車が下を通る。 帽子の下に揺れる赤い髪。
「アリア様は如何なさいます」
 オリシスはシモーナに向かず、言った。
「ラースローはそのうち動き出す。 行動を探るなら、近い存在になった方が探り易いだろう」
「そうかもしれません。 使用人達の事はラースローから動いて問題を無くした訳ですから。 でも逆になぜラースローはアリア様ひとりを残したのでしょう」
 わからなかった。 オレアルの手先でないことを省いたとしても、全ての使用人を取り替えた方が安心出来るはずだった。 アリアの世間ズレしたところが気に入っただけかもしれない。 あの男が自分にとって価値の無い者を必要以上に扱う訳がない。
「アリアは大丈夫だ」
 シモーナにはオリシスのアリアに対する自信がどこからくるのかが疑問だった。 なにがあっても崩れない強い絆を感じているかのように。
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中盤を迎えたところで、人物紹介につづき、これまでのあらすじをざっとご紹介します。

中世ヨーロッパのエタニア国。
王太子メルキオの長男が亡くなった。半年前に長女を同じ病状で無くしていたメルキオは、父である国王の側室、ティスナが自分の息子キアヌに王位を継がせるため、誰かに呪詛をさせていると確信する。
エドアルドとアリアの兄妹はある日突然、父・エルネスト・カルマールが国王への謀反で殺されたことを知らされる。
兄妹にも首都近郊からの追放処分が言い渡されるが、密命で父の使命を継ぐよう伝えられる。
首都タニアへ向かう途中、エドアルド達は幼なじみで侯爵家の嫡男オリシスと再会。オリシスはエドアルドの手伝いを申し出る。
エドアルド兄妹にとって8年ぶりの首都タニア。ここで彼らは情報を収集するために隠れ蓑として娼館の用心棒に雇われる。もともと男装していたアリアは、歳を19歳から15歳に偽って男として活動。そしてここでラティアとシモーナという娼婦と出会う。

オリシスのなじみらしいシモーナに軽い嫉妬をいだくアリア。
あでやかな娼婦ラティアの態度は自分たちの正体を知っているかもしれないと危惧するエドアルド。そんな心配を余所に、ラティアとアリアは仲良くなっていく。
そんなある朝、馬を走らせていたアリアは落馬した男を助ける。美女とまごうばかりの容姿だが男の態度はあまりにも横柄だった。
暴漢に襲われたアリアの手当をするシモーナ。シモーナはオリシスの家の使用人であった。オリシスはアリアに提案する。
夏の宮、コーツウェルに行き、呪師とおぼしき人物、ラースローの屋敷に潜入することを。
エドアルドは反対するが、アリアはこれが自分のためだと決意する。

コーツウェルへの道中、オリシスとアリアは襲われる。
タニアにしばらく残ったエドアルドは国王派の罠に陥りそうになるが、罠を知ったラティアがエドアルドの代わりにティスナの馬車に斬りつけ、捕らえられてしまう。
厳しい責めを受けながらもエドアルドのことを話さないラティアは、ティスナの気に入るところとなり、不本意ながら侍女として仕えることになる。そしてラティアと一緒に捕まった異人さんにもティスナとの過去が…。

コーツウェルに着いたアリアはラースローの屋敷へ。
我が儘で気むずかしい性格のラースローは他の使用人から嫌われているようだが、呪詛の噂が立ち初め、使用人が全ていなくなってしまう。

コーツウェルの北の宮でラティアは、キアヌ王子と出会う。ティスナとキアヌ親子の関係は、世間で噂されているようなものではなかった。

一方タニアでの失敗に自分を許せないエドアルドは、オリシスにも当たる。そしてかつての旧友たちに偶然出会い…。



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「おまえの出会うべき相手だ」
 ラースローは何の事だかわからない事を答えた。毒をなめておかしくなったのではないか、とアリアは眉をひそめてラースローを見た。
「おまえは誰かと出会うべくこの世に生まれてきた。 そういう宿命を背負っている」
「なんでそんなことがわかるんです。 出会うべき相手って何者なんですか?」
「わたしには人の過去を読む力がある。 そいつがどういう生き方をしてきたか、見える」
「まさか」
 アリアの背中に悪寒が走った。 過去を読むだなんて人間がこの世にいるものか。 いや、過去を読む占い師もいるのだ、ラースローもその類の人間かも知れない。 もしそうだとしたら、この屋敷に何をしにきたのかすでに分かっていると言う事ではないか。 それともすべて承知で自分をここにおいているというのか…。
「その相手に出会って、どうなるんですか」
「知らん」
「知らんって、」
「読めるのは過去だけだ。 先の事はわからない」
「だって、出会うってこれからのことでしょう?」
「過去もそうだったということだ。だから繰り返す」
「信じられない」
「初めに言っただろう。 おまえは面白い相をしていると」
 この屋敷に来たときにラースローはアリアに面白い顔をしていると言った。
「あれって、これのこと?」
「べつに言うつもりはなかったが、おまえを見ていると面白くてな」
 くーっとアリアは歯ぎしりをした。 この男と話をしていると頭がおかしくなりそうだ。
 過去を読む男の話など信じられなかったが、いい機会だ。ついでに聞いてみようとアリアは気を取り直した。
「ほかに何ができるんだ?」
 いつの間にか言葉遣いが落馬の時にもどっていることをアリアは気が付かなかったが、ラースローの態度にも特に変化はない。
「ほかにとは?」
「例えば、…死者を蘇らせるとか」
 いきなり呪詛の事を持ち出す訳にもいかず、適当な事を言ったが、ラースローはあっさり「だれか呼び出したい死者がいるのか」と言った。
「出来るのか? そんな事が」
「条件があるが、出来ない事ではない」
 とっさにアリアは父親の事を思った。 父を呼び出せば誰が父を殺したのか、誰が本当の仇なのか分かる。
「条件とは?」
「故人の濃い持ち物が必要だ。 遺体や髪や血ならなおいい」
 血のついた剣はエドアルドが持っている。 髪も遺体もない。 とそこまで考えて、アリアは首を振った。 信じられるわけがない。 そんなことが出来るわけが…。 だが、呪詛はその類ではないのか。
「もうひとつ。 いったん呼び出した死者は、その輪廻を狂わせると言われている。 安らかな死を妨げるのだ。 もはや生まれ変わっている人物の呼び出しも不可能だ」
 ラースローは淡々とひと事のように言った。
「じゃあ、やっぱり輪廻ってあるのか」
「言われていると言っただけだ。 本当かどうかは知らぬ。 おまえはなぜそんなに輪廻にこだわる」
 アリアはしばらくためらった後に言った。
「前世の事を覚えていると言った人間がいるんだ。 東の方の国にも行った事のある…旅人で、それ以来頭に残っていて」
 言葉を切って、アリアは小さく首を振った。
「でも、その宗教を信仰しているわけじゃないから、自分にもそんなことがあるとは思えないな」
「そうでもあるまい。 東の宗教を信仰している者だけが生まれ変わるというのか? それこそ魔術だ。 人間の業は信仰によって変わるものではない。 宗教はその考え方の違いだけだ。 国や地域の習慣によって、人間がたどる業の重んじる部分が違うだけだ」
 静かに語るラースローの言葉は、自然にアリアに受け入れられた。 変人だと思っていたラースローがこんなにまともな事を言った事にも驚いたが、言葉の意味の方にもっと惹かれた。 ラースローはアリアが誰かを探していると言った。 あたっているのかもしれない。 気が付かないうちに夢の中の人物を探していた。 オリシスをそうかもしれないと思っていた。 出会うべき人物と言っていた。 過去もそうだったと言っていた。 その過去とは、ひょっとしたら前世なのではないかと思った。 東方の国の人間に起こる事ならば全ての人間に起こる事なのだと言ったラースローの言葉は、アリアの思いに潤いをもたらしてくれた気がした。
 しかしオリシスとは既に出会っている。 自分の出会うべき人物はやはり違うのではないか。 もし仮に同じ前世を共有しているとしたら、自分はオリシスにとってどういう役割をはたしていたのだろうか。 変えようのない事実が存在していると言うのに、出会えたからといって何が待っているのだ。
 ラースローはアリアが本を強く掴んでいるのを見ながら、冷めたお茶を飲み干した。 カタンと茶器をおく音を聞いて、アリアは我にかえった。
「あ、おかわりは」
「もういい」
 盆を下げて、アリアは書斎に戻った。 夕食の支度をする前にここの掃除をしなければ。 そのあとは馬にも餌をやり、そして洗濯物のシワを伸ばさなければならない。 やることはまだある。 のんびり考えている暇があるわけない。 あるわけがないのに、思いはラースローとの会話に還っていく。 過去を読むことや死者を呼び出すこと。 信じられないが、どこかで信じる自分がいる。 ラースローは普通の感覚をもってはいないが、自分はそれを嫌ってはいない。 もっと話を聞きたい。
 アリアは書斎の奥の扉を見つめた。

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屋敷の中の使われない部屋は、白い布を掛けられ閉ざされた。 たった一人の主人にたった一人の使用人では、この屋敷は広すぎる。 仕事の数を減らす事が出来ないなら、量を減らすしかない。 ラースローもこの件については特に文句を言わなかった。 屋敷の事や体裁については、まったくと言っていいほど興味がないように見えた。 従僕もいなくなったので出かける事も滅多になくなり、ラースローは一日中書斎か奥の部屋にこもり、何かをしている。 食事の支度やら掃除やらでアリアも忙しい。
 呼び鈴が鳴って、アリアは庭先から書斎へと向かった。
「本に埃がたまっている。 掃除をしているのか」
 冷たい視線がアリアを捕らえた。
「いますぐ始めます」
「それから何か飲物を持ってこい。 熱いのがいい」
「はい」
「庭の枝が随分と繁って来た。 ちゃんと刈っておけ」
 そこまできて、アリアはむっとした。
「今やっていたところです 。あれもこれもと言うなら、他に使用人を雇って下さい。 このあとすぐ食事の支度をしなくてはならないんですから」
「他に雇いいれるつもりはない」
「だったら」
「だったら何だというんだ」
 どうやったらこの横柄さが無くなるだろうとアリアは真剣に思った。 食事が不味いと言っては怒り、洗濯したシャツにシミがついていたと言っては怒り、花が枯れていると言っては怒る。 決して本人はそんな事を本気で気にしているわけではない。 ただ自分をいじめる材料を探しているだけに過ぎないとアリアは思っていた。 出て行かせようとしているのかもしれない。 しかし出ていくつもりはない。
 だったら細かい事をいちいち言わないで貰いたいと言う言葉を飲み込んで
「お茶を持ってきます」
 アリアは台所へ向かった。
 書斎にラースローの姿はなかった。 奥の扉をノックする。 中から返事が聞こえて、戸を開けた。 この書斎の奥の部屋に入るのは初めてだ。 紙や瓶類や本が部屋中散乱している。散らかっていても全然平気じゃないか。とアリアは心の中で毒づく。
 茶を乗せたお盆をどこに置こうかと迷っていると、ラースローが手を離して中央にあるテーブルの端を片づけた。 茶器に茶を注いで手渡す。
 アリアはしばらく部屋の中を見回した。 棚には色とりどりの瓶が並べられ、他にも草や花、粉末状のもの、蛇やとかげの瓶詰め。 びっしりと書き込んだ紙や実験器具みたいなものが中央のテーブルに置かれている。 部屋は暗く、よろい戸が閉められたままだ。 蝋燭の炎がいたるところで揺れていた。
 いちばん近い所にある草に手を伸ばそうとしたとき、ラースローが言った。
「そいつに素手で触るとかぶれるぞ」
 思わず手を引っ込める。
「なんですか、これ。 毒?」
「のような物だ。 使い方によっては薬にもなる」
 へぇ…とまじまじとその草をみるが、アリアにはそこら辺に生えている雑草と区別がつかない。
「何をやってるんですか、ここで」
 机の上のランプの上には、どす黒いものがぐつぐつと煮えている。 かび臭い匂いが鼻をついた。
「何をやっているように見える」
 逆にラースローが聞いた。
「黒魔術…」
 口にしてからしまったと思った。 疑っている相手にそのままズバリ言う奴があるか。 どこかでそういうオリシスの声が聞こえる。
「当たって無くもない」
「え?」
「今つくっているのは、毒だ。 それも痕跡が残らない強力な。 実験台を探していたところだ」
 ニヤリと笑ったラースローの唇が異様なほど赤く見えて、アリアは一歩退いた。
「冗談だ」
 ラースローは声を出してくくくっと笑った。
「輪廻転生に興味があると言ったな」
 ラースローは一冊の本をアリアに差しだした。
「これに少し書いてある。 読むか」
 黙ってアリアは受け取った。 先ほどの恐怖がまだ残っている。 しかし、以前のことを覚えて探してくれていたのだろうか、と思うと恐怖は薄らいでいった。
「信じますか? 輪廻転生ってもの」
「さあ、わたしには経験がないからな」
「経験があったら、覚えているものなんでしょうか」
「人によるだろう。 おまえはどうだ」
「わかりません」
 ラースローは茶器を置き、どす黒い液体を火から離した。匂いを嗅ぎ、指先で味を確かめる。
 と、唐突にラースローは言った。
「おまえは誰かを探している」
仇討ちの事を言われているのかと、アリアはまたどきっとした。
「誰かって、誰です?」
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「メルキオ殿下はタニアから離れないのか」
 薄暗い酒場の奥の部屋に、数人の男達が集まっていた。
「今年はここコーツウェルの北宮には来ないだろうな」
「宮が移ったところで、タニアで政務が行われているのはいつものことだ。 ユーシス様の喪を理由に今年はタニアから離れるつもりはないだろう」
「では、いよいよか?」
「われらが名を上げる絶好の機会だ。 お主らの決意は変わらないな」
「変えるつもりはさらさら無い」
 それぞれが酒を注ぎ足した。
「待て、あいつはどうした」
 ひとりが乾杯を制した。 それに別のひとりが答える。
「もうじき来ると思うが…」
「本当に奴なのか? しばらく顔を見ていないんだぞ」
「間違えるものか。 死闘をくぐり抜けてきた仲だ。 だが町でばったり会ったときは心底驚いたぜ」
 その時、扉が開き帽子を目深にかぶった男が入ってきた。 まわりの者はとっさに剣に手を置く。
「おれだ」
 帽子を取った男の顔を、立ち上がって迎える。
「エドアルド」
「本当におまえか。 顔を見るまで信じなかったぞ」
「お主が加わってくれるなら、大儀もたつ」
 帽子を机に放り出し、エドアルドは腰を下ろして隣の杯を取り、飲み干した。
「まず話を聞こう」
 旧友に会ったと言うのに、にこりともしないエドアルドに皆はいぶかしんだ。 あの明るくて実直な昔の面影は、今のエドアルドには見あたらなかった。
「お主のことはいろいろ聞いている。 大変だったと思う。 心配していたんだ」
 心配? エドアルドはうつ向いて笑った。 あの事件のあと、誰ひとりとしてカルマール家を訪れたものはいなかったくせに。
「何を笑う。 笑っている場合か。 自分の事だぞ」
「自分の事だ。 だから、自分ひとりでも充分やれる。 お主らはなんだ。 なんの目的でおれを引き込む。 お主らはそのまま暮らしてもなんの不自由もないだろう」
 街で声を掛けられた時からエドアルドが思っていたことだった。 知り合いに会ったのはまずかったが、素知らぬ振りをするわけにもいかない。 勝手に動かれても困ると思って来てみたが…。
「お主に協力するといっているのだ。 むろん、我々にも思惑が無いわけではない」
 家を継げるのは嫡男だけだ。ここにいるような次男や三男は、どこかの貴族の門下に入るしか道はない。
「今の国はどうにもならない。 政務はメルキオ殿下が執っているが、現国王派が実権を握り言うことを聞かない。 また戦でもないかぎりおれたちに出世の目はない」
 フっ、とまたエドアルドは笑った。
「それで?」
「それでとは」
「それで何をやる」
 一同は黙った。乗ってこないエドアルドに警戒心を抱く。
「どうした。 加わるかどうかは、話を聞かなければ始まらないだろう。 たとえ加わらないとしても、誰にも言わぬ。 案ずるな」
 しばらくエドアルドの真意を測っていたが、ひとりが口火を切った。
「知っての通り、陛下は高齢だ。 だがあのご様子ではまだ当分死なないだろう。 陛下がああまで頑なになったのも、ティスナがいるからだ。 あいつがキアヌを嫡子にしたいがために裏で糸を引いている。 だから、ティスナとキアヌを切る」
「これ以上、王子達の血を流さないためにも」
「これはお主の狙いと同じではないのか」
 エドアルドは答えないかわりに酒を飲んで言った。
「失敗したらどうする。 メルキオ殿下の立場が危うくなるぞ」
「失敗はしない」
「この人数では心許ないだろう。 他に加勢はあるのか」
「我らだけで充分だ」
「強盗の振りをするんだ」
 騎士道もおちたものだ、とエドアルドは思った。 さっき言ってた大儀とやらはどこへ消えたのだ。 己の名を伏せて闇討ちをするとは。 しかし、騎士道とは騎士の間だけに成り立つことも知っている。 農民や庶民に対しては、騎士道など無いにも等しい。
「オリシスには声をかけないのか?」
 こんなばかげた計画、オリシスが乗るわけがない。 逆に知られたらつぶされるのがおちだ。 そうでなくともタニアでのティスナ襲撃はメルキオ殿下にとって大きな痛手となってしまった。 だが、本気で暗殺を試みるつもりなら、自分よりもオリシスに声をかけるべきではないのかとエドアルドは思ったのだ。
 しかしその質問には、思いもしない反応が返ってきた。
「何を言っている」
 いぶかしげにエドアルドを見つめる面々。
 エドアルドはもう一度オリシスの名を出した。
「あいつの腕は知っているだろう?」
「何を言っている、エドアルド。 ワイナー家は国王派だ」
「なに?」
「ワイナー家、バルツァ家、それにモドリッチ家は生粋の国王派だよ」
「オリシスとバルツァ家当主のサリエル、近衛騎士団のカルロスの仲の良さは有名だ。知らんのか」
 エドアルドの手にある酒の杯が小刻みに揺れた。
 知らない、そんな話は。
 オリシスが国王派…。
 では今までのは何だったのだ。
 信頼できる友だと思っていた。 だが、あいつの本来の姿を知っていると言えるだろうか。 シモーナという存在。 意外な一面だと思っていた。
 エドアルドはオリシスの行動を初めから思い返した。 自分達についてきたあのタイミング。 情報の多さ。 サリエルとの関係を聞いたときの反応。
 眉間に皺をよせてエドアルドは杯の縁を見つめた。
 アリアの事も、あれは演技だったのか? 全ては自分たちを操り、メルキオ殿下を陥れるための策だったのか?
「計画を詳しく聞こう」
低くエドアルドは言った。
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アリア   … 19歳。燃えるような赤毛。
          過去に傷を持つ男装の元貴族。エドアルドの妹。
          王位継承の陰謀に巻き込まれた父の仇をうつため
          身を偽ってラースローの屋敷で働く。

エドアルド … 25歳。アリアの兄。
          父の代わりに王家の陰謀を阻止する任を負うが、
          国王派の罠にはまり追われる身になる。

オリシス  … エドアルドの幼なじみ。
          ワイナー侯爵家の跡取り。
          諸国を旅する風変わりな男だが、エドアルドを
          手助けするため行動をともにする。

シモーナ  … オリシスの諜報役。理屈っぽい。
          主人のオリシスに対し思いを抱いている。

ラティア  … 娼婦。かつてエドアルドに助けてもらった
          過去がある。罠にはまったエドアルドのため
          捕らえられるが、捕らえたティスナ妃の侍女
          として仕えることに。

ティスナ妃 … 国王オルギウス三世の側妃。キアヌ王子の母。
          圧倒するほどの美貌を持ち、息子キアヌを擁立
          するため陰謀の首謀者と目される。

オルギウス … エタニア国の国王。
          ティスナとキアヌを寵愛している。

メルキオ  … 国王オルギウス三世の第一王子。
          エタニア国の王太子。 
          息子のユーシス王子と娘カミラ姫を
          呪詛で殺される。
          密かに陰謀を暴く探査を命じる。 

オレアル  … ティスナ妃に荷担する国王派の貴族。

ラースロー … 医学と薬学の知識をもつ美貌の青年。
          アルマーシー公爵家の跡取りと言われている。
          クレメンテの神学校で幼年期を過ごし、
          その後オレアルの世話を受けていた。
          性格には問題あり。

エルネスト・… アリアとエドアルドの父。
カルマール   かつての事件で爵位を奪われ、家族だけで
          ひっそりと暮らしていたが、突然姿を消す。
          謀反人として処刑される。

カルロス・ … 近衛騎士団長。派手好で愛想がいい。
モドリッチ

サリエル・ … 名家バルツァ家の当主。 
          エタニア一の武力を持つ。

異人さん  … ラティアのいた娼館の雇われ人。
          クセのある訛りで異人さんと呼ばれる。
 
          
          
           
  
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「小さい頃はね、こんなものだと思っていたんだ。 だってそうでしょ? お父様はこの国の王様だし、ぼくにはやさしいけど、他の人にはよく怒っていたから。 でも最近、なんだかぼくのまわりでいろんな人が変なんだ。 口だけ笑ってお世辞を言ったり、よそよそしくなったり」
 確かに自分は王の子供だが、庶子でしかない。 兄のメルキオを助けて国をつくっていくのが自分の仕事なのだと思っている。 自分にあまる期待はされても無理だし、かといって下げずまれるのもいやだ。 そんなようなことをキアヌは独り言のように言った。
「王家のことはよくわからないわ。 王子は自分でなにかやりたいことはないの? そんなに王家のことばかり考えて自分を押さえていれば、いつか自分を見失うわ」
 いつのまにか王子に対して普通の子供のように接していたラティアの言葉に、キアヌは笑った。
「ぼくは王家の人間だよ。 王家や国民のことを考えなくてどうするの? 個人のことはその次だよ」
「個人のことが王家のその次だとは思わないわ。 自分のことができなくて他人の事が考えられると思う?」
「でも我慢しなくちゃならない事があるんだ。 ぼくがそれをしようとすると、嫌がる人もいるんだもの」
「ティスナ様のこと?」
「…うん」
 子供はいつでも親を求めるものなのだろうか。 とラティアは思った。 ティスナのキアヌに対する態度は解せないものがあるが、全ての親が子を愛しているかと言えば、それは嘘だ。   
「お母様のことが好き?」
「うん」
「ありきたりの事しか言えないけど、王子が好きなら、それでいいじゃない。 好きな人がそばにいるだけで幸せだと思うわ。 愛してくれないからってその人を恨むような事はしちゃだめ。 たまに落ち込むのはいいけど、ひがんじゃだめよ」
「ひがんでなんか」
「ひとりでいるのは良くないわ。 だれか友達をつくらなくちゃ。何でも話せる友達。 それだけで随分違うわよ」
「ラティアがなってくれる? ぼくの友達に」
「もちろん。 でも王子に必要なのは、歳の近い男の友達。 助け合えるような」
「お父様に頼んでみる」
「だめ。 友達っていうのは自分でつくるものよ。 何でもいいから自分から話しかけてごらんなさい。 そこから始まるのよ」
 キアヌは立ち上がって言った。
「うん。 ぼく努力してみるよ」
 そしてラティアに手を振りながら駆けて行った。
 キアヌを見送りながらラティアはアーリアンのことを思い出していた。
 ラティアにとって友達と言えるのは、短い間であったがアーリアンだったと思った。 もちろん館の中にも仲の良い娘はいた。 しかし何のしがらみもなく話が出来たのはアーリアンだった。 今ごろどうしているだろう。 エドアルドの弟なら彼もまた関わっているのだろうか。 世間知らずのくせに、なんていう大仕事をしようとしているのか。
「そのままで聞いて下さい」
 背後からの声にラティアはぎょっとした。 女の声だ。
「あなたはここにいるべきではありません」
 女の声は冷静だ。
「機会があれば、すぐにここから出られるようにして下さい。 町のジノアという宿があります。 逃げたらそこに行って下さい」
 ラティアが後ろを振り向いた時には、すでに姿はなかった。
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 ティスナの部屋に客が来た。 ミストール婦人が部屋付きの侍女達を部屋から締めだした。
 部屋を出るときのその客の好色そうな目つきが、肌にまとわりつくような感じがして、ラティアの肌が思わず粟だった。
 どうして宮廷の男達は騎士でありながら、あんなに男らしくないのだろう。 エドアルドはどうだったのだろうか。 エドアルドならこういう正装も似合うだろう。 しかし、この場はエドアルドに似合わない。 会いたい。 会わないなら会わない方がいい。
 ラティアはそんなことを回廊の手摺にもたれて思っていた。
「おや、かわいい暗殺者さん。こんなところでお会いできるとは」
 ラティアの視界にヒラリとした白い羽が動いた。
 羽根飾りの付いた帽子を取り、優雅に腰をかがめたのは、どこかで見覚えのある…。
「わたしをお忘れですか? あなたを捕らえた近衛騎士団のものですよ」
 ラティアは反射的に後ずさっていた。
「思い出していただけましたか? カルロス・モドリッチです、以後お見知りおきを」
 近衛騎士団長のカルロスは再び軽く会釈した。
 派手な巻き毛と人なつっこい笑顔。 近衛騎士団と言えば、名家の子弟しか入れないと聞いたことがある。 あのなじみの男がやけに羨ましがっていたことをラティアは思い出した。
「何もそんなに怖がらなくても。 命拾いして、わたしと再会出来たことを喜ぶべきですよ」
 自分を捕らえた男のくせに、何を言っているのだろう。 ラティアは自分がどう行動すべきか、まったく分からなくなっていた。 指先ひとつも動かせない。
「ティスナ様にお仕えすることになったと聞いて、わたしも驚いているのです。 本当に良かった。 あなたのような美しい人が処刑されるのは見るに耐えない」
 言っている言葉は軽薄なのだが、この人なつっこい笑顔が警戒心を和らげる。
「ティスナ様は今お部屋かな? どなたかお客様でも?」
 ラティアはかろうじてうなずくことができた。
「どなたがいらしているのかな?」
 ティスナの部屋に来ている貴族の名前など分かるわけもない。 小さく顔を左右に振る。  
「そうですか」
 カルロスが笑顔のまま帽子を被りなおした。 ラティアはやっと解放してもらえるのだと息を吐き出し、ふと中庭へ視線を移した。
 そこに、中庭の池に向かう小さな背中が見えた。 キアヌである。 ぼんやり池を眺めている。 ここには他の貴族の子弟もいるというのに、この子どもはひとりでいることの方が多そうだ。 それに侍女や侍従はどうしたのだ。
 その時、池のほとりの茂みのなかから手が突き出た。 手はキアヌの背中に伸びたのを見た。
「キアヌ様!」
 ラティアは思わずキアヌの名を呼んでいた。 キアヌが振り返るのと同時に、手は慌てて引っ込み、微かな音を立てて遠ざかったようだった。
 カルロスは「失礼」と一言ラティアに告げると、茂みの向こうを追いかけるように身を翻した。
 ラティアもキアヌのそばに歩み寄り、軽く膝をついた。
「ああ、こないだの…」
 キアヌはラティアの顔を覚えていたようだ。
「何をしているんですか」
 背後を気にしながらラティアはぎこちない笑みを浮かべて言った。 あの手の袖口は、貴族の衣装のようだった。 キアヌに用があったのなら、慌てて立ち去るはずがない。 目の前の池の深さを測りながら、ラティアの背に悪寒が走った。 近衛のカルロスという隊長が相手を突き止めてくれればいいのだが。
「うん…。池を見ていた」
「ひとりでいるのはよくありませんよ」
 黙ってまた池に目を落とすキアヌ。
「咎めているんじゃないんです。その、」
「うん。 わかっている。 ぼくはあんまり、みんなから好かれてないみたいだから」
 この子はどこまで自分の状況を知っているのだろう。 そういう自分もよく知っているわけではないが。
「好かれていないなんて、そんなことはないわ。 王子は他の人とは立場が違うからそう感じるだけ」
「ありがとう」
 キアヌはにっこり笑ってみせた。 どこにでもいる普通の子供の笑顔だった。

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 ラティアは離宮の一室で側妃ティスナの衣装を整えていた。
 連日の宴での衣装替え、衣装選びや髪型のデザイン、それらをラティアは全てまかされる立場にあった。 他の女官の嫉妬もあったが、ティスナが重宝しているため口出しは出来ないでいた。
 しかし影でのいじめは日増しに過激になっていた。 ラティアの支給された服が切り裂かれるのは日常茶飯事で、時には食事に針が混ざることもあった。 ティスナ妃の予定が変更になっても知らされず、サロンの予定で用意していた衣装が使えなかったもしたが、ラティアの機転で少しの手を加えることで公式の場に応用できた。 その功績をさらに妬まれる。 ラティアにとって、宮廷は窮屈で屈折した世界でしかなかった。 
 娼館の女達にも嫉妬はあったが、こんな陰湿なものではなかった。 みんな敵意は敵意として現したし、それは正当な理由があったからだ。ここの女達は不幸だ、とラティアは思った。
 豪奢な衣装部屋でティスナのドレスに蒸気をあてシワを伸ばしているとき、扉があいた。
「お母様」
 ちいさな震える声だった。
 ラティアは初めてティスナの息子、オルギウス陛下の第2王子、キアヌ王子に会った。
 他の侍女はどうしたのだろう。 衣装部屋付きの侍女はラティアに仕事を押しつけて町へ繰り出している。 しかしキアヌ王子の侍女はいるはずだ。 いままでも王族は何十のも取り巻きに囲まれて、たとえ母と子の対面でさえ他人が介入していた。
 王子は繊細な顔をしていた。 優しく人をなごませる子犬のような瞳。 髪はまさしくオルギウスの血を引くあま色をしていたが、雰囲気はオルギウスともティスナとも違う、普通の子どものものだった。 会った事はないが、きっと王太子のメルキオとも違う気がした。
「ティスナ様はここにはいらっしゃいません」
 ラティアがそう言うと、キアヌは悲しそうに「そう…」とうつ向いた。
「ティスナ様はきっとお庭の方にいらっしゃいますよ」
 少しかわいそうになってラティアは言った。 確証があるわけではなかったが、この時間は散策するのがティスナの日課だった。
「いいんだ」
「せっかくいらしたのに、あたしが案内しましょうか?」
 キアヌはそれに答えずにきらびやかな衣装に近づいた。 手に取ってほほに寄せる。
「お母様のにおいがするね」
 それはよくつけている香水の匂いだったが、ラティアはうなづいた。
「お母様はいつもきれいだね、そう思うでしょ?」
「ええ…」
 きれいという意味を美しさとするなら、確かに圧倒されるほどの美しさをティスナは持っている。
 それにも増してティスナを美しいと思わせるのは、人を威圧するあの瞳の光の強さだ。
「でも、」
 キアヌが何かを言おうとした時、大きく扉が開かれた。
 ティスナが侍女達を従えて帰って来たのだ。 開かれていた衣装部屋の戸に立っていたキアヌはビクっと身を縮めたように見えた。 会いたかった母親が来たと言うのに、振り向きもしない。
「何をしているの」
 静かだが強い口調でティスナが言った。
「誰に断ってここに来ているの? あなたは今学習の時間でしょう? 先生は?」
キ アヌは答えられず、身を硬くしているだけだ。 こう矢継ぎ早に問われれば、誰だってそうかもしれないとラティアは思った。
「誰か、この子を部屋へ送り届けてちょうだい」
 そう言い放つと、ティスナはキアヌに背を向けて長椅子に座った。 キアヌはそんな母親の背をうつ向き加減に見て、それからミストール婦人を先頭に部屋を出て行った。
「ラティア、そこにいるの?」
 ティスナに呼ばれてラティアはティスナの後ろまで歩み寄った。
「おまえたちも、もういいわ。 下がってちょうだい。ラティア。 おまえは今夜の夜会の準備をするのよ」
 侍女達がラティアを横目で睨みながら下がっていく。 こんなことはもう慣れた。 こうやってひとりでティスナ妃の世話をする自分を妬んでいる事も、このあとの嫌みや嫌がらせも、もうどうでもいい。 地位を得るためにここにいるわけではない。
 髪留めのピンをひとつひとつはずしていく。 ティスナは機会があればいつでも殺せと言った。 そしてこのように惜しみなく隙を与える。 ラティアは手にしたピン先を見つめた。 これで充分ティスナの喉をつくことも出来るのだ。
 鏡にうつるティスナは眉間に微かな皺をよせて、どこを見るわけでもない視線を投げていた。 それはラティアにとって初めて見る表情だった。 先ほどの王子のことを考えているのだろうか。 王子に対するティスナの態度は解せなかった。 世間で騒がれている噂が本当なら、ティスナは王子を溺愛しているはずだ。 それが故にメルキオ殿下の王子や王女達を暗殺したということではないのか。
「ラティア」
 急に呼ばれてラティアは鏡の中のティスナと目があった。
「おまえの両親は?」
 唐突な質問に、ラティアは戸惑った。 なんて答えればいいのだろう。 自分の不利にはならないだろうか。
「構える事はないわ。 おまえはちっとも自分のことを話さないんだもの。 両親がいるかいないかぐらい教えてくれてもいいでしょう?」
 その口調はやさしかった。 慰めを求めているようでもあった。
「親はいません」
「死んだの?」
「はい」
「戦争?」
「十年以上も前のことで、あたしはよく覚えてないんですけど」
 そう、といってティスナはため息をついた。
「そのあとは? それで売られたの?」
「祖父母が面倒を見てくれました。 娼館に入ったのは自分の意志です」
 ティスナは大きく目を見開いて、それから笑った。
「おまえって娘は本当に意志が強いこと。 親を殺した相手を恨んだことは?」
「生きていればと思ったことはあります。 でも相手も知らないし」
「じゃあ、もし、殺されたところを見ていて、その相手がいまここにいるとしたら?」
 ティスナの真剣な目を見て、ラティアはひと呼吸おいた。
「たぶん、何も…。 両親が死んだことはあたしにとって不幸なことだったけど、あたしはいまの自分をけっこう気に入っていますから」
 ラティアの答えにティスナは空の一点だけを見つめ、それ以上何も言わなかった。
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 ラジールが見つかった。 しかし、生きてはいなかった。 町へ向かう道筋からすこしはずれた川に浮いていたのだ。 遺体はすでに腐乱しており、荷物のなかにあった数冊の本のサインで、ラースロー家のものかと問い合わせがあったのだ。 身元を確認に行った家令とアリアが、そのまま遺体を引き取って帰った。
 衣服の乱れもなく、外傷もなく、荷も荒らされてはいない。 完全な事故死とのことだった。 しかし、屋敷の者達の動揺は大きい。 まだ物取りに殺されたほうがありがたかった。 誰もがあの人形の存在を忘れてはいないのだ。
 水を含んで生前の影もないラジールの遺体に、ラースローは一瞥をくれただけだった。
 そして荷物の中から本を取り出して中身を確認する。
 冷たい人間だとアリアは思った。 一時にしろ自分の食事の給仕をした人間ではないか。 盗みをしたにしても、もっと悼んでもいいのではないか。
「墓をつくってもいいですか」
 アリアはラースローの冷たい背中に言っていた。
「好きにしろ」
 ラースローはそう言っただけだった。
 教会に事情を話し墓地を分けてもらう。 板で作っただけの十字架に野の花をそえた。 この作業に手伝う者はいなかった。 誰も気味悪がって遺体に近づこうとはしないのだ。 ひとりの坊主だけが祈りの言葉をかけてくれた。

 呪詛による死ではない、と思いながらもアリアは自分にも打つけられていた人形の存在を無視出来なくなっていた。
 屋敷の使用人達の数が日に日に減っていった。
「このままではひとりもいなくなってしまいます」
 家令がラースローに進言している。
 アリアは庭の手入れから戻ってきたばかりだ。 そのあとすぐに寝室の掃除を始めなければならない。 減った使用人達の仕事がアリアの所に集中した。 もちろんそう命じたのはラースローだ。
 朝は馬屋の仕事から、食事の給仕、洗濯、食器みがき、庭草の除草、池の掃除、屋敷内の掃除、書室の整理とまだ終わっていない清書。 一日が倍の時間があっても足りない。 買い出しにも行かなくてはならないが、その余裕がとれない。 あれからオリシスたちとの連絡は途絶えている。
 掃除に入る前に、ラースローに書室にいつもの茶を持ってくるように命じられていた。 そして家令との会話がアリアの耳にも入ったのだ。
「出て行きたいやつは出ていかせろ。 ついでにおまえも出ていったらどうだ」
 書き物をしているラースローが、視線さえも上げずに言った。
 家令は一瞬怯んだようだが、すぐに持ち直して
「私はこの屋敷を管理する責任があります」
と言った。
「監視する、の間違いだろう。 だがわたしには必要のない人間だ。 これ以上荒らされたくはない。 代わりならいつでも喜んで紹介してくれるところがある」
「ラースロー様…!」
 家令の表情がわなわなと震えていた。
「この始末、伯爵様にしかと報告いたしますぞ」
「好きにするがいい。 ついでに言ったらどうだ? あんたのほしがっているものは見つからなかったと。 それともおまえで実証してやろうか」 
 家令の表情は面白いほど青く変色していった。 話を斜めに聞いていたアリアは、内容がわからずとも、この成り行きに全身で受け止めていた。 家令はきっとオレアルの手先だったのだ。 あの日、いやあの日に限らず、家令はラースローを探っていた。 なんの目的なのかはわからない。 しかしラースローの方ではわかっていたのだ。 そしてそれを疎ましいと思っていた。 ここにきてラースローは家令、いやオレアルに対して反乱を起こしたのかも知れない。 そう思うとラースローに対して拍手を送りたい気にアリアはなった。
 言葉をなくしたまま家令は去っていった。 ラースローは味わうようにアリアのいれた茶を飲むと、やさしく冷たい微笑みで言った。
「さあ、これこの屋敷にはわたしとおまえしか残るまい。 どうする? おまえも出て行くか?」
 アリアはラースローの瞳を見た。 人に邪魔はされたくはない。 だがひとりになるのは…。
「私は、まだ解雇されたわけでは、…ありませんから」

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