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夢のはざま

鏡女王の物語【水鏡】連載中です。

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 翌朝アリアは物置小屋の戸の表側に打つけてある人形を見つけた。 今度は自分の名が記されてあった。
「なんか、やることが子どもじみてるな」
 アリアは、人形を手に小屋の中に戻り、他の荷物のなかに押し込んだ。

 台所の女のひとりが暇をもらって屋敷から出ていった。 娘のお産がとかいっていいたそうだが、あきらかに逃げ出したのだ。 あとの女達も落ちつかない。 これで自分にも人形があったと言えば、どうなることか。
 ラースローは二人目が出ていった事にも、特段感情は現さなかった。 家をとりまとめるなどといった執務に、余計な時間と労力をかけ気はさらさらないようであった。
 新しい紙に清書をしているアリアは、そんなラースローの横顔を観察した。 ラジールにしろ自分にしろ呪詛を受ける謂われはない。 どちらかというと脅しの類なのだ、これは。 今のラースローからはそんな感じは受けられない。 なら、誰の仕業なのだろう。
 手が止まっているアリアにラースローの視線が止まった。
「いつまで時間を掛ける気だ」
 アリアは慌てて手を動かし始めたが、一行飛ばして書き移してしまい、それがまたラースローの叱責を買って冷や汗をかいた。
「盗まれた書物というのは、ラースロー様が書かれたものなんですか?」
 午後の茶を入れながらアリアが聞いた。
「厳密には違う。 私が訳したものだ。 何の値打ちもない。 ただ新しい表装というだけで持ちだしたんだろう。 原書のほうがよっぽど値があるというのに、ばかなやつらだ」
 茶を飲むラースローは皮肉っぽい笑みを浮かべた。 やつらと彼は言った。 それは、自分も入っていると思ってアリアはむっとした。 が、ラースローの言葉のひとつを拾い上げる。
「訳した…?」
 アリアは自分が書き移していた紙を拾い上げて見た。 医学書のようだが、こ難しい用語が並べてあるのではっきりとはわからない。
「遠い東の国のものだ」
「そんな国の言葉もわかるのか」
 自然と口調が元に戻ったことをアリアは気が付かなかった。 そしてラースローも気が付かない振りをする。
「わかるわけない。 シルバキアの学者が訳したものだ。 それを私がまた訳した」
 訳したということは、シルバニア語も医学用語も知っていなければできることではないだろう。 原書も少しは読めるのかも知れない。
「東洋の国か…」
「興味があるようだな」
「あ、いえ、ただ東洋の宗教のことで、人は生まれ変わるっていう」
「輪廻転生か」
「そう、そのことを書いた本があればいいなって」
 ふ、とラースローが鼻で笑ったように見えた。 キリスト教徒のくせにと思われたのかもしれない。 アリアは輪廻を持ち出したことを後悔した。
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 若い給仕は自分の部屋の異様な雰囲気にすぐに気がついた。 しかし、何が異様なのかわからない。 不安のまま床に入った。
 翌朝、目が覚めた給仕は天井に吊るされたものを見た。 ベットの上に立ち上がり、おそるおそるそれを手に取る。 人形のようだ。 しかしひっくり返した時、給仕は紐を引きちぎり床に払い落としていた。

 馬の手入れをしていたアリアは、屋敷の裏から細い道へと走り抜けている影を見た。
「?」
 姿が誰かに似ているようだが、走っていくとは。
 飼い葉桶に餌をやり終わり、台所へ入っていくと、そこの女達が顔をよせあっていた。 またいつもの井戸端か、と自分で食事を盛りつけテーブルにつく。
「まさか、そんな…」
「ラジールの荷物も見あたらないんだよ」
 ラジールとは若い給仕の名前だ。 どうもいつもの会話と様子が違う。
「ラジールが、どうかしたのか?」
 アリアの問いに、彼女らはうるさそうに手を払って言った。
「いないんだよ、どこにも。 もう時間は過ぎてんのにさ」
「じゃあ、あれ、そうだったのかな」
「あれ、とはなんだ」
 呟いた声に応えたのは、家令だった。 いつの間にそこにいたのか、誰もの表情がこわばっていた。 ひとりアリアだけは答える。 小一時間ほどまえに走っていく姿を見かけた事を。
「あいつの部屋の床にこれが落ちていた」
 家令が差しだした手の上には、妙にのっぺらぼうな人形があった。 白い布で出来ており、頭と胴と手足がくびれているだけの人の形をしたものだ。 アリアが手に取って見る。裏返すと、そこに文字が見えた。
「…ラジール…」
 声に出していた。 まわりの女達が声にならない悲鳴をあげた。
「これは…」
「呪詛に使うものだ」
 家令がそう言うと、女達は今度は声をあげて人形をもつアリアから遠ざかった。
「だれが何のためにラジールを呪詛する必要があるんだ」
 とアリアは呟く。 それに、なぜ家令はこれが呪詛だと言い切るのだろう。
 家令は黙ったままだった

 アリアが手慣れぬ手つきで食卓を整える。 茶を継ぐ手が震えた。
 誰もラースローの給仕をしたがらなかった。 それもうなずける。 この屋敷の中で、呪詛の類を行えるのは、ラースローしか思い当たらないからだ。 それでなくともラースローは主人であるにも関わらず、この屋敷の中ではやっかいものなのだ。 しかし台所まで食事に来いなどと言えるわけもない。
「あの男はどうした」
 ラースローが言った。
「ラジールのことでしたら、彼は今ここにはいません」
 アリアは平然と答える自分に内心驚いていた。 手が震えたのは、ラースローを恐れた訳ではない。 もし、本当にラースローが呪詛を行ったのだとすれば、これほど有力な情報はないのだ。 証拠をつかみたいという高ぶった緊張からだった。
 いぶかしげな目をアリアに向けるラースロー。
 朝の癇癪は最近では幾分やわらいでいる。 少しではあるが、朝食も口にするようになっていた。
「暇を出した覚えはないぞ」
 その目をさらりと受けとめて、アリアは眉を曇らせた。 演技だろうか。
 朝食を終えた頃を見計らって、家令がラースローに事のあらましを告げた。
「出て行ったというならほおっておけ。 もともと手癖の悪いやつだったんだ」
「手癖って、」
 アリアが思わず口にした言葉にラースローが面倒くさそうに返す。
「書室の書物や調度品がなくなっている。 あの男が町で金にしていたのだろう」
「え?」
 初耳だった。
「あの部屋の管理はおまえにまかせていたはずだ。 職務怠慢だな」
 ラースローに言われてアリアは呆然とした。 確かに自分の仕事だ。 管理と言うのは、埃を払って品を磨く事だけではなかったことに、今更ながら気がついた自分が恥ずかしくなった。 しかしラースローは数ある書物の何がなくなったかまで把握出来るのか。
「すいません」
 身を固くしたアリアは、自分もここから出なければならないのかを案じた。 そればかりか失った品々の弁財をしろと言われたらどうする。それほどの蓄えはない。
「私が書いた下書きがある。 弁償する気があるなら、おまえが清書しろ」
 ラースローの口調は変わらず冷たい。 だが、それはここにいて良いということだ。 アリアは顔をあげて主人を見た。
「それから、あいつのかわりもおまえがやれ」
 どうせほかにやることはないだろうといわんばかりの言い方だ。
「はあ…」
 この男はいったい何を考えているのだろうか。 初対面では態度が気に食わないと言っていたはずなのに。 戸惑うアリアに背を向けて、ラースローは書室へ歩き始めていた。
「ラジールの件はいかがいたしましょう」
 家令が声をかけた。
「ほおっておけと言っただろう。 おまえの耳は飾りものか?」
 軽蔑的な答えに、家令が苦々しく口を歪めるのをアリアは見た。 何かがおかしい。 アリアは先ほどの失態を忘れてそう思った。
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 アリアからの情報を一同が読み終えた。
 屋敷内の大まかな間取りから、ラースローの一日の行動、使用人と馬の数。 使用人達の態度、書室の本の種類。 客の出入りは今の所ないこと。 王宮の晩餐に呼ばれて不在である事。
 これらの事が細かい字で一枚の紙に書き込まれていた。
 腕組をしたのはエドアルドである。 オリシスはそんなエドアルドを見て、シモーナは窓の外を見た。
 顔つきが変わった、とオリシスは思った。 タニアでの一件はシモーナから詳細を聞いている。 早まった事をと思ったが、そうせざるを得なかったエドアルドの気持ちもわかった。 あの真面目で人のいいエドアルドの顔は、今は険しくすさんでいるようにも見える。
 エドアルドが立ち上がった。
「証拠などいらん。 討つ者はさっさと討てばいい」
「何を熱くなっている。 焦ってまたしくじる気か?」
「二度と失敗はしない」
「計画は立てただろう。 やるならそれに従え」
「いつからおまえが指揮をとるようになった」
 エドアルドがオリシスを睨みつけた。 オリシスは黙ってその視線を受け取った。 
 シモーナは窓の外を見ながら彼らに言った。
「アリア様が心配ですね」
 ふたりがシモーナを振り向く。
「あの屋敷の中の使用人はオレアルの手先のようなもの。 彼らもまた、なんらかの目的でラースローを監視してるのでしょう。 アリア様がそこまで気づいているとは思いませんが、このままラースローに興味を抱き続けるのは危険です。 彼らとは反する立場にあるわけですから」
 シモーナはアリアがラースローを仇ではなく、人間的な興味を抱いている事まで言う事はできなかった。 シモーナの予想は予想でしかない。 確信があるわけではなかったが、シモーナ自身は真実だと思った。
「オレアルが屋敷を整えた。 たぶん、使用人にラースローを見張るように指示したのはまちいないだろう」
 とオリシスが補足するように言った。 エドアルドは苛立った声でオリシスに詰め寄る。
「初めから予測できたことだ。 なのになぜ今更危険と言う言葉が出てくる」
「ラースローをオレアルから切り放すいい機会だ。 アリアの情報で確信した」
「アリアに話したのか、このことを」
オリシスはうつ向いた。
「はっきりと言わない方が動きやすいと思った。 アリアにはそんな野生的な感がある。 だから」
「シモーナ、教えてくれ。 アリアはどんな興味をラースローに抱くんだ」
 シモーナは窓辺から離れてオリシスのそばに立った。 オリシスは顔をあげない。
「ラースロー個人を知れば、それだけ情もわきます。 その時、果たしてラースローを仇と討つ事が出来るでしょうか」
 オリシスが顔をあげた。 その表情を苦い思いでシモーナは見つめる。
「そして、その葛藤を隠しきれる演技力がアリア様にありますか? 使用人はひとり異質なアリア様の存在をすぐに見抜くでしょう」
「おれは、」
 オリシスが口を開いた。 だがエドアルドが遮る。
「では簡単だ。 そうならない前に、かたをつける。 根元を断つ」
そう言い捨てると、エドアルドは部屋を出て行った。
「なぜあんなことを言った」
オリシスがシモーナを冷たく見据えた。
「有り得ない事ではありません」
「わかっている! だがエドアルドに言うべきことではない」
「本当にわかっておいででしょうか。 オリシス様はあの方達を見くびっておられる。 ご自分の思いのとおりに動くと」
「黙れっ」
 オリシスは握り拳を震わせて立ち上がっていた。 シモーナのいつにない批判の口調に腹がたった。 しかし、それだけではないことも自覚していた。
「出かける。 おまえはオレアルを見張っていろ」
 剣を片手に部屋を出ようとする。 今夜の晩餐にも出なければなるまい。 年老いた父は病気のためタニアを離れる事ができない。 その代理のためでもある。
「ラースローも見張りましょうか?」
 オリシスは振り向いてシモーナに一瞥をくれると、壊れるほどの勢いでドアをたたきつけた。
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 ラースローが晩餐会に出かけた。 使用人たちはここぞとばかりに仕事をやめ、各々の部屋に散った。
 アリアは書室に入り、棚を眺めた。
 整理しているときには見つけられた無かったが、やはりここに証拠があるのかもしれない。
 それとも…。
 と、アリアは書室から通じる奥の部屋の扉を見た。
 この扉の向こうへはまだ入った事はない。 時折ラースローは奥の部屋に入り、食事も忘れて何かをしている。
 扉の取手に手を掛けた。 しばらくそのまま立っていた。 が、手を離して扉から離れた。 書室を横切り居間に戻る。 
 なぜ中に入ろうとしなかったのか、アリアは自分でもわからなかった。 あの扉の向こうにいけば、何かがわかるだろうとは思いながらも、今はその時ではないような気がした。 早く証拠を見つけ、兄達に知らせたい。 早く仇を討って、こんなわけのわからない世界からもとの静かな暮らしに戻りたい。 この気持ちは変わらないのに。
「何をしている」
 家令が居間に立っていた。 ぎょっとしてアリアは持っていた蝋燭を取り落としそうになった。
「眠れなくて、その、何か本を借りられたらと思ったのですが」
 家令はじっと細い目でアリアを見ていたが、
「早く寝ろ」
 と言っただけだった。
 アリアはほっと胸をなで下ろし、自分の物置小屋へ戻った。 あの部屋に入っているところを見つかったら、言い訳など立つわけがない。 もう一度大きく息を吸って、吐いた。 窓から書室が見える。 ふと、書室の窓に灯が動くのが見えた。 今度は隣、先ほど自分が入らなかった奥の部屋だ。
 アリアは静かに小屋を出て、奥の部屋の窓下についた。 中から紙をめくる音や、物を動かす音が聞こえる。 家令に違いないが、何をしているのだろう。 窓は高く、背は届かない。
 しばらくして灯は消え、音は何もしなくなった。 部屋を出たのだろう。 小屋に戻ってアリアは考えた。 どうも符に落ちない。 何を考えているのかわからない家令。 あまり仕事に熱心でない使用人達。 まだラースローの方が理解できそうな気がした。

 翌日、アリアは街へ馬車で出かけた。 食料やワイン、蒸留酒、そして食器の補充のためだった。 野菜や肉を買い、馬車へ積む。 ワインは上等の物を樽で運ぶ。 アリアともう一人の下僕とでは重労働だ。 最期に食器を買う。 店に入ると、あらかじめ家令が注文しておいたものを頼む。 店主が奥に引っ込むと、アリアは一息ついてカウンターに寄りかかった。 視線を感じてアリアは店の中にいる客を見た。
「!」
 エドアルドだった。 髪と眉を黒く染め、髭をつけている。 どこかしらやつれたようでもある。 ほかの商品を見るふりをしながら、アリアはエドアルドに近づいた。
「心配してたんだ。 どうしたんだ、その髪は」
「おれの身上がばれた。 おまえも気をつけろ」
「どういう…、オリシスには会ったのか?」
「ああ」
 店主が戻ってきた。 アリアは袖口からそっと、エドアルドの見ている皿に小さく折った紙を落とした。 そして品物を受け取り、馬車へ向かった。
『ばれた、とは。 やはり兄上はタニアで何かしたのだろうか』 
 食器の箱を藁にくるんで荷物の中に乗せた。 その上からまた藁を敷く。 下僕の男が馬をはずして手綱をアリアに手渡した。 後ろの店の中が気になったが、振り返る事はできなかった。 誰かに見られているようで、それがエドアルドの危険につながるようで、もどかしかった。
 荷馬車を走らせようとすると、狭い通りを豪華な輿のついた馬車が向かってきた。 通り過ぎるのを待つ。 中に乗っている人物の影が見えた。 ラースローだった。 隣には着飾った妖艶な貴婦人がラースローにしなだれかかっている。 ラースローの横顔は微笑んでいるように見えた。
「あいつも笑う事があるんだな」
 アリアは心の中で呟いた。 あれほど綺麗な女性がそばにいれば、微笑まない男はいないかもしれない。 しかし、屋敷の中でのラースローとはまるきり別人のように思えて、なにか釈然としないものがあった。
 屋敷への帰り道、農夫出の臨時雇である下僕との会話も上の空で、アリアは考えるともなく考えていた。 エドアルドのこと、屋敷の使用人達の事、ラースローの事。
 エドアルドの事はいい。 目立つのは自分も持っているこの赤毛だ。 これさえ隠せば、人に紛れる。 流れ者の多いこの時期のこの町ならば、下手に動かない限り大丈夫だ。 それにオリシスと会ったのならなお安心できる。 とアリアは自分に言い聞かせる。
 男にも女にももてるやつ、世渡りがうまいやつ。 屋敷内のラースローはそんなオリシスが言った印象とはかなり違った。 あのわがままなラースローから受けたのは、孤独だった。 あの性格で人との付き合いがうまく出来るとは思えなかった。 ましてや子供を呪い殺すなんて。 釈然としないのは、このことだろうか。 どちらが本当の姿なのだろう。 
 アリアは下僕の男に相づちをうちながら、そんなことをただ考えていた。
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 翌朝、何頭かつれて丘を走らせて、厩に戻って世話をする。 あの葦毛の馬も居た。
「昨日はまさかおまえがあのときの馬とは思わなかったよ」
 葦毛はアリアに鼻面をよせる。 自分を覚えているとは思えない。 きっと藁で体をこすられて気持ちがいいのだろう。
 台所の隅で朝食をとる。 熱いお牛乳を飲むと眠気がおそい、あくびがもれた。
 口を閉じるか閉じない時に、ガシャンと音がして、一気に目が覚めた。 同時に響く怒鳴り声。 ラースローの声だ。 台所の女たちは肩をすくめただけで自分達の手を止めようとしない。
 しばらくすると、若い給仕がお盆に砕けた食器を乗せて、台所に入ってきた。
「またかい?」
 年輩の女が聞く。
「また、さ。 まったくいいかげんにしてほしいね、毎回毎回」
 乱暴に屑篭に食器を投げ込む。 ちらりと見ただけだが、投げ捨てられた食器はかなり高価そうな代物だとアリアは推測する。
「何があったんだ?」
 アリアが聞くと、女たちは背中を向けたまま言った。
「いつもの発作さ」
 アリアは牛乳を飲み干して食堂へ向かった。 発作ならばほっとけない。
 ダイニングのテーブルには朝食とおぼしきものが散乱していた。 座ったままのラースローが憮然とした表情で窓の外を見ている。
「具合でも悪いんですか」
 近づいて声をかける。 返事はない。
「発作だって聞いたから」
 ジロリと横目でアリアを睨むラースロー。
「だとしたら、おまえに何が出来る」
「馬を走らせて医者を呼んできます。 ああ、それより馬車に乗せていった方が早いかな」
 とは言ったが、病気ではないことはラースローの様子を見てわかった。 発作とはヒステリーのことだったのだ。
「何が気に入らないんです? おいしい食事じゃないですか。 もったいないことを」
 ラースローの機嫌は最悪の状態のままだ。
「何もかもだ」
 ラースローの袖や胸には、スープが飛び跳ねたらしく、濡れていた。
「着替えた方がいいですね。 その間にここを片づけましょう」
 いつまでたっても誰かが来る気配がない。
「それはおまえの仕事ではない。 余計な事はするな」
「でも、そうしなければ、いつまでも朝食は食べられませんよ。 だからそんなに痩せているんです」
「朝は食べない!」
 残っていた茶器がラースローの腕で払いのけられた。
「ああ、血の脈が低いのですね」
「勝手に決めるな!」
「寝しなに温かいワインを飲むといいですよ。 ぐっすり眠れます。 それから、本もいいけど陽にあたって運動もしたほうがいいでしょう」
「おまえはいつからわたしの主治医になった。 ぐだぐだ言ってないで、さっさと仕事をしろ!」
 ラースローは立ち上がって怒鳴りながら部屋を出て行った。
 すぐ後に先ほどの給仕が入ってきた。 このタイミングでは、戸の影で自分達の様子を伺っていたにちがいない。
「本気で怒らせたな。 あとでこっちにもとばっちりがくるんだ。勝手なことはするなよ」
 給仕はクロスや食器を片付けながらアリアに毒づいた。
「いつもはどうしてるんだ」
「ほとぼりが冷めるまでほっておくんだ」
 どうもここの使用人達は、主人に対する尊敬の念がない。 あの性格ならしょうがないが、とアリアは思った。 しかし、ほおっておくからよけいに癇癪をおこすのではないのだろうか。 ラースローの態度は子供と同じだ。 父が教えていた村の子供達にも、そういう子がいたことをアリアは思い出していた。
「おまえは愛想がない大胆にものを言うな。あのラースロー様に向かって」
 といった給仕の言葉に、アリアは考える。
『そうだろうか』
たしかに愛想はないと自分でも思う。アリアはもともと口数の少ない子供だった。 あの事件があってからは、殆ど口をきく事はなかった。 家族や子供やオリシスならまだしも、外の大人に向かって必要以上に喋る事は、あの村ではなかったことだ。
 タニアに入り、娼館で過ごし、知らずのうちにまわりの人間と打ち解けていた。 オリシスが娼館を選んだのはこのためだったのだろうか。 アリアはあの館をなつかしく思った。 ラティアや女主人はどうしているだろう。 もう二度と会えないかもしれない人たち。
 アリアは首を振った。 それはそれ、これはこれだ。 会話が出来なければ、情報を得る事もできないではないか。

 書室をノックをして入ると、ラースローはいた。 窓辺に向いて、分厚い本を開いている。
「お茶をお持ちしました」
 大きなティテーブルにお盆をおいて、茶の支度を整えた。 ラースローは何も聞こえていないように本から目を離さない。 怒っているというより、本に没頭しているようである。
「そちらまで運びましょうか?」
 茶器を椅子のそばのテーブルに移す。
「薬草茶か。 わたしは病人ではない」
「今朝近くの教会から分けてもらいました。 この種類なら屋敷の隅に植えておけば育ちますよ」
 アリアはラースローの嫌みを無視する。 薬草茶は地域によって育つ種類が違うが、多くは教会で精神安定剤のような用途で飲まれることが多い。
 ラースローは苛立ちながらも黙って置かれた茶器を持ち上げ、そして口元へ運んだ。
「これは、おまえがいれたのか?」
「はい。 …あの、まずいですか? 自己流ですから」
 アリアは自分の家でいれていた方法しかしらない。 母がよくいれたお茶のいれかただ。 いつもその方法だったので、それが他人にとっておいしいのかどうかはわからなかった。
 ラースローはそれには答えずに飲んだ。 そしてまた本に目を戻す。
「ほかに、何か」
「もういい、下がれ」
 お盆をもって出て行こうとする背中に、またラースローが言った。
「知識のないというわりには、けっこう分類ができていたな」
 本の整理のことだ。 ほめ言葉ではなかった。 しまったととっさにアリアは思った。 字は読めても、分類まですることはなかったのだ。
『怪しまれただろうか』
「前の屋敷でいろいろと教えてもらいましたから」
 しかしそれ以上ラースローは言わなかった。
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 厩の隣の物置小屋に目をつけたアリアは、まず木箱の簡易ベットを造った。 屋敷の中の使用人部屋は三人部屋だ。 朝早く起きるのに皆を起こしてしまうからと、適当な理由を作り上げて物置に部屋を貰ったのだ。 ネズミや虫が出てきそうだが、男達との同居に比べたら天地ほどの差がある。 夏の間だけなら壁の隙間も気にならない。
 寝床が出来たところで屋敷に戻った。 もうひとつの仕事場を聞く。1階の居間の奥にある、北側の部屋だ。 重い扉を開けると、高い天井が見えた。 その壁には隙間がないほど棚が造りつけてあった。 床は床で、いろんな本が積み重ねてある。 本と言っても紙で出来たものより、羊皮で出来たものが多い。 古い文献なのだろう。
「その赤い表紙の本を渡せ」
 アリアの頭上で声がした。 振り向いて見上げると、梯子に乗った男が手を出している。 慌てて床にある赤い表紙の本を手に取って、男の手に渡した。
 男はアリアから本をもぎ取ると、棚へと移す。 綿のシャツと地味な色のズボンを着た男は若い。 淡い胡桃色の髪。 細い手首。 男がまた振り向いて、
「そこの束だ」
 と言った。 男の冷たい眼差しを見て、アリアはあっと小さく声をあげた。
「あんた…、あんたもここで働いてるのか?」
 タニアの郊外で助けた、落馬したあのやたらに綺麗な顔立ちの男だった。
「早く取れ」
 慌てて床から拾い上げて手渡す。 両手で受け取り、アリアの問いを無視して戸棚に向きなおる男。
「足と肩はもういいのか?」
 それでも黙っている。 人違いだろうか。 ならばそう言うだろう。
「あのとき、頭も打ったのか? 忘れたにしては本のことは詳しそうだ」
 男はじろりとアリアを睨む。 あのときと変わらない表情。 だが別れる時は和やかだったはずだ。
 そのとき扉が開いて、家令が入ってきた。
「やはりここでしたか」
 男を見上げて家令が言う。 そしてアリアに向かった。
「なんでおまえがここにいる」
 先ほどの一件が苦々しいのか、声に刺がある。
「自分の仕事場所を見ておこうと思ったんです」
 アリアの答などはなから聞く気はないらしく、痩せた中年の家令は男に用件を言い始めた。
「ご返事をすぐに」
「いま忙しい」
「しかし…」
「うるさい」
「わかりました。 ではわたしが代わりに返事をいたしましょう。 もちろんご出席でございますね。 お断りになるはずがございますまい」
 王宮、夏の宮の開催の宴の招待についてである。
 アリアは家令と男を交互に見た。 この屋敷の使用人の長である家令が敬語使う相手。
「それから、この者は今日新しく入ったアーリアンと申す者です。 馬の世話と、ここの管理をまかせました」
 そう言われてアリアは思わずペコンと頭を下げた。 家令は足早に出て行く。 男は苦虫を噛みつぶしたような表情をしていた。
「もしかして、あんたがラースロー…様」
「だとしたら、どうだというのだ」
「どうってことはないけど…、びっくりした」
 つい、会ったときの言葉使いが出て、慌てて言い直した。
「失礼しました」
「ふん」
 ラースローは梯子から下り、手をはたいた。
「すごい本ですね。 まるで引っ越しのような」
 夏の間だけの量とは思えない。 書室の飾りにしては種類が多岐にわたっている。
「あとはおまえがやれ。 今日中に片づけろ」
 ラースローは袖のリボンを締めながら、奥の部屋へと歩いて行った。 神経質そうな性格は元来のものなのか、ラースローの眉間はしわがよったままだ。
「せっかくのきれいな顔が、あれじゃあ台無しだ」
と呟く声が聞こえたのか、ラースローはいきなりアリアを振り向いた。
「アーリアンと言ったな。面白い顔をしている。 この先が楽しみだ」
 初めて見せる笑顔は、明らかに冷笑の類のものだ。 アリアはその笑いに戸惑いながらも言葉の意味を考えた。
『面白い…? 誰だってあんな顔と比べたら道化に見えるさ』
 ラースローの姿はもうなかった。 アリアは腰に手をあてて床に積もれた本の山を眺める。
「今日中だって? まったくタチが悪いったら」
 しゃがみ込んでひとつを取り上げた。 哲学書。 こむずかしい本を読んでいる。
 眺めていてもしょうがない。 と分類事に適当に棚に放り込む。 後で何か言われるかも知れないが、気にしていたら今日中には終わらない。
 しかし、アリアと思う。
 あのときの線の細い男がラースローとは。
 意表をつかれた。 父の仇であるかも知れないのに、親しみを覚えてしまったことに舌打ちをする。 騎士というより学者肌に見える。 クレメンテの神学校を出たと言うのも納得できる。 出てからも学ぶ事はやめなかったのだろう。 それにあの容姿。 顔かたちだけを見れば確かにもてるのだろうが、あの性格では真実かどうかはわからない。
「まあ、わがままな女もそれなりにもてるからな」
 気になるのはあの家令の態度だ。 自分の主人に対しては随分威圧的だ。 言葉遣いは丁寧だが、はしばしに有無を言わせないものがある。なにしろ初対面のアリアに馬をねだるようなやつだ。 オレアルの屋敷にいる間もあんな扱いをうけていたのだとしたら、ひねた性格になるのも無理はない。
 そんなことを考えながら、アリアは台所で食事をする以外は書室に篭もり、一晩かかって本を整理した。 途中、呪詛に関する書物を探したが、それらしいものは見つからなかった。 歴史と哲学、語学、貿易経済、戦記物、医学、アリアのわからない文字で書かれた物。 これでは何が手がかりなのかもさっぱり分からない。 アリアはこの屋敷に来て二度目の深いため息をついた。
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 オリシスはアリアを連れコーツウェルの街を三日歩いた。 一通り街路を教え込む。 あとは郊外の貴族達の館だけだ。 しかしその領地は農民若しくは通行証がなければ入る事はできない。 位置関係だけは地図ですでに説明している。
 アリアは、ワイナー候の知人の騎士の家に雇われていた家令の甥、という経歴でラースローの屋敷に乗り込む予定となっている。 その叔父も自分の家族も既に亡く、最近勤めていた商家も主人の死により代が変わり、解雇となった。 名前はアーリアン。 そういう設定だ。
「大剣を持っているのはまずいな。 毛布にくるみベットの下にでも隠しておけ」
 そう言ってオリシスは細い包みをアリアに手渡した。
「宿に帰ってからあけろよ。 普段はそれを身につけていろ」
 大きさのわりにはずっしりと重い。 短剣である事はアリアにもすぐにわかった。
「接近戦の経験はないな。役に立つ事があるのか…」
 呟くアリア。
「それを使ったら最期、逃げ出してこい。 いざというときの保険だが、二度は効かない」
 アリアは頷いて、包みを懐に押し込んだ。
 
 馬をゆっくり歩ませる。 のどかな田園風景と緩やかな丘の間の道には、アリア以外の人影はない。 まだ朝の早い時間だ。 向こうの畑には農夫達が見えるが、その影は顔も見えないくらい遠い。
 朝の空気をアリアは胸に吸い込んだ。
 これから始まることに多少の緊張があった。
 無駄足になるかもしれないし、うまく証拠がつかめるかもしれない。
 宿に居る間、エドアルドはコーツウェルに着かなかった。 何かあったのだろうか。 しかしオリシスがいる。 連絡はとれるのだ。 うまくいくと信じるしかない。
「考えるさ、ちゃんと。 自分の将来を」
 とアリアは呟いて大きく息を吐きだした。
 進む左手の丘に塔が見えた。 次第に姿を現していく。 アリアは馬を止めてその屋敷を眺めた。
 古びてはいるが、品のいい石造りの屋敷だった。 壮麗さはなく、別荘とも地方の砦とも言え無くはない造りである。 道は屋敷のまえの回転広場で止まっている。
 これがラースローの屋敷なのだ。
 アリアは愛馬セレスの手綱を緩めて、屋敷に向かってまた進み始めた。

「そこで待っていろ」
 家令とおぼしき人物がアリアの持ってきた紹介状を受け取ると、一旦姿を消した。
 台所のテーブルで待たされる。 幾人かの女達が、アリアを横目で見ながら朝の支度をしている。 若い女もいれば、アリアの祖母ぐらいの女もいる。 が、どの女もどこかよそよそしい感じがあった。 自分の恰好がおかしいのだろうか。 それとも年令や性別のごまかしがばれているのだろうか。 と、己の姿を見るが、アリア自身にはわからない。 娼館でさえ隠し通せたのだと自分に言い聞かせる。 
 家令が戻ってきて、アリアを別の部屋に連れていった。
「今ラースロー様は、お忙しく手が離せない、とのことだ。 おまえは字が書けるか?」
 字を知らない方がいいのか? とも思ったが、商家に奉公していたとなれば、字ぐらい知っていることにしておいた方が自然だろうと、アリアは返事をした。
「では、書室の整理と掃除、それから朝は馬の世話をやってもらう」
 書室に入れるのは願ってもないことだった。 ところで、と家令は続ける。
「あれはおまえの馬か?」
「ええ、前の所で解雇される時に戴いたんで…」
「なかなかいい馬だ。 どうだ、おれに譲らないか?」
 譲ればここでの仕事はやりやすくなるだろう。 しかし譲る気などアリアには毛頭無かった。こんな時、オリシスならどうするだろう。
「かまいませんけど、あの馬、前のご主人を振り落としたんですよ。 そればかりか落馬した主人を後ろ足で蹴りあげて。 あのときの怪我が元で亡くなられました。 処分するところを私が貰い受けたんです。 ときどき暴走する事もあるんですが、試しに乗ってみますか?」
 家令は一瞬引いたが、それでも諦めきれないと見えて、乗ってみると言った。
 荷物を下ろしながら、アリアはセレスに囁いた。
「ちょっとがまんしてくれよ」
 セレスは生まれてからアリア以外を乗せた事はない。 家令が自分に触るのを、鼻息を荒くして嫌がった。 家令はなんとか鞍に跨ると手荒に手綱を引いて言う事をきかせようとする。
 その隙にアリアは小枝を折り、それをセレスの尻に刺した。
 セレスはひときわ高く嘶き、後ろ足に立って家令を振り落とそうとする。
「うわーっ。 やめろ、とめろ、とめてくれっ!」
 アリアはニヤリと笑ってからセレスの前にまわり、手綱を取った。
「よーしよし。 大丈夫、もう大丈夫だ」 
 落ちついたセレスの背からころげ落ちるように家令が下りた。
「わかった、もういい」
と言うのがやっとか、早足で屋敷の中に入って行った。
「ごめんよ、悪かったな」
 馬の首筋を軽く叩いてやり、手綱を引いて厩に連れて行った。藁で体を拭いてやる。 セレスはもう落ちついて、飼い葉桶から水を飲んでいた。
 あの家令と、台所の女達の態度はどうしたものだろうか。 先を思いやって、アリアは短いため息をついた。
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 コーツウェルの街はさまざまな人間が溢れかえっていた。 地元の農民と小さな街の住民、夏の宮へ移ってきた貴族とその使用人、そしてその流れに乗って商売に来た商人達。 もともと農園地帯の小さな都市に過ぎないコーツウェルは、この時期だけ人口密度がエタニア一に変わる。
 街の周囲に広がる広大な丘陵地。 所々に点在する林や谷間をぬう小さな川。 自然の地が夏の離宮の大きな庭園となるのだ。

 肩と肩がぶつかりあうほどの混雑の中を、アリアとオリシスは進んだ。 馬は宿に繋いである。 歩きながら街や路地を覚えるためだ。 夏に近いとはいえ、首都タニアに比べると気温も湿度もはるかに低い。 アリアの首のスカーフや長袖のシャツも不自然には見えない。
「すごい人だな」
「王族が来ればもっと増えるぞ」
 コーツウェル独特の田舎づくりの家や商店などは、アリアの目には珍しい。 店先に並んでいる野菜や果物までどこか違うように見える。
「こんなに人がいるなら、かえって見つかりにくいかもな」
 コーツウェルに入るまで、さらに狙われた。 だが初回と同じようにアリア達は怪我ひとつなくやり過ごしてきた。 もちろん相手は絶命している。
 顔と素性を知られている可能性は高かった。 オレアルが手を廻しているのかも知れないとアリアは思ったが、オリシスはどうもはっきりしない。 歩きながらオリシスはぼそりと言った。
「あれな、おまえには黙ってたけど、おれの客だったんだ」
「え?」
「あれ、全部おれ目当てだったの」
 オリシスは開き直って自分を指さしながらニッコリ笑った。
「なんだって!」
 アリアは顔を真っ赤にして握り拳をつくった。
「お主ってやつは!」
「おれも付き合ってんだから、おまえもおれのに付き合ってくれたっていいだろう」
「お主は勝手に首を突っ込んでるだけだろ」
 アリアはオリシスをおいてさっさと歩きだした。 腹が立った。
『まったくなんてやつだ。 こっちは必死になって人を切ったのに』
 だが、そうしなければ自分はどうだっただろう。
 人の命を絶つ事を知らないまま、この仇討ちを終わらせることが出来ただろうか。
 考え事をしながら歩いているアリアの肩に どんっ、何かがあたった。
「おい、どこ見て歩いてるんだ」
 ぶつかった拍子にその相手と向き合う形になった。
 それはアリアの二倍もありそうな体格の男達だった。 着崩した恰好と腰に差した大仰な剣を見ると、どうやら質の悪い種類の人間のようだ。
「おいぼうず、人にぶつかっておいて、何も言わない気じゃあねーだろうな」
 一人がアリアの腕に手を伸ばす。 それを避けて相手を睨みつけ、言った。
「横に並んで歩いてる方が悪い」
「なにぃっ?」
 三人の大柄な男達に囲まれるアリア。それはあの不意を食らった夜の状況に似ていた。
「このガキがっ。かわいがってやるから顔かしな」
 剣を抜いた一人がアリアの鼻先に剣先を向ける。
「きれいな肌をしてるじゃないか。 別な方法でかわいがってやってもいいな」
 アリアに悪寒が走る。 倒せない相手ではないが、一瞬体が動かなくなった。
 その時アリアはふと背後に温もりを感じて、肩の力が自然に抜けた。
 この感じはどこかで…。
「あー、悪いな」
 とぼけたようなオリシスの声が聞こえた。
 そうだ。 これは…、
「悪かったよ。こいつ口のききかたも知らないやつでさ。まだ子供なんだ、許してやってくれよ」  あの夢に似ているのだ。
 いや、もっと昔にも…。
 アリアの脳裏に別の世界のが映った。見た事もない場所。だけど自分はまちがいなく知っているとわかる。
オリシスは男達に金貨を三枚渡していた。
「これで一杯やってくれ」
 情けない態度ではない。 とアリアは思った。 オリシスはこの場で一番いい方法をとったのだ。 今ここで騒ぎを起こし、注目を浴びては元も子もない。
 男達は唾を吐き捨てて去って行った。
「まったく目が離せないやつだよ、おまえは」
 オリシスがアリアに向きなおる。 その目はいつもやさしい。
「どうした、大丈夫か?」
 見つめられたまま動かないアリアを、オリシスはのぞき込む。 その動作にもアリアは心をうたれる。 
 夢の中のあの人物は、オリシスなのだろうか。 それともオリシスから聞いた前世の話しがずっと自分の心に残っているだけなのだろうか。 あの夢を見始めたのはオリシスに久しぶりに会った頃からだ。
「まだ怒っているのか」
 オリシスは頭を掻いた。雲脂が落ちる。
「怒っているわけじゃない。 助けてくれて、…その、ありがとう」
 顔を背けてアリアが言う。
「おあいこだ」
 おあいこであるはずがない。
 一人残さず倒したにもかかわらず、待ち伏せするように襲ってくる相手。 早馬が走った様子もない。 殆どタニアの娼館から出ていないアリアの存在が知られているとは思えない。 初めはわからなかったが、ここまできてあの刺客の目的が自分なのだと確信した、とオリシスは言った。  
「狙われる理由ってなんなんだ」
「ほら、おれって泣かした女も多いし、」
「のらくらしてても、けっこう敵をつくるもんなんだな」
オリシスの言葉は何かを隠していることが多い。 それはもう、アリアにもわかった。 侯爵家の跡取りだ。 何もないわけがない。
「大丈夫なのか? 白昼堂々と街を歩いて」
「宿に戻ったら変装するサ。 連絡の途中に会っても間違えるなよ」
「お主こそ気をつけろ。 ひとの事もいいが、自分の身辺はなるべくきれいにしておくんだな」
 オリシスがどんな理由で敵をつくっているのかわからない。 さっきのような無類漢なら取るに足らないが、襲ってきた男達はある程度訓練されていた。 人を使って他国の情報を仕入れていると言ったが、オリシスがふらりと旅に出るのは、そのことにも関係があるのかも知れない。
 家の事業だけではなく、アリア達の知らない任務をオリシスは負っているのかも知れない。 しかし、アリアはその点については触れなかった。
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