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夢のはざま

鏡女王の物語【水鏡】連載中です。

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 焚火は小さな火をともしている。 まだ真夏にはならないこの時期の北の地の夜は、さすがに冷えた。 林の中の小さな小川のほとりに、オリシスとアリアは今晩の寝床をつくった。
 オリシスは寝転がって夜空を見上げている。 煙が立ちのぼり、その切れ間に星が瞬いている。 アリアは小枝で火をかき混ぜた。 パチっと音をたてて木片が崩れる。

「アリア」
 そのままの姿勢でオリシスが声をかけた。
「おまえさ、なんか希望とかないのか? こういう風に生きたい、とかさ」
 突然の訳のわからない質問だったが、アリアは焚火に目を戻して答えた。
「ない。 あるわけないだろう。 今は父の仇をうつ事だけが目標だ。 失敗したらそれで終わりだし、成功しても口封じってこともあるからな。 ただで殺られたくはないが、先の事を楽観視するほどお気楽な性格じゃない」
 オリシスは寝返りをうってアリアの方を向いた。
「姿だけじゃなく性格までエドの真似をする事はないだろう。 じゃあ、もし、だ。 もし仮にこれが成功して、だ。 王太子殿下より恩賞を賜るとしたら何を望む」
「父の汚名を雪ぐ事だ」
「他には?」
「ない」
 オリシスはまじめなアリアの横顔を見てため息をついた。
「おまえ、もうちょっと自分の将来を考えたらどうだ」
「そういうことはエドに言ってくれ」
「一生エドにくっついてまわる気か? あいつが結婚したらどうする」
「ひとりで生きる」
 あくまでもかたくななアリアの態度に、オリシスは苛立ちを隠しきれず、起きあがって言った。
「おまえ、それでいいのか? この世に生まれて、他に望む事はないのか? なぜあきらめてしまう。 なぜ手にいれようとはしないんだ」
 アリアはオリシスの言葉を噛みしめた。 表情は変えない。 赤くなった小枝の先をじっと見つめる。 
 自分はあきらめてしまったのだろうか。 いや、あきらめるほどの何かを、自分は持っているのだろうか。 オリシスのことは、はなから望んではいない。 この貴重な時間はこういう状況でなければつくり得ないのだ。
「望む事なんか、自分に関してはなにもない。 …自分の将来は、その時になったら考える」
 アリアの答えにオリシスは落胆を隠した。
「本当だな。 その時がきたら、考えるんだな」
「ちゃんとくればな」
 オリシスはあぐらをかいて、アリアの手にある小枝を取った。
「おれにまかせろ。 何のための侯爵家だと思ってるんだ」
 アリアはオリシスを見て、小さく笑った。
「お主の将来は何だ、オリシス。 やっぱり家を継ぐんだろう?」
 オリシスは小枝の先を折って焚火に投げ入れた。
「…おれは家なんてどうでもいい。 親父にはほかに庶子もいるからな。 …おれは、欲しいものがたったひとつだけある。 それが手に入れば、あとは何もいらない」
 何なのだろうか、オリシスの求めるたったひとつのものとは。しかしそれはアリアには聞けなかった。
「そんな小さな事でいいのか? 人には大きな事を言っておいて」
「別に小さくはないぞ。 案外これが難しい」
 そうかもしれない。 アリアは口元を歪めた。 しがらみを全て捨てて、たったひとつのものを求めることがどんなに困難なことか。
「昔の事を覚えているか? 生まれる前の事」
 オリシスはまた訳のわからないことを言った。
「覚えているわけないだろう。 …それって、前世ってやつか?」
 アリアは昔オリシスが話してくれた、生まれ変わりの伝説の話を思い出した。
「…ああ…」
「オリシスは覚えているのか?」
「……さあ、どうだろう。 覚えているかも知れないし、ただの思いこみかも知れない」
 オリシスにもそんな記憶があるのか? だとしたら前世とは本当にあるのだろうか。 アリアは黙ってオリシスの言葉の続きを聞いた。
「ただ何かを失くして途方にくれた事は覚えているような気がする。 …いや、おれが先に死んだんだ。 死にはしないと約束したのに。 今度こそはと思うが、結果はいつも同じだ。あいつがひとり生き残る」
 アリアは膝を抱き寄せた。オリシスがそう約束した相手。 オリシスが『あいつ』と呼ぶ…。
「それがお主の求めているものなのか。それをオリシスは、ここで見つけたんだな」
「…ああ」
「叶うと、いいな」
 アリアは微笑んで言った。
 オリシスはアリアの笑みの真意を測ったが、あまりにも完璧な微笑みにに閉ざされた心を読みとる事はできなかった。
 不意にアリアが話し始めた。
「私は、夢を見る。 どこか遠くの草原のようであり、また大海原のようでもある場所で、場面はいつも違うんだが、誰かがいつもそばにいてくれる夢を。 背中や髪の形や、声まではっきりしているのに、目が覚めるととたんに思い出せなくなるんだ。 でも夢の中では自分が幸福だった事だけは覚えている。 安心して前だけを見ていられる、そんな夢だ」
 アリアは独り言のように呟いた。 夢の事を人に話したのは、これが初めてだった。
「もし、これが私の前世なのだとしたら、世の中もそう捨てたもんじゃないな」
 そう言って口元に笑みを浮かべるアリアをオリシスは見つめた。 アリアに触れたい衝動を、小枝を握りしめる事でかろうじて押さえた。
『ああ、そうだな』
 大きく息を吸って、吐いた。 この世は捨てたもんじゃない。 こうして、また出会えた。
「おまえ、この仕事、自分のためだと思えよ。 生きるためでも幸せになるためでもいい。 エドや親父さんのことより、自分のためだと思って成功させろ。 おれはどんな事でも協力する」
 いつになくよく喋るオリシスを変だと思ったが、アリアは素直に頷いた。
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 出来上がった髪型はティスナを充分に満足させた。
「どう? ミストール夫人。 今までこんなに私に似合う髪型を結ってくれた娘がいたかしら」
 ミストール夫人は気まずそうに顔をしかめていた。
「ティスナ様はどんな髪型もよくお似合いになります」
「そういうことを言っているのではないのよ。 じゃあ、ドレスも選んで貰おうかしら。 ラティア、そこの扉をあけて」
 扉を開けると、この部屋と大差ない広さのもうひとつの部屋が現れた。 違うのは調度品や家具がある代わりに、目も眩むばかりのドレスやアクセサリーがその部屋を埋め尽くしている点だった。 ラティアは扉に手をかけたまま、しばし呆然とした。 一着づつ手に取ってみていたら何日もかかりそうだった。 手前の方の何着かを見る。 旅装に向いていそうな色が濃いめの服を選ぶ。
 その服もティスナの気にいるところとなった。
「おまえは、もう私のものよ。 これから私の身の回りをいろいろやってもらうわ」
 ティスナは自分でイヤリングをつけながら言った。 ミストール夫人はティスナの用事で部屋を出ていた。
「賢い娘ね、おまえは。 聞きたい事は山ほどあるでしょうに。 でも何も聞かない。 知りたい事を聞けば、自分の廻りの者に被害が及ぶと思っているのね。 地下牢にいたときも、何も喋らなかったそうね。 強情な娘。 気に入ったわ」
 ティスナの香水がラティアの鼻を刺激する。
 ティスナのものとは?
 気に入ったとは?
 確かに聞きたい事は山ほどある。 しかし、やはり何も聞けないのだ。
「あの男は無事よ。 もとの所に帰るでしょう」
 嘘かも知れないが、ラティアはひとまず胸をなで下ろした。
「それからもうひとつ。 私を狙った者は逃げたわ。 おまえは誰をかばっているの? いいえ、いいわ、そのことは。 おまえがいた娼館の主人は何も知らない、ラティアなんて娘は見た事もないと言ったそうよ。 それもそうよね。 知り合いだとわかったら自分達の身も危ないもの。 おまえは帰る所もなくしたというわけ」
 帰るところを無くした…。
 その言葉にラティアは動揺したが、ティスナの口調では女主人も店もとがめは受けてないようで、それもラティアを安心させた。
「それでも人の口は止められないわね。 あの店には若い用心棒がいたようじゃない。 あの事件の何日か前に姿を消している」
ラティアは生唾を飲み込んだ。
「ここまで言えばわかるわね。 おまえがここにいれば、きっとその相手は現れる。 おまえはいわば人質なのよ」
 ラティアの足元に硬いものが投げ出された。 祭の店でラティアが買い求め、ティスナを狙ったあの短剣だった。 ラティアはとっさに拾い上げて鞘を抜く。 そしてその刃を自らの胸にあてた。
 と同時に高い笑い声が響いた。
「やっぱりね。 もともとおまえは私を殺す気なんてないのよ。 私の顔すら知らないもの。 かばっている相手は、おまえの大切な人ってわけね。 そしてじゃまにならないように自分を消そうとしている」
 しまった。 とラティアは思った。 投げ出された短剣で自分ではなく、ティスナを刺すべきだったのだ。
「わかったでしょう? おまえが私のもとにいる訳が」
 ティスナは扇で口元を隠した。 その下には妖艶な笑みがあるのをラティアは知った。
「会いたいんでしょう? その人に。 だからあの責めにも耐えたんでしょう? 会いたいのなら、ここにいるのね。 いずれ私の前に引き出されるわ」
 それは考えたくもない予告だが、別の面から考えれば、その時に自分が居合わせる事でエドアルドに脱出のチャンスを与える事が出きるかも知れないのだ。 ティスナはこのことまで言っているのだろうか。
 ラティアは短剣を鞘にしまった。
 ミストール夫人が部屋に入ってきた。
「ご出立の時間です」
 ティスナは頷いてラティアを伴い部屋を出た。
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 今の自分の状況をどう解釈したらよいのかと、ラティアは兵士に連れられながら考えていた。
 鎖を解かれ、狭く薄暗い階段を登っていく。 後ろと前には二人ずつの兵士。 皆鎧をまとい、手には剣や槍を持っている。
「とうとう処刑されるのだろうか」
 と思ってみる。 しかし、自分を尋問していたときの兵士とは身なりが違う。 尋問時の兵士は鎧はつけてはおらず肌の露出した皮衣を着ていた。 手に鞭をもつその男達は、どこか異常な目つきをしていた。  今、自分を連れていく兵士達にはその異常さがない。 接する態度もどこかしら丁寧な感もある。
 階段を登りきり、重い鉄の扉が開かれた。 扉の向こうのあまりの白さに、ラティアは思わず目をつむった。 なのにまだ光が脳を直撃する。
 目をつむったまま歩かされた。 ここはまだただの廊下なのだ。 薄目を開けて光に目を馴らす。 装飾の施された広い廊下。 豪華な場所に圧倒されて、ラティアは初めて恐ろしさを感じた。 こんな所に住む人間にエドアルドは立ち向かったのだろうか。
 ひとつの部屋の前で兵士達は止まった。 大きな声で扉越しに自分達の到来を告げる。 すると観音扉が重々しく開き、ラティア一人が中に入れられた。 部屋はそれほど広くはないが、装飾や調度品は廊下の比ではなかった。 ほうけて廻りを見回すラティアは、部屋の奥中央に座る貴婦人に気がついた。
 黒く豊かな髪、くっきりとした目鼻立ち、圧倒される気品。
 思わずひざまづいていた。
 人間なんて一皮剥けば皆同じだと思ってきたのに、この女性には自分と何かを隔絶するものをラティアは感じた。
「殊勝な心がけね。ラティア」
 発せられる言葉にラティアははっとした。 尋問の時、自分の名前を言った覚えはない。 が無意識のうちに喋ってしまったのだろうか。 いや、異人さんだ。 自分の素性はもう知られてしまったのだ。
 何も言えずラティアはひざまづいたままだった。
「湯浴みをして、傷の手当をなさい。 それから、小さいけど部屋をひとつ用意するわ。 出発までそこを使うといいでしょう」
 思わずラティアは顔をあげた。 言っている意味がわからなかった。それに、いったいこの女性は誰なのだ。
「控えなさい!」
 貴婦人のそばにいる年輩の女性がぴしゃりと言った。 しかし、ラティアには「控えろ」という意味がわからない。
「頭を下げなさいと言っているのです。 これだから下賎の者は…」
 この言葉に、ラティアはかっと自分の頬が熱くなるのを覚えた。 そう言った女性を睨みつける。
「おやめなさい、ミストール夫人」
 優しいが冷たい声で貴婦人がミストール夫人なる者を制した。
「慣れない事もあるでしょう。 でも、じきに慣れるわ」
 
 一昼夜してラティアはミストール夫人に呼ばれてた。 ミストール夫人はつんと上を向いて、ラティアとは必要以外の言葉は喋らない。 傷の手当の時も薬を投げてよこしただけで侮蔑の眼差しで見下げただけだった。
 あてがわれた小部屋は、娼館の自分の部屋よりも広く、ベットは羽のように柔らかかった。 薬を塗った後は全てを忘れてただ眠った。
 いきなり入ってきたミストール夫人の目の前で着替え、髪を結い、薄く化粧をする。 全てが監視つきだった。 湯に入ったせいで傷が痛んだが、それでもラティアは背筋を伸ばして歩いた。
 連れられて入った部屋は昨日よりも幾分小さく、ベットやタンス、カウチなどが並べてある。 おおきな鏡台の鏡に向かい、こちらに背を向けている髪を垂らした女性が言った。
「髪を結い上げてちょうだい」
 鏡には昨日の貴婦人が映っていた。
 ラティアはゆっくり、重い足どりで近づいた。 鏡台に置かれているブラシを取り上げる。 自分の手が震えているのがわかった。 髪は波打つように背に流れている。 今のままで充分とかれているように思った。 髪をそっと持ち上げて毛先の方からブラシを入れる。
「さすがに手慣れているわね」
 ラティアは手を止めたが、またすぐに髪をとかし始めた。
「こんなに近くにいるのだから、私を殺す機会はいくらでもあるわ」
 ガタンとラティアはブラシを取り落とした。 小声ではあったが、はっきりとラティアには聞こえた。 ミストール夫人があわてて近づいたが、それはティスナの声を聞いたからではなく、ラティアがブラシを拾わず呆然としていたためだろう。 ミストール夫人の動きを手で止め、ティスナはにっこり微笑んだ。
「さあ、急いでちょうだい。 出発は近いのよ」
 鏡のなかの微笑みを見ながら、ラティアはブラシを拾った。 ブラシの埃を自分のドレスで拭って、そしてティスナの注文通りに結い上げていく。
 高貴な貴族だろうとは思っていたが、まさか、これがティスナ妃だとは。 自分を殺そうとした人間をそばに置いてなにが楽しいのだ。 それに、異人さんはどうなったのだろう。 頭が混乱して、何を考えたらいいのかラティアはわからなくなった。
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 足音はある牢の前で止まった。 ろうそくの火が牢の中を探るように動く。 その灯がひとつの影を捕らえた。 影はゆっくりと動き、ろうそくの火に目を細めた。
 ろうそくの持ち主はマントのフードを深くかぶっており、顔は見えない。
「ティスィ…」
牢の中の影が言った。 かすれて殆ど聞き取れないが、ろうそくの持ち主には聞こえたようだ。 持っているろうそくを震わせた。

「なぜ?」
 女の声が低く聞こえた。
「…死んだと思っていたのに」
 泣いているように声が震えている。
「あなたが死んだから、なにもかも失ったから私は…」
 最後は声がかすれて聞き取れなかった。 牢の人物は、格子のそばまでにじり寄った。鎖に繋がれて体は、格子の一歩手前で身動きがとれなくなる。
「ティスィ…」
「ティスィは死んだのよ。 あの日あなたが死んだときに」
「私も君も生きている。 そして再び出会えた。 これは単なる偶然か? 神の御意志じゃないのか?」
「神は居ないわ。 いえ、たとえ居たとしても私には必要ない。 今の私に必要なのは権力だけよ。 もうどこの誰にも私の行く道を阻ませたりしない。 私はティスィのように踏みつぶされたりしない。 あんな惨めな想いはもうたくさん」
 ティスィは顔を男から背けるように外らした。 微かに照らされた鼻梁が大きく息を吸っているのがわかった。
「では、ティスナ様と呼びましょう」
ビクンと目深にかぶったフードが動いた。
「もう一度でいい、もう一度あなたの姿を目に焼き付けたくて、ここまでやってきました。 十数年にしてやっと願いがかなった。 一目でも会えて良かった。 ましてや言葉を交わすことなど思いもかけない…。 今まで生きながらえてきた甲斐がありました。 あなたが私の生を死と思うなら、なるほど私は死んだのでしょう。 どうぞこの命、ご自由になさい」
 男がひざまづく。 男の閉じた目に光が映るのがわかった。 衣擦れの音。 目を開けるとティスナ妃がろうそくを石畳の床の上において、格子に手を掛けていた。 目は涙に濡れ、フードから覗く髪はほつれ、化粧もしないその肌はまだ充分に若かった。
「リュージャ」
 自分の名を呼ぶ声がなつかしく響く。 リュージャと呼ばれた男は微笑んだ。 悲しく透明で消え入りそうな微笑みだった。
「リュージャ」
 ティスナが格子の中へ手を伸ばす。 リュージャも身を乗り出す。 しかし繋がれた鎖と鉄の格子に阻まれて二人の距離は縮まらない。
「あなたを片時も忘れた事はないわ。 私のリュージャ。 今でも夢に見るのよ。 あなたと築くはずの幸せな日々を。 何事もなければ、私たちは…」
「ティスィ」
「どうしてこんな形で出会ってしまったの」
咽び無くティスナをリュージャは抱きしめてやりたかった。 運命や自分自身を呪う必要はないのだと。
 ティスナは格子に捕まりながら立ち上がった。
「あなたを開放するわ」
「?」
「あなたはあの娘を止めに入っただけ。 目撃者もいる。 それくらいは私にもできるわ」
「…しかし…。私はいい。だが、ラティアはどうなる」
 ティスナはマントのフードをまた深くかぶりなおした。
「あの娘はあなたのなんなの?」
「私が雇われている店の娘だ。 ただの娘だ。 王家の暗殺など思いつくような娘ではない」
「かばうのね。 でも安心して。彼女は悪いようにはしない」
ティスナはそう言うと、マントの裾を翻して、来た方向へ歩き始めた。
「ティスィ…」 
男はろうそくの炎に照らされて遠くなる影を、消えてもまだ見つめ続けた。
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 暗闇の中でラティアは目を開けた。 しかし、本当に自分が目を開けたのかどうか、あやういものだった。 開けても見えるのは闇ばかりだ。
 朦朧とする意識の中で、ラティアは自問した。
 手首は天井の鎖に繋がれ、感覚を失ってからどのくらい経つだろう。 肩がぱんぱんに腫れ上がっている。 この肩で体重を支えているのだ。 無理もない。 膝に力を入れて立ち上がった。 肩が楽になると同時に鈍い痛みが蘇った。 まだ生きている。 そう感じる。
 鞭をふるっていた兵士達は今はいないようだ。 息をすると胸や胴が痛んだ。 捕らえられてから数日、食事も寝る間も与えられず責め続けられた。 最後の意識が途絶えるまで、自分は何かを口走っただろうか。 エドアルドの名を、言ってしまっただろうか。 彼らが館にいて、どんな仲間がいたか、オリシスやアリアンのことなどを喋ってしまったのだろうか。
 いや、喋っていたら、まだ生きてはいない。 もうとっくに殺されているはずだ。
 一緒に捕らえられた異人さんはどうなっただろう。 彼もまた同じように拷問されているのだろうか。
 
 ラティアは耳を澄ました。
 あたりはしんと静かで、自分の息の他にはなにも聞こえてこない。
 喉が焼け付くように乾いていた。 唾液さえもでてきやしない。 どのくらい続くのだろう。 こんなにつらいのに、なぜ自分は舌を噛まないのだろう。 もう一度会いたいからだろか、あの人に。 ラティアは軽く、ほんの少し首を振った。 会ったところでどうにかなるものでもあるまい。 こんなふうに捕らえられた自分を、エドアルドはますます疎むだろう。 だけど、
 だけどやはり会いたいのだ。 会って言いたいのだ。 エドアルドがくれた言葉を、今度は自分が彼に。

 ラティアは肩をゆっくりとまわした。 鞭で引き裂かれた傷や肩のうっ血が悲鳴を上げたが、ゆっくりとほぐすようにまわし続けた。 生きる希望があるうちは、そのための努力をするべきだ。

チャリ、チャリという鎖の音に紛れて、人の足音があった。 兵士達の者ではなく、それはひとつで、そして慎重に軽かった。
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 気配にアリアは目を覚ました。 眠りが浅かったせいか、状況がすぐに把握できた。 頭が起きていたときのように冴えている。
 近づく影がわかる。 逆光に立ったやつの不注意だ。しかし、顔を確かめるためにはその方向からくるしかない。 オリシスの寝転がった向きは計算されていたのだろう。
 大きく振りかぶる音がする。
 アリアは落ちてくる剣先をかわして、鞘のついたままの剣で相手の胸元を思いきり突いた。 ばきっと音がして、うめく声が続く。 すぐに鞘を抜き、見慣れぬ男の喉元を狙った。
 血しぶきを上げて男の体が倒れる。 それを見届ける前にオリシスの姿を確認する。 オリシスも既に一人を倒していた。 すぐさまオリシスとアリアは背中合わせになり、残りの敵と対峠した。
「あと何人だ」
「五人だ」
「増えてるじゃないか!」
一人が切り込んできた。 オリシスは剣を払いのけ、かえす剣で相手の胸先から斜めに切り下ろす。
 アリアはオリシスを気にする余裕はなかった。 向き合った相手と一合二合と剣を交わす。 つぎにきた剣を素早く避けて胴をなぎたおす。すぐに切りかかってきた相手の剣を受けとめた。 火花が散った。 押されて相手の剣が髪に触れる。 ふと緩めた隙に手を回転させ高く上げた。 相手の剣はアリアの剣腹を横滑り、途切れたところで宙をさまよいバランスを崩した。 それをアリアは見逃さなかった。 振り下ろしたアリアの剣は、その自重で相手の頚脈を切った。
 残る一人は勝ち目がないと恐れをなしたのか、それとも黒幕の誰かに報告に行くのか、後ろを向いて走り出していた。 三人目を片づけたオリシスが腰の短剣を抜き取って放った。 短剣は見事に命中し、その男は倒れた。
 近寄って見ると、男は断息していた。
 オリシスは男の背中に刺さった短剣を抜き取ると、男の衣服で大小両方の剣の血を拭った。
「血は拭いておけ。油がついたままでは使いものにならんぞ」
 アリアを見もせずにオリシスが言った。
 それくらいはわかっている。 とアリアは言いたかった。 だが、手慣れた手つきのオリシスを見ていると、自分がいかに今動揺しているかと気づかされた。
 人を切ったことはあった。 住んでいた村は年に1,2回夜盗に襲われ、その自衛にアリアも加わったことがある。
 アリアは自分が殺した男達を見た。 そう、自分がこの手で殺したのだ。 自分が生きるために。 剣を交えているときは考えもしなかった。
 アリアは首に巻いたスカーフを取り、それで剣を拭いた。拭ったこの血は自分が今生きている証に思えた。 剣を使った結末がこれだと実際に思った事などなかった。 ただ自分の代わりに人を巻き込むまいと思っていただけだ。 そして、自分はまだ生きている。
 アリアは剣の血がきれいに拭い去られていても、まだ執拗に拭いていた。 剣に自分の顔が映っている。 醜い顔をしていた。 死者に対する懺悔ではなく、自分の中の暗澹たる思いであることがさらに醜く見せていた。
 足先が視界に入り、アリアは顔を上げた。 オリシスが目を細めて自分を見ていた。
「充分だ。 潔癖すぎるのも考えもんだぞ」
 笑える文句だったが、オリシスの表情は笑っていなかった。 ひどく後悔したような目をしていた。 なぜオリシスがそんな表情をするのかを疑問に持ちながら、アリアは反対に笑った。
「血筋だ。 気にするな」
 その後、オリシスはひとりひとりの懐を探っていたが、身元となるようなものは見つからなかった。 遺体を見つからないように動かし、彼らの連れてきた馬の鞍をはずして放す。 これで自分達の証拠は消えるだろうとオリシスは言った。
「エドアルドの行動がどこかで漏れたのかもしれないな」
「兄上は無事だろうか」
「……」

 コーツウェルまであと2日の行程だった。
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 夜は宿場で宿を取った。
 タニアを出てからまだ野宿はしていない。 思えば、あの家を出てから、いや生まれてからまだ屋根の無いところで寝た事はアリアはなかった。 だが、ここが一番安心して眠れる場所というものをアリアはここ何年も見つける事はなかった。 安心できたのは、母がいたあのカンタリアの屋敷だけだ。 だから他のどの場所も、野宿だろうと牢屋だろうと大した差は無いに違いない。

「どういうことだよ」
 宿屋の宿帳を前にアリアはオリシスに言った。 部屋がふたつ取れなかったのである。 
「仕方がないだろう。 この時期、コーツウェルへ流れる人間は多い。 余分な部屋が空いてないんだから」
 オリシスが説明をする。
「今まではちゃんと取れたじゃないか」
「わがままを言うな。 だいたいおれたちは男同士なんだ。 別に部屋を取ること自体変な目で見られる。 別々の部屋がほしけりゃ娼館にでも行けと言われたんだぜ」
「しょ…」
 アリアは目をしばたいた。
 ついこないだまで自分達はそう言う場所にいた。 しかし、アリアにはその場所はあまりにも関係がない。
「ベットはちゃんとふたつあるんだ、文句を言うな」
だからといっても…。
 オリシスは荷物を持ってずんずん階上へ向かって行く。
「狭い部屋だな」
 部屋に入ってアリアは呟いた。
「贅沢言える立場と思っているのか?」
 戸口ぎわのベットに荷物をほおり投げてオリシスは大の字に寝ころんだ。
「あー、疲れた」
 と、そのまま寝息をたてる。
「まったく…」
 ブーツを脱いで、水差しから水を汲み、洗面器で顔を洗い足を洗う。 そしてアリアも窓側のベットで眠りについた。

 誰かが起きあがる気配がした。
 反射的にアリアは目を覚まし、傍らの剣を引き寄せた。
「オリシス?」
 オリシスは唇に人差し指をあてていた。視線は戸口に向いており、右手には剣の鞘を握っている。
「!」
 アリアは急いで起き上がり、物音を立てぬように靴をはいた。 おいたままの荷物を肩に担ぐ。
 ドアの向こうで、微かだが人の近づく気配がする。その気配がアリアたちの部屋の前で止まった。
 オリシスが目でアリアを促した。 うなづいて、アリアは窓から外を覗く。 月明かりで辺りは思ったより明るい。 人影はないようだ。 アリアは首だけ振り返ってもう一度頷いた。 窓を開ける。
 が、オリシスの取った行動はアリアの期待を裏切った。
 オリシスは小さな筒を取り出すと、火をつけて床にころがした。 筒は、いったいどこからと言うほど大量の煙を吐き出し始めたのだ。
「ゴホゴホッ。 なんだ、これは」
 袖でアリアは鼻と口を押さえる。
 瞬く間に部屋中に煙が充満した。 窓が開いているものの、それだけではまだまだ換気には足りていない。
 オリシスは頃合を見計らって、勢いよくドアを開けた。 煙はドアから廊下へと流れ出る。 
「火事だーっ。 逃げろ!」
 オリシスは大声で叫び、むせているアリアが抱える荷物を引いて、廊下に飛び出した。 途中誰かを突き飛ばし、火事だ火事だと叫びながら階段へと走る。 各部屋から他の宿泊客が何事だと顔を出している。 煙で良くは見えないが、騒ぎ立ててそのまま逃げるもののいれば一旦荷物を取りに戻るものもいるようだ。
 あっと言う間に宿屋全体が大騒ぎとなり、その中をオリシス達はなんなく馬屋にたどりつき、まだ明けない夜の中を走り抜けていた。
「追手は?」
「大丈夫のようだ」

 明け方、ようやく馬を止めて、川の水で喉を潤す。 落ちついたアリアが草むらに腰を落とした。
「はーっ」
「どうした、ため息ついて」
どうしたもこうしたもない。 とアリアは思う。
「なんだよ、あの煙は」
「ああ、あれか。 いいだろう? まだあるぜ」
「はじめに言ってれれば、私だってそれなりに対応できたのに。 どうしてお主はそう勝手な事を繰り返す。 何にも知らない私は戸惑うばかりだ。 いい加減疲れた」
寝っころがってついと横を向く。
 その姿にオリシスは苦笑する。 オリシスも寝転がり、白みかけた空を見た。
「ここでしばらく休もう」
 えっ? とアリアは上半身を起こした。
「休んでたら、あいつらに追いつかれるぞ」
「いいんだ。 そのためなんだから。 やつらをここで迎え討つ」
 宿で煙幕を使ったのは、そもそもこれが目的だったのだとオリシスは言った。 宿屋では二人とも顔を覚えられている。 彼らの死体があって自分達のがなければ、コーツウェルでの活動がしにくくなる。 その点、街道からはずれたこの場なら死体も見つかりにくい。 途中には彼らにはわかるであろう足跡も残しておいた。
「おまえだって言ったじゃないか。 もう少し引きつけようって」
「そうだが…」
 ここで迎え討つ。 そうとなるとのんびり休んではいられるわけがない。 手にじっとりと汗が滲む。
「休めよ。 体がもたないぞ」
「そんな事言ったってな」
「何も知らないからいい加減疲れたって言ってたのはどこのどいつだ」
「あ…、」
 そう言う事だったのか。 なるほど自分は芝居が出来るほど肝は座っていない。 アリアはオリシスの顔を見た。 オリシスは笑っている。 余裕たっぷりのオリシスの態度にはちょっと腹も立つが、この余裕が逆に安心に変わるのもアリアは気づいていた。
「寝る」
アリアはまた横を向いて目をつむった。
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「つけられているな」
 オリシスがアリアに何気ない様子で伝えた。
「えっ?」
「後ろに四人」
 タニアを出てまだ間もない。 いつ、どのようにして自分達を見つけだしたのだろう。
「どうする?」
 オリシスがアリアに聞いた。
「…時間を稼ぐ。 早いうちにやってもいいが、兄上のことを考えると向こうが仕掛けてくるのをかわしながら、なるべくタニアから遠ざかったほうがいい」
 その答にオリシスは満足してにやりと笑った。
 昼頃には街道も人が多くなってきた。
「何者だ? あれは」
 賑やかな街道沿いの街で昼食をとりながら、アリアが言った。
「オレアルの手先かもしれないし、おれかエドアルドの行動を知るやつかもしれない。 どのみちあまり歓迎しない類の人間だな」
 オリシスは平然とパンをかじりワインを流し込んでいる。 その横顔をアリアはあきれ顔で見る。 
「どうした? さっさと食わねーと…」
「夜までに宿につかないって言うんだろ」
 アリアが手を伸ばした皿をオリシスが取る。
「おれがいただく」
「あーっ!」
 アリアが奪い取るよりも素早く、オリシスは皿の中身を平らげてしまった。
「何をするっ。 せっかく最後にとっておいたのに、くーっ!」
「ま、アリアンちゃんたら、そんなに怒らないでよー」
「気色悪い言葉を使うな!」
「油断するからいけないんじゃないのー」
「このーっ! おいっ店主! 勘定だ。 全部こいつが払う」
 廻りの客がこの二人に注目する。
「おれそんなに金もってねーぞ」
「自分が殆ど食ったくせに。 わたしだってそんな余裕はないっ」
 オリシスは舌打ちしながら小銭を数え、皿の横に置く。店の店主は小銭に顔を引きつらせるにちがいない。 席を立つとき、オリシスがアリアに囁いた。
「こんだけ注目されれば、あいつらも下手に手出しは出来なくなるさ」
アリアは荷物を担ぎながらオリシスに囁き返す。
「わかるもんか。 人目につかない所で消されたら、どうにもなんないだろ」
「少なくとも金目当てではなくなるだろう」
「反対にこっちが向こうをやっちゃったらどうするんだよ。 金目当てって思われるかもしれない」
「あ、そういうこともありえるな。 おまえ案外頭いいな」
「…ばかにしてるのか?」
 オリシスは鼻でふふんと笑って馬に乗った。

 この時期、気候は暑い。 オリシスは薄手のシャツの前をはだけさせてはいるが、アリアはきっちりとベストを着用し、首にはスカーフを巻いている。 暑くて汗が吹き出ているが、そうしておかなければ胸の膨らみや首の細さが目立ち、すぐに女だと見破られてしまう。
「ふう」
アリアは手の甲で汗を拭った。
 北のコーツウェルは涼しい。 そう言う意味ではこれはいい選択だったかもしれない。
 そういえば、目的であるラースローに対しての情報が少ないのにアリアは気がついた。
「オリシス。 お主は宮廷にも詳しい。 やつに会った事ぐらいあるんだろう?」
 とオリシスに聞いてみる。
 オリシスは馬上からアリアを振り返り、そして、また前を向いた。
「おい、聞こえてるんだろう?」
 アリアは馬を急がせオリシスの隣に並んだ。 オリシスの顔は憮然としている。 なにか気に障る事でも言っただろうか。
「遠目だが、何回か見かけた事がある」
「どんなやつだ」
 オリシスは憮然としたまま憮然と答える。
「女にも男にももてるやつだ」
 つまりオリシスよりもいい男ということか。 アリアはくすっと笑った。
「でも、男にもてるってどういうことだ?」
「さあな。 世の中にはわけのわかんない奴が多いからな」
 アリアは、自分の頭を殴ってきた男達の台詞を思い出した。
『女よりもいいかもよ』
『おれにも回してくれよ』 
 改めて悪寒が走った。
「男が男にもてるなんて、けっこう不幸なやつなんだな」
とアリアは心の中で思った。
「見てくれにだまされるなよ。 やつはそれで宮廷でのし上がってきたんだ」
「それだけじゃないだろう? 国王の主治医にってことは、国王やティスナからの寵愛をうけていることになる」
「寵愛を受けるっていうのはな、他のやつらからのやっかみが激しいってことだ。 その中をくぐり抜けてきたんだ。 世渡りがうまいのさ」
「お主には真似出来ないことかもな」
オリシスはアリアを振り返った。
「おまえがおれにそれを言うか?」
「さあな。 わたしは宮廷に上がった事はないからな」
素知らぬ顔でアリアは受け流す。 オリシスの言いたい事はわかる。 仮に宮廷に上がったとしても、自分やエドアルドがオリシスより宮廷内での地位をもつ事など出来るわけがない。 だが、それ以前に宮廷にあがることなど有り得ないのだ。 惜しくもなんともないが、今更言っても比べようがない。
 アリアは黙ってまだ見ぬラースローなる人物の事を考えた。
 女にもてて、男にももてる。
 容姿はいいのだろう。 口もうまいかもしれない。 なるほど世渡りも上手でなくてはならない。
 アリアはそれらの情報を一旦消した。 先入観で人物像を固めない方がいい。 自分で見て確かめる。 そうしなければ判断を見誤るかもしれないのだ、とアリアは思った。
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 ラティアは皆から離れてエドアルドの姿を探した。 小走りになって人混みをかき分ける。 どこにいるのだろう。 狙うとしたらどこから? 何を使って?
 立ち止まって通りに立ち並ぶ建物を見た。 窓という窓から人が乗り出している。 その中で、ひとつだけ、開いてはいるが人影の見えない窓があった。
 通りを横切ろうとしたが、すでに行列がさしかかっていた。 歩兵がラティアの目の前に続いた。 その後に騎乗組。 そして王族だ。 間に合わない。
「いけない、エドアルド。 これは罠よ」
 次々に通り過ぎていく行列。 ラティアは人混みをかき分け、流れに逆らって王族の馬車を目指した。 人々が歓声を上げる。 ぶつかるラティアをののしる声も上がる。 あの窓を振り返ると、赤い髪がかすかに見えた。 キラリと光るのは鏃だろうか。
 ラティアは胸元から剣を取り出して握りしめた。 沿道の守りを固めている兵士の脇を通り抜け、通りに躍りでる。
「おいっ。 こら」
 気がついた兵士がラティアの後を追う。
 赤い馬車は目の前だ。 ラティアは剣の鞘を投げ捨てて馬車に向かって走り出した。
 その後を追うのは兵士だけではなかった。 異人さんもラティアの行動を見ていた。
「ラティア!」
 その声はラティアには届かない。 馬車につながれた馬がいななく。 廻りの付き人が悲鳴を上げる。 異変に気がついた歩兵達が槍や刀を持って掛けよる。
 ラティアは彼らよりも早く馬車の戸に手を掛けた。 だが、兵士達の手がラティアのショールをつかんだ。 ショールを無くしたラティアの黒髪がふわりとこぼれ出た。 続いてラティアの腕や衣服を掴む兵士達の手と手。
 ラティアは短剣を手にしたまま兵士達に押さえつけられた。
「ラティアっ!」
 同時に異人さんも兵士達によって抑え込まれた。
 馬車が止まり、中から降りてきたのは近衛隊の隊長、モドリッチ家のカルロスであった。
 派手な羽根飾りのついた近衛隊長の帽子をかぶり、金の房がついた剣を腰に巻き毛のカルロスは声高く命じた。
「そのものどもを城まで連行せよっ」

「ラティア…」
 エドアルドはクロスボウの引き金を今引こうとしていた矢先に起こった出来事を、信じられない思いで窓から眺めた。
「なぜ、ラティアが」
 そこに戸を蹴破るようにシモーナが入ってきた。
「シモーナ」
「早くこの場から逃げるのです」
「なにがどう…」
「これは罠です。 もうじき兵士が乗り込んでくるでしょう。 早く!」
「わな…?」
 シモーナはエドアルドの戸惑いを無視してエドアルドの荷をかき集めた。 証拠が残ってはなにもならない。 しかし連絡した者がエドアルドの素性を知っていればもうどうしようもないが。 しかしこの場でつかまるよりは何にもならない。
「しかしラティアは」
「彼女の事は諦めた方がいいでしょう。 彼女は…」
「シモーナ!」
「早く!」
シモーナはエドアルドの腕を掴むと廊下に出た。 そこには二人の男が倒れていた。
「あなたの行動を見張っていたのです。 異変があったときにすぐに踏み込めるように」
「君が殺ったのか」
「この計画をなぜわたくしに言って下さらなかったのですか。 そうすれば…」
そうすればラティアがつかまる事はなかったとシモーナは言いたいのだろうか。
「わな…」
もう一度呟く。
「こちらです」
表階段を避けて廊下の突き当たりの窓から屋根づたいに裏道へと逃げる。
「まて。 ラティアはどうなる」
「彼女の事は考えるのはおやめなさい。 今あなたがつかまっては彼女の行動も無になります」
エドアルドは言葉を失った。
「これをかぶって」
シモーナはショールをエドアルドの頭に巻いた。 振り返ると出てきた窓から兵士達がのぞいている。
「あなたの赤毛は目立ちすぎます」
「ラティア!」
エドアルドは叫んだ。 叫んだ所でラティアには届くわけもないがそれでも叫ばずにはいられなかった。
「ラティアーっ」 
シモーナはエドアルドの腕を強引に引きながら路地から路地へと走り続けた。

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 エドアルドは迷っていた。
 その男がもたらした情報と指令が今までと違い、急を要したからだ。
 コーツウェルへの王宮の移動。その最中にティスナを討つ。
 オレアルの身辺調査は打ち切りになった。
 なぜ急にというエドアルドの問いに、男は答えた。 メルキオ殿下の次男、マテオ王子に次時期の継承権が与えられ、その身の安全のために早急に黒幕のティスナを暗殺する事が決定されたのだと。
「つぎに行動を起こす者が出たら、メルキオ殿下の名前を出して排嫡へとつなげる」
そう言ったシモーナの声がよぎる。 しかし…。
 しかし、これが本当にメルキオ殿下の直令だとしたら? これを逃してマテオ王子の命が危ぶまれたら? 自分たちにはもうこの舞台での役目はない。 そればかりか今度は本当に追われる身になるだろう。 いくらメルキオ殿下とはいえ、事情を知る者をそのままにしておくわけがない。
 薄暗い小さな宿の一室でエドアルドは眠れぬ夜を過ごしていた。

 「じゃあ行ってくるわ」
 ラティアは薄いベールを頭部から羽織り、女主人に言った。
「今日は人が多いからね、早く帰って来るんだよ」
「わかってるって」
 ラティアたち店の娘らは裏戸から外へ出た。 昼間に外に出るのは久しぶりだ。
 白粉や紅、布、髪飾りなど、今日は祭であるかのように通りに屋台が並ぶ。 こういう日は館の娘達も外に出て、自由に買い物ができるのだ。 ラティアやシモーナや他の娘達はは夜の衣装とは違う質素なドレスを着て、街娘のように賑やかな通りへ繰り出していた。
 目つけ役は、本来なら用心棒がなるのだが、アリアやエドアルドのあとの代わりはなく、異人さんが一緒についていた。
「あー、楽しみ。 あたし、赤いショールがほしいの」
「赤なんて安っぽく見えるわよ。 あんたの髪には深い青が似合うわ」
「青なんていやよ。 老けてみえるもん」
「あたいはね、かあさんに布と針を買って送るんだ」
「弟たちに砂糖菓子を」
「きれいな石のついた腕輪がないかしら」
はしゃぐ娘達のおしゃべりはとまるところを知らない。
 ラティアはそんな会話の中には混ざらずに、賑わう通りの人々を落ちつき無く見回していた。
「どうしたの? さっきからなんか変だよ、ラティア」
「え? ああ、王様のパレードって、まだかなって思って」
「なにあんた、そんなの今まで全然興味なかったくせに」
「いいじゃない。 たまには別世界の人たちを見たいと思ったって」
内心の焦りを隠そうと、ラティアはつんと鼻を上げた。
 どこかにエドアルドが居るはずだ。 いや、居なければ居ないに越した事はない。 だが、会って早く伝えなければならなかった。 事が起きてからでは遅いのだ。
 娘達は屋台のひとつひとつで足を止め、お互いに見立て合いながら品物を手に取る。 値段が折り合わないとさっさと立ち去る。 苦労して貯めたお金を無駄使いする余裕は彼女達にはない。 彼女達を引き留める売り子の声。 戻って目当てのものを値切る者。
 そんな中で、ラティアは金物の屋台で足を止めた。
 金銀の装飾のついた短剣や実用的なナイフなど、刃物が整然と並んでいた。
 ラティアはひとつ手ごろな短剣を買った。 胸元に隠しておくには丁度良い大きさだ。 他の娘達に見られないようにしたつもりだが、異人さんだけはラティアのその行動を見ていた。
胸元を隠すようにベールを引き寄せる。 と、その時、通りがひときわ賑やかになった。 行列が始まったのだ。
  
 エドアルドは宿の2階の窓から通りを眺めていた。
 人の出が多い。 男女が老若男女が通りに溢れてまるでお祭騒ぎのようだ。
『こんな騒ぎを見るのは久しぶりだ』 
とエドアルドは思った。 リンデアとの戦いに勝ち、街道をタニアに戻る時も、こんな風に人々が迎え入れてくれた。そ してあの日、カルマール家の運命が変わった。
 じっとりと手に汗が滲む。 何が正しくて、何が悪なのか。
「いいや、ちがう」
 物事は正悪の判断だけで片付けられるものではない。 
 ならば、今、自分のしようとしていることはなんなのだろう。
 エドアルドは手元にある石弓を引き寄せた。
「決めたはずだ。 ティスナを討つ」
 人々の歓声が耳に届いた。 王の行列が近づいたのだ。
 この位置からなら、人混みを避けて赤い馬車を狙う事が出来る。 目を凝らして広い通りの向こうを睨みつけた。
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 ラティアは窓にもたれて街の明かりを眺めていた。 アリアが去り、そして今日、エドアルドが去った。 エドアルドは最後まで自分を見ようとはしなかった。
「人知れず、勿忘草よ…か」
古い唄を口ずさむ。
 会いたいと思って思い続けた人に、ようやく会えたのだ。 それだけで充分ではないか。 もともと話ができる相手ではないのだ。 人違いだとは思わなかった。 あの瞳、あの声、忘れるわけがない。

 傲岸な貴族に連れて行かれそうになった時、ラティアはまだ10歳だった。 何のために自分が連れて行かれるのかわかっていたし、貴族とは多かれ少なかれどれも皆同じ様な人種だった。 まるで自分達がいなければ、おまえたちなど生きていられるわけがないといわんばかりの態度をとる。 貴族がいようといまいと、政権が誰の手に渡ろうと、自分達農民や平民にとってはまるっきり関係のないのに。
 祖母は泣いてすがっていたが、自分の身を案じていたのではなく、いずれ成長した自分を金持ちの妾にでもして、たっぷり金をせしめようという思惑が崩れるのを嘆いていただけにすぎない。 その祖母の思惑をつぶしてやるのもいいと思っていた。
 しかし、その手を止めた者がいた。 まだあどけない面影を残した赤い髪の少年だった。 鎧をまとい、貴族達より身汚い恰好をしていたが、物腰や喋り方はやはり貴族のものに思えた。 しらないうちに貴族達はいなくなっていた。 家が焼ける匂いがして、赤い髪の少年はそれを消そうと必死に水を掛けたりマントではたいたりしていた。 そしてすすけた顔でにっこり笑って言った。
「大丈夫。 もう、こわがることはないよ」
 恐がってなんかいないのに、何を言っているんだろうと思ったが、自分の足が震えていた事に初めて気がついた。
「どうあがいたって、あたしの運命はこうなるって神様が決めてしまったのよ」
 両親が死んでからなにもいいことはなかった。 この先だってなにも期待はしていない。 そう言ったが、足が震えていたように強がりだったのかもしれない。
「ちがうよ。 神はね、戦争や厄災や貧しさや、そういう自分をとりまく大きな流れから自由にしてくれる存在なんだよ」
「自由?」
今から思えば、あれは精神的な自由のことを言っていたのだろうとラティアは思う。
「もちろん自分で切り開いたっていい。 運命というものがあったとしても、それに従わなけれならないことはない」
 おぼっちゃんなことを言う、とラティアは思った。 だが、今までそんな事を言ってくれた人はいない。 少年の微笑みが、ラティアの中に残った。
 3年後に祖父が死に、生活はもっとひどくなった。 ラティアが成長するのを待てなくなった祖母は、ラティアを商家に売る手筈を整え始めた。だが、ラティアはあの言葉を忘れなかった。 囲われるぐらいなら、自分で働く。 一生外に出られない生活より、もう一度あの少年を探したい。 ならば、可能性のあるタニアに行こう。 祖母にはまとまった金を渡した。 タニアから来た人買いに娼館行く事を条件に自分を売ったのだ。 もう祖母とはなんの縁もない。 あとは自分次第だ。 あのとき言えなかった言葉を、あの少年に言うために。
 しかし結局何も言えなかった。エドアルドは自分の素性を隠しているようだったし、もしかしたら昔助けたちっぽけな少女のことなど、忘れてしまっているのかも知れない。 それならまだ救いはある。
 だが、エドアルドはわざと自分を避けているようにも思えた。 覚えていながら避けられているのなら、どうしようもないではないか。 自分の選択が間違ってなかったことだけにラティアは感謝するしかない。

 相手の男が寝返りをうって、細目をあけた。
 貴族のようなこの男は、もったいぶってはいるが実は貴族ではない。 なじみの客で金回りもいいが、見栄っぱりな性格が鼻につくこともある。 こうして宿に呼び出すほどの人物でもないくせに、やたらに身分を隠したがるのだ。 こういう商売女は何もわからないと思って何でも話をする。 大概は愚痴や悪口や噂話で、いかに自分が優れているかとか、それなのに軽んじられているとか。
「なんだ、起きていたのか」
「…ちょっとね…」
 ラティアは視線を窓に戻した。 大きく伸びをする。
「あーあ、なんかおもしろいこと、ないかなー」
「おいおい、ぼくと一緒にいて、おもしろいことはないかなーは、ないだろう」
「そうだわね」
振り返ってラティアは笑ってあやまった。
 男は肩肘をついて半身を起こした。
「ないこともないぜ、おもしろいこと」
「なによ、それ」
 明日、王室はコーツウェルへの出立する。そのとき大取りものがあるのだと男は言った。
「赤い馬車に乗った人物を襲う輩が出てくる。 そいつをひっとらえるのさ。 もちろん罠をはって」
「ふうん」
 身支度を整えながら、ラティアは相づちをうった。 どうせ自分には関係の無い話だ。
「父親が謀反騒動で切られて、今度はそいつも縄をかけられるのさ。 エドアルドのやつ、親父の仇が討てるってんできっと意気込んでるんだろうけど」
 ラティアの手が止まった。 今、この男はなんて言った? 
 男はラティアを気にもせず、まだ何かを言っている。 まるでこの計画を自分がたてたかのように得意がっている。
 謀反騒動の男のことなら、店で聞いた事があった。 店に来ている男達の間でひとしきり話題になっていた。 まさか、エドアルドがその息子だと言うのだろうか。 だからエドアルドはあまり店には出なかったのか。 
 この男はあの店にエドアルドがいた事を知って、自分にこの話をしているのだろうか。 これは罠か? 
 だが、この男にそんな知恵はない。 ただいいところを見せたいがために、こんな重大な秘密を自慢話のように語っているだけだろう。
 髪を結い上げる手をまた動かしながら、ラティアは何気なく聞いた。
「ねえ、罠ってどうやって仕掛けたの?」
「ああ、あまり詳しくは言えないけどな、ちょっとこれ宮廷がらみでさ」
密使の書簡をすり替えたのだと男は言った。 それ以上言わないところを見ると、やはりこの男は大した役では無いという事だ。
 ラティアは支度を終えると、じゃあねといって部屋を出た。
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「…抜け出せないんじゃない。 忘れてはいけないと思っているだけだ」
エドアルドは呟いた。
「それもいい。だが忘れる事も必要だ」
オリシスは言葉を切って、窓の外を見た。
「ラティアは、おまえがあのときの若い将校だと知っている。 哀れだな。 今のおまえではラティアも何のためにここに来たのか」
エドアルドはオリシスを見て眉をしかめた。
「どういう…」
オリシスはエドアルドの視線を感じつつも、窓の外から目を離さずに言った。
「ラティアの家は貧しかった。 働き手を失った家では、娘を奉公に出すしかない。 それよりラティアは都に出る事を希望した。 男達が出入りする所なら、いつかあの赤毛の将校の噂も聞けるかも知れない。 ただ、それだけのために」
「なぜそこまでオリシスが知っている」
「おれはおれなりにあの事件を追っていたんだ。 少女がタニアのどこにいるのかまでは分からなかったが、もしやと思ってラティアの素性を調べた。 ここに居たのは単なる偶然だ」
エドアルドはオリシスの言葉を消化しようと何度も頭の中で反芻した。
「ラティアがおれに会ってなんだというんだ。 何のためにおれに会う」
「ただ一言、礼を言いたかったのだろう。 だが、おまえの姿を見て、関わってはおまえの迷惑になると」
エドアルドは唇を噛んだ。 ラティアがあのときの少女だとうすうすは感づいていた。 しかしその姿を見る度に思い出すのだ。 ラティアの代わりとなった妹アリアのことを。
 オリシスの視線がいつの間にかエドアルドに向けられていた。
「おまえは、おまえの贖罪をラティアにまで求めるのか?」
「おれにどうしろと言う!」
エドアルドが机を拳で叩く。 そのエドアルドに、オリシスは低く落ち着いた声で言った。
「焦るな。 おまえやアリアがあの出来事から抜け出せる方法がどこかにある。 それを見つけるしかない。 それだけだ」
オリシスの意図をエドアルドは図りかねた。 言っている意味はわかる。 自分やラティアはいい。しかしアリアの幸せは…。
 あんな目にあったアリアが、その悪夢を忘れることなど出来るだろうか。
 忘れることは出来なくても、前を向いて行くことが、本当に出来るのだろうか。
 話が出来るようになるまで2年かかった。 それまで毎晩うなされていたあのアリアが。
 エドアルドはオリシスを見た。
 オリシスが来てから、アリアが夜中に悲鳴をあげる回数が減った。 オリシスが話す外国の話に笑うようになった。
「…オリシス」
 知らないうちにエドアルドはオリシスに呼びかけたことに気づき、その先を続けることができなかった。
『何を言おうとしていたのだ、おれは…!』
 アリアの気持ちを汲んで欲しいと頼むつもりだったのか? オリシスにアリアを背負わせるつもりだったのか? それともコーツウェルまでの旅で、オリシスにその気がないならアリアに気を持たせるようなことはしないでくれと頼むつもりだったのか…。
 エドアルドの沈黙にオリシスは頭をかいた。
「心配するな。 アリアに手を出したりはしない」
オリシスの言葉にエドアルドは顔を上げ、オリシスは続けた。
「あいつから告白でもされない限りは」
「オリシス」
「今のままじゃ、百万年待ってもあり得そうにないけどな」
 もちろん嫌われていると思って言っているのではないことぐらい、エドアルドにも分かった。
 オリシスは本気なのだ。
「だからおれはこれに賭けることにした。 いくらお互いが思っていても、どうにもならない事実が存在する。 アリアは自分で自分の過去を乗り越えなければならない。 アリア自身でだ。 コーツウェルは絶好の機会だとおれは思っている」
 オリシスは窓の外の風景を、眩しく、慈しむように、そして厳しく見つめた。
 エドアルドはため息をついた。 アリアを手放す時期かも知れない。自分のそばにいては、確かにオリシスの言うとおりお互い縛られたままなのだ。 それがオリシスなら言うことはないではないか。
 それにしても物好きな。 何も自ら進んで一筋縄ではいかない相手を選ぶことはないだろうにとも、思う。
「そうだな。…これが終り全てが片づいたら、アリアに言って聞かせるよ」
エドアルドは立ち上がり、ってオリシスの隣に立った。
「オリシスなんかやめておけ。 世の中にはいい男が山のようにいる。 あせってカスをひくことはないとな」
「このっ」
オリシスは手にしていた上着を、エドアルドに投げつけた。 笑いながら受け取り、そして真顔でエドアルドは言った。
「アリアを頼む」
 
 数日後、アリアは荷物を分けて愛馬のセレスに跨った。 明け方だった。 誰も起きてはこない。
 エドアルドは、まだ密者と連絡を取らなければならないため、数日ここに残る事になっていた。
「で、なんでオリシスが一緒について来るんだ」
「あぶないだろう、おまえ一人じゃ」
「心配するな」
「道もろくにわからないくせに、威張るんじゃない」
「…」
すねている妹を苦笑しながらエドアルドは見上げた。 アリアの顔は、あの一ヶ月前に家を出たときに比べれば随分とたくましくなった。 これからどんな事が起きてもうまくいくような気がしてくる。 それでもエドアルドは殆ど慣例のように言った。
「無茶はするな。 おれもすぐ追いつく」
「そうやってすぐ兄上は私を甘やかす」
「…、そうだな」
 アリアの姿は振り返り振り返り、街道を北へと小さくなっていった。
「おまえの幸せは、おまえ自身で掴め」
アリアの後ろ姿を見送りながら、エドアルドは呟いた。
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 8年前。
 エドアルドもオリシスも17歳だった。
 その年、隣国リンデアとの大きな戦があった。 昔から貿易ルートの奪い合いで国境あたりの小競り合いは耐えなかった。 東の列強な国々に対抗するには、同盟を結ぶか併合するしかない。 北の隣国シルバキアとの同盟が結ばれ、リンデアとの戦いが本格的なものに変わっていった。 しかし同盟を結んだ北シルバキアは、リンデアとも同じ同盟を結んでいた。 泥沼化となるかもしれない戦争であったが、軍事的手腕に優れた国王オルギウスは大きな会戦で勝利を治めた。 後の外交は王太子のメルキオが受け持ち、貿易ルートを完全にエタニアのものに押さえたのだった。
 エドアルドもオリシスもこの会戦に参加した。 初めての戦では無かったが、これほどの会戦は初めてだった。 軽い負傷はあったが早く終戦したこともあり、無事に国に帰る事が出来た。
 カルマール家に起こった不幸はこのときに始まった。
 カルマール家の領地カンタリアは、リンデアとの国境からタニアへ続く街道を有しており、エタニア軍はこの街道を通り、一旦タニアに戻る。 タニアでの凱旋式を済ませて軍は解散し、おのおのの領地に戻ることが許される。
 その日の宿営地はカンタリア城の近くであった。 せっかく近くに居るのに父と兄に会えないのはつまらない。 とアリアは城を抜け出し街道へ向かった。 城から街道へ抜ける森の近道で、アリアは暴漢に襲われる。 カルマール家に使える城の者達は、宿営地の準備に追われている。 城を抜け出したアリアを探しに出たカルマールの奥方は、襲われている娘を助けようと立ち向かうが、暴漢の手によって無惨にも命を落とすのである。
 アリアの父エルネスト・カルマールが報を受け城に着いたのは夜も更けていた。 そこで遺体となった妻と放心した娘に対面する。 留守を守っていた家臣に状況を聞くや、エルネストは街に馬を走らせた。 暴漢達はすぐに見つかった。 戦に参加していた公爵家の子弟だったのだ。 宿営地には戻らず、酒場で騒いでいた暴漢達を、エルネストは戦の血でまだ乾ききっていないその剣で刺し殺した。
 エドアルドが宿営地に着き、知らせを聞いたのは、全てが終わった後だった。

 エドアルドはその時の事を思い出す度に、苦々しく思う。
 あのとき、彼らをほおっておけば、何も起こらなかったのだ。
 エドアルドは父とは違う隊で帰途についていた。公爵家の子弟達も同じ隊ではあった。 彼らは戦場において何度も問題を起こし、着実に功績を上げるエドアルドと比べられ不満を募らせていた。 帰途でも彼らの素行は悪く、行く道々で村人を脅したり、金品をせびったり、挙げ句の果てには、女を差しださせ、慰みものにしようとまでしていた。 それに応じない者の家を焼いたりした。
 何度か隊長が諌めたが、身分は彼らの方がはるかに上である。 彼らの行為を止めるには至らなかった。
 ある村で、彼らに連れて行かれそうになった少女がいた。 祖父母らしきものが必死で彼らにすがっている。 エドアルドはとうとう我慢できず、彼らの腕をねじり上げ、「この所行、軍の規律に反すること、陛下に申し伝えるが、それでもよろしいか」と睨みつけた。 彼らは引き下がったが、去る間際に家に火を放っていった。 幸い火は燃え広がる前に消し止められたが、火を付けられた責任感からエドアルドはその家の片付けを手伝い、隊からはずれたのだった。
 エルネスト・カルマールはタニアには行かず、カンタリアの城で国王の沙汰を待った。 公爵家の怒りは大きかったが、カルマールは子爵の称号を持ち、今回の戦の功労者であり、細君を殺された被害者でもあった。 また、軍における公爵家の子弟らの素行の証言などもあり、死は免れた。 しかし、爵位の剥奪、領地財産の没収という処罰が下された。
 母の葬儀を済ませたあと、カルマール親子は使用人らに出来る限りの世話をし、誰も知らない土地へと移り住んだ。
 アリアへの陵辱は伏せられたが、アリアはしばらく誰とも口をきくことはなく、泣く事も笑う事もなく心を閉ざしていた。 自分の身に起きた事よりも、自分の軽率な行動が家族を巻き込んだ大事件に及んだ事に、とりわけ母親を死なせてしまった事に大きな責任を感じていたようだった。
 エルネストは怒りに任せて公爵家を切ったことに、エドアルドは彼らの恨みを買い行動をあおったことに拭いきれない責任を感じている。 少女を救った代わりに、妹を苦しめた。 自分のとった行動を恥じてはいない。 しかし、思い出す度にどうしようもない苛立ちを感じずにはいられなかった。 
 アリアが外の世界に反応し始めたのは、戦のあと諸外国を旅していたオリシスが田舎に移ったエドアルド達を訪ねてきたころだった。 2年の月日がたっていた。 幼いころよく遊んだオリシスになついていたアリアは、はじめは部屋にこもっていたが、ぽつりぽつりと言葉を口にし、外に出歩くようにもなった。 剣を学び、男物の服を着るようになったのも、このころだった。
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 日差しは日増しに強くなっていく。 さっき干した洗濯物が、もう風になびいて揺れている。
 アリアは芝生に腰を下ろし、流れる雲を見上げていた。 青空に浮かぶ白い雲。 形を変え、ちぎれてはまた風に身をゆだねて流れていく。 夏が近い。
 ラティアが自分の洗濯物を干していた。 綿のあっさりとしたドレスの裾が風に吹かれて翻る。 豊かな髪をひとつに束ねたラティアの後ろ姿は、昔見た母の背に似ているような気がした。
 母の髪はアリアよりいくらか色が薄く、光に透けると金の糸のように輝いて見えた。 父は暗褐色な栗色だった。 白髪が目立つようになっては、色もだいぶあせてはいたが、母の髪の色も父も髪の色も、アリアは好きだった。 子どものエドアルドとアリアだけが燃えるような赤い髪をしていた。 父と母の色を混ぜ合わせたような赤い髪を、アリアはどこか誇りに感じていた。

 ラティアが振り向いて腰に手をやった。
「あんたねぇ、いつまでそうやって女物の下着を見てるわけ?」
「下着を見ていたわけではない」
ラティアは笑ってアリアの隣に腰を下ろした。
「冗談で言ったのに、あんたすぐにむきになるのね」
ラティアは空を見上げた。
「もうすぐ夏ね」
「…ああ」
「もうすぐ、あんた達も出て行くのね…」
アリアはラティアを見た。
「わかるわよ。 ここにずっと居る者は、出ていく者の気配を感じるの」
ラティアは、いつか見たあの憂いを帯びた目で遠くを見ていた。
「そしてここにいた人間の事なんて、忘れてしまうのよ」
「忘れないよ」
「責めてるんじゃないのよ。 仕方のないことだわ。 あんた達にはあんた達の人生があるんだもの。 あたしは、それを見送るだけ」
ラティアはうつ向いて小さく笑った。
「でも、ちょっと寂しいわね」
笑ったラティアの目に涙が滲んでいた。 
「…片思い、か」
アリアはそう呟いた。 ラティアは反論せず、涙を拭って頷いた。
 ラティアがエドアルドを見る表情は、はっきりとそれを示していた。 だがラティアはエドアルドに対し、それ以上の行動をおこさない。 エドアルドもラティアの視線を感じながらも、あえて気づかない振りをする。 どこでラティアとエドアルドが知り合ったのかはわからない。 だが、あの二人は、ここではなく、もっと昔に何らかの形で出会っているのだ。 エドアルドがラティアを無視するのは、自分の正体がばれるのを防いでいるのかもしれない。 それをわかっているからこそ、ラティアもエドアルドに近づかないようにしているのかもしれない。
「身分違いよ。 どうにもならないわ」
瞳にはまだ涙が残っていたが、ラティアは照れくさそうに笑っていた。 その笑顔に隠された想いがアリアには痛いほどわかった。
「…それはつらいな…」
慰める言葉などなかった。 このことばかりは、アリアも同じ立場なのだ。
「あんたも片思いしてるの? 身分違い?」
「うん」
「どっかの深窓のお嬢様?」
アリアは笑った。 オリシスが深窓のお嬢様。
「そんなところだな」
 たとえ爵位があったとしても、アリアの想いはオリシスには告げられない。自分はそんなことが出来る人間ではないのだ。 誰が許しても、たとえオリシスが自分を好いてくれても、自分自身が許さない。
 アリアとラティアは黙ったまま、空の雲を見上げていた。

 中庭に向かう窓から、エドアルドは二人の様子を見ていた。
「お似合いの二人、と言いたいところだが、ラティアの方が勝ってるな」
 起きぬけ顔のオリシスが背後からエドアルドに声をかけた。
「あいつはまだ子どもだ」
「そう思っているのはおまえだけだぜ」
エドアルドは視線を窓の外からオリシスに移した。
「おれはおまえたちを不幸だと思うよ」
エドアルドが顔を曇らせる。
「同情はやめてくれ」
「今回の事件のことじゃない。 おまえもアリアも親父さんも、それぞれ罪を背負っている。 みんながあの出来事の責任を感じているんだ。 罪の意識に捕らわれて、そして、そこから抜け出せない」
オリシスの口調はいつになく冷めていた。
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「オレアルの屋敷に出入りする人間を探ってみたが、これといった怪しい人物の出入りはない。 外で会合しているようだが、外で会うのはオリシスも言っていたとおり、国王派の貴族だ」
エドアルドが話を続ける。
「オレアルが首謀者だとしたら、どこかで呪詛ができる人物と接触しているはずなのだが…。 それとも次の時まで連絡を取り合わないつもりなのかと思っていた。 とろがちょっとしたことが分かった」
 オレアル家に出入りする使用人を酒場に誘い、酔わせて聞き出したところ、2~3ヶ月薬草を探しに北方へ出向いていた医師が最近帰ってきたという。 オリシスが知っている人物とエドアルドが聞き出した医師が同一人物なら、タニアにしばらく居なかったことが証明される。 しかもその時期が呪詛の時期と重なるのである。
「そこで、だ」
ここでなぜかオリシスが仕切る。
「アリア。おまえ、北のコーツウェルに行かないか?」
「いきなり何の話だ」
「いいぞぉ、これからの季節は。 コーツウェルは夏の避暑地だ。 きれいな女がわんさとやってくる」
アリアは頭を押さえた。
「だから、わたしが女を見て何が楽しいんだ」
「楽しいじゃないか。 あ、そうそう、喰いもんもいいぞ。 寝床もいい」
「うっとおしい! はっきり言ってくれ」
 アリアとオリシスのやりとりに、エドアルドはまだ迷っていた。 アリアが手当てをうけている間、オリシスから聞かされたアリアの間者の話である。 
 夏の間、王宮はそっくりエタニアからコーツウェルに移される。 オレアルが面倒をみているある人物の避暑地の別宅へアリアが使用人として入り込むのだ。
「名はラースロー。 アルマーシ公爵家の跡継ぎと言われている。 オレアルが探し出して面倒を見ているんだが、今日、陛下からコーツウェルに屋敷を賜った」
オリシスはオレアル宛の紹介状を用意すると言い、さらにラースローという人物について語った。
「ラースローは見つけだされるまでクレメンテの神学校に居た。 あそこは名の通りの神学校だが、学者の集まりでもある。 いろんな分野の専門家がその知識を持続するために、各地から聡い子供を集めて養育している所だ」
「クレメンテの神学校。 聞いた事がある。 修得した知識を外に出さないために、そこに入った人間は死ぬまで出られないと。 親が子供を叱るときにもその名前が出るくらいだ。 悪い子はクレメンテの坊さんにつれていかれるぞって」
アリアがうなずく。
「ラースローはアルマーシ家の跡継ぎということで出る事ができた。 まだ幼くて知識を充分に修得してなかったこともその理由だが」
「そいつは子どものくせに屋敷を賜ったか?」
アリアが聞く。
「いや、おれやエドアルドと同じか、少し下だろう。 クレメンテもなかなか口が堅くて調べるのに苦労したが、ラースローがクレメンテを出たのは推定12歳。 宮廷に姿を見せ始めたのは、たしか5年程前だ。 オレアルはそれまでの約6年間、なぜ彼を陛下にも知らせず面倒を見ていたのか。 何かを企んでいたのだろうか」
オリシスはそこで言葉をいったん切った。
「これは推測でしかないが、呪詛をやったのはラースローではないかと思う」
エドアルドとアリアが言葉もなくオリシスを見た。
「クレメンテには呪詛の知識も受け継がれている。 もともとは王族がじゃまな者を消すために用いられた術だ。 ラースローがそこに居る間に修得したとは思えないが、知識を持ち出す事は出来たかも知れない。 オレアルはそれを利用したんじゃないだろうか。 完全に使いこなせるようになるまで誰にも知られないように」 
「そうじゃないって可能性は?」
「あのオレアルが利用価値のないものを面倒見るわけがない。 アルマーシ公の跡取りというだけでは何の価値もない。 下手をすれば陛下の怒りを買うだけだ」
 しばらくは誰も言葉を発しなかった。 それぞれがそれぞれの考えを整理しようとしている。 その沈黙を破ったのはアリアだった。
「行くよ、コーツウェルへ」
エドアルドはアリアの声をうつ向いたまま聞いた。
「ラースローの行動を見張るだけだ。 屋敷への人の出入り。 ラースローの外出。 どこへ行くのか、何日家を空けるのか、それを逐一知らせてくれ。 あとはおれたちがやる」
オリシスの言葉にアリアはうなずく。
「オリシス様」
シモーナが青ざめた表情でひざまづいた。
「わたくしにやらせてください、その役目」
「だめだ」
「アリア様には荷が重すぎるような気がします。 わたくしなら…」
シモーナはちらりとアリアを見る。 その瞳にアリアは刺すような痛みを感じた。 シモーナはオリシスが好きなのだ。
「おまえに男装は似合わない。 必要なのは男だ。 女の使用人は台所仕事と部屋の掃除人にしかならない」
「ですが」
なおも食い下がるシモーナに、オリシスは冷たく、厳しく言った。
「口答えをするな。 これは命令だ。 おまえにはおまえの役割がある。 それを忘れるな」
唇を引き締めてうなだれるシモーナ。 それを無視するオリシス。
 こんなオリシスを見るのははじめてだ、とエドアルドとアリアは思った。 そこには侍従の関係が見て取れるほどはっきりと存在した。 気の毒に思うのはシモーナを侮辱してるのかもしれないが、アリアはやはりシモーナを見ていられなかった。 オリシスの態度がまるで自分に向けられているような気がして、つらかった。 分を忘れて近づけば、きっと自分もシモーナのように厳しくはねつけられるだろう。 アリアはオリシスを、本当に遠い存在なのだと、改めて思い知らされる想いだった。 
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 夜中、男女四人は額を突き合わせるようにかたまった。
 エドアルドが今まで接触してきた男がもたらす情報を話した。
 連絡をとる人間はいつも違う。 どの情報が真実なのかははっきりしない。 だが、一貫してそれらの情報は筋が通っていた。
「つまり親父は、王子達を呪詛した人物を探し出して、そして殺害することが使命だった。 命令の出どこはわからない。 それを言わないあいつらが何者なのかも実の所わかっていない。 ただ王子達の呪詛は国王派、しかもキアヌ王子を擁立する一派だということだけは、どうも真実らしい」
 ここまでの話はオリシスが先に言っていたことと同じだ。 そのキアヌ擁立派はティスナ妃のお気に入がオレアルが首謀であるらしいとの情報、そして呪詛がナミル山で行われた可能性があるとの情報から、証拠を掴むために父エルネストはナミル山に向かい、そして討たれたのだとエドアルドは言った。
「ちょっと待ってよ。 王子が亡くなったのは、父が居なくなる半月ちかくも前だ。 その時にナミル山に行ったところでとっくに呪詛は終わっているだろう?」
と、アリアが口を挟んだ。
「何かしらの証拠が残っていた可能性もある。 呪詛は何日も何週間もかけて行うのだ。 人がそこに居た形跡ぐらいは残るだろう」
「でも、そもそもどうしてそれが謀反になるんだ。 どうしてそういう話になってるんだ?」
アリアのその質問に対しては、オリシスが答えた。
「カルマール氏の遺体から密書が発見された。 それには国王陛下への糾弾が書き連ねてあったそうだ。 差出人はわからない。 カルマール氏の遺体は聖域ナミル山の守りの兵士達によってタニアに運ばれている。 ナミルに無断で入った不審者という名目で殺されたのだが、その指揮を取っていたのがオレアルだ。 密書はオレアルの手から国王陛下に渡された」
「守りの兵士はその呪詛に気がつかなかったのか?」
そこでアリアは気がついた。 オレアル。 彼が守りの指揮を取っていた。 彼はティスナの取り巻きだ。
「オレアルは父上を利用して呪詛の捜索を謀反に置き換えたのか」
「宮廷で噂されるのは、その点だ」
「…!」
アリアは奥歯をかみしめ拳を握った。
「カルマール氏はたぶん、いままで宮廷を離れていたから今回の事に巻き込まれたんだと思う。 謀反に仕立てられる可能性は初めからあったんだ。 だがカルマール氏なら、つながりを探ろうにも何も出てはこない。 ティスナにとってはとりあえず謀反と言う言葉を出して、国王陛下のメルキオ殿下への不信感を募らせることが出来た」
「次に行動を起こす者を捉える事ができたら、今度は当然メルキオ様の名前を出して排嫡へとなるでしょう」
シモーナがオリシスの言葉を継ぐ。
「メルキオ殿下は今回の父上のことをどう思っておられるのだろう」
アリアはつぶやいた。 素朴な疑問だったが、エドアルドの答えは簡単だった。
「知っていても何もしないだろう」
「殿下ご自身が動くことはない。 どんな疑いも国王陛下に抱かせてはならないと、殿下が一番よく知っているはずだ」
つまり、父や自分達と殿下の関係を疑われないようにしなければならないということか。
 アリア出かかったため息を無理矢理引っ込めた。
父はメルキオ殿下の命令で事を起こしたのだ。 そうだろうとは思っていた。エドアルドが接触した人間は名前も名乗らず、主の名も明かさなかったという。それをとを考えれば、他に何があるだろう。
 だが、とアリアは思う。
 いくら殿下の命令だからと言って、なぜ父は従ったのだ。地位も領土も財産も取り上げておいて、今更何の権利があって父を使うのだ。利用するだけ利用して、父には汚名しか残らない。今度はそれに自分達まで都合のいいように使おうというのか。
「……」
エドアルドがアリアの肩を叩いた。 薄い肩は小さく震えていた。 それが怒りのである事をエドアルドは知っていた。
「ただでは利用されない。 何があっても父の名誉を取り戻してやる」
呟くアリアにオリシスは目を細める。 シモーナはそれを横目で見ていた。

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 シモーナに手当をしてもらっている間、アリアとシモーナの間に会話はなかった。
 アリアは数日前に会った、あのきれいな男のことを思い出していた。
『あいつも初めは私を拒否した。 助けられるのが嫌だったようだった』
単なるわがままではなかったように思う。 あの男も過去に何か背負っているのだろうか。 あの怪我はもう治っただろうか。
「終わりました」
シモーナが声をかけた。
「ありがとう…」
アリアは薬を片づけているシモーナの横顔を見た。 この大人しく控えめな女性が、ワイナー家の諜報をしているなどと、どうして信じられよう。 
 女性を使う。 それはアリアの知っているオリシスではない。 自分の知らないオリシスがいる。 そう思うと心が痛い。
「不思議に思ってらっしゃいますね」
シモーナと声を交わすのははじめてである。 低く落ちついた声。 感情を自分で抑え込まなければすぐに熱くなってしまうアリアとは、まったく反対の性質だ。
「オリシス様のことは信用なさっても、わたくしのことはまだ警戒なさっているわけですね」
案外ずけずけとものを言う性格なんだ、とアリアは思った。
「ちょっと驚いただけだよ」
オリシスとシモーナの関係がそれだけではないという確信はない。
「なんでオリシスの為に、楽ではないこんな仕事をやっているんだ?」
「こんな、とおっしゃるからには、アリア様はまだ違和感をいだいているのですね。 ここの人たちに」
シモーナの真っ直ぐな視線にアリアは目を伏せていた。 
 違和感。 そうかもしれない。 自分はどこかまだ彼女達をさげすんでいるのかもしれない。
「あなたが男装しなければならないように、ここの住人もまた、生きるために努力をしているのです。 わたくしがオリシス様、いえ、ワイナー家のもとで働くのも、その仕事のためにここにいるのも、もとをたどればわたくし自身が生きていくためなのです。 勘違いをなさらないでください」
挑むような言葉であったが、シモーナの顔は微笑んでいた。
 アリアには何も返す言葉がなかった。 自分の本質を言い当てられたような気がした。 男の恰好をしているのは、その方が生き易いからだ。 それを微笑みながら言うこの女性を、アリアは初めて正面から見る事が出来た。
 透き通った蒼い瞳。 聡明そうな額。 栗色の髪。
 そうだ。 オリシスなら、きっとこういう人を選ぶだろう。 意志をはっきりと主張し、正確な判断で仕事を遂行する。 しかも笑顔が美しい。
「悪かった。 ちょっと落ち込んでいたんだ。 剣があればなんとかなったのに、腕力では全然男にかなわなくて」
こんなふうに言い訳する自分が、なんとも情けないほど小さい人間に思えて、言い終わってからため息が出た。
「アリア様はおやさしい方ですね。 人を傷つける前に自分をおとしめてしまう」
「自分をおとしめる? そんな事はない。 ラティアは反対の事を言っていた。 世間知らずだから平気で人を傷つけるって」
「いいえ、彼女は純粋なあなたの心に戸惑っているだけです」
「…純粋じゃないよ、私は」
シモーナはそれには答えず、
「男性に腕力で勝てる術があります。 剣が無くても負かすことができるのですが、よろしかったらお教えしますよ」
とアリアに提案した。
「妖術か?」
「まさか。 武術といいます。 東方の国のものです」
東方の国と聞いて、アリアは胸が痛んだ。 オリシスの旅にシモーナも随行したのだろうか。
「さっきから気になっていたんだが、その言葉使い、やめてもらえないかな。 私はシモーナの主人ではないのだから」
「ええ。 でもオリシス様とエドアルド様、アリア様は同じ世界に属するお方です。 わたくしはそういうお方に仕える側の人間です」
「人間にそんなあちら側もこちら側もあるもんか。 確かにオリシスは貴族だが、ただそれだけだ」
「そういうふうに思う事こそ、あなたがわたくしとは違う世界の人である証拠です。 わたくしたちのような人種は誰かに従属して、それで糧を得ているのです」
「貴族も王に従属してる」  
「従属ではありません。 契約しているのです。 騎士は王に忠誠を誓い、王は安寧を与える。 一方がその契約を破棄すれば無になるのです」
「おい、もうそのくらいにしてやれ」
オリシスが戸から顔を出した。 続いてエドアルドも入ってくる。
「シモーナはちょっと理屈っぽいところがある。 それはこいつの性質だ。 あまり本気で相手をするな」
「その理屈を教えて下さったのは、オリシス様です」
「ああいえばこういう、だ。まったく」
アリアはオリシスの苦い表情を見て、わからないようにまたそっとため息をついた。 オリシスにそんな表情をさせることができるのは、きっとシモーナだけだろう。
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 頭が重く、寝返りをうつと体の節々が悲鳴を上げているように痛む。
 遠くで血に染まった母が倒れていた。 その後ろにやはり血を流している父が立っている。 そこへ行こうと思うのに、体が言う事をきかない。 
「ああ、父上、母上。なぜ私はまだ生きているのですか。 どうして私が生きていて、あなた達が死んでしまったのですか」
 手を伸ばす。 しかし届くはずもない。 暗闇の中で父と母の姿は消えて行った。
「父上! 母上!」
「しっかりしろ、アリア」
目を開けるとエドアルドがアリアの手をとっていた。
「あ…にうえ…?」
「気がついたか」
アリアはベットの上に寝ていた。 あのまま寝てしまったのことを、アリアはやっと思いだした 。頭には布が巻かれてある。
「どうしたんだ? 何があった? 頭の傷は」
エドアルドがアリアに覆いかぶさるように言う。 アリアは身を起こした。
「っつ…」
頭がガンガン鳴っている。 めまいがした。 背中が痛い。
「無理をするな」
エドアルドの後ろにオリシスがいた。 腕組をしてアリアを見下ろしている。
「死んでいるのかと思ったぞ。 まったくおまえときた日には」
「あれくらいで死んでたまるか」
「あれってなんだ?」
「襲われたんだ。 初日にラティアにちょっかい出したやつに」
ぶっきらぼうにアリアが答える。
「なぜ助けを呼ばない。 大声を出せば、誰か気がついてくれただろう?」
エドアルドの言うとおりだ。 しかし…。
「…誰の助けもいらない…」
「なに?」
「助けなんて、いらない!」
アリアは押し殺した声で叫んだ。
 エドアルドは青ざめた顔でアリアを見つめた。
 助けはいらない。 そう、だからアリアは剣を学んだ。 もう、誰にも決して助けを求めないために。 そうだ、アリアの傷は癒えてはいないのだ。 当たり前だ、消えるわけがない。 エドアルドは胸がつぶれる思いがした。
「とにかく手当をさせてくれ。 頭だけじゃないだろう? 顔もずいぶん腫れてきている」
エドアルドの優しい声に、アリアもコクンと頷いた。
 しかし、顔や手足ぐらいならともかく、腹や背はエドアルドにもどうにもならない。
「シモーナにやらせよう」
まだ部屋にいたオリシスが言った。
「おまえ、アリアが女だってばれるだろう。 なに考えてるんだよ」
「お主の女の手当なんてごめんだ。 お主が怪我したときにやってもらえ」
アリアの機嫌は最低値を示している。
「なんだ、おまえ妬いてんのか? はっはー、そうか、いい男ってのも罪だよな」
ニヤけたオリシスの顔面にまくらが命中した。
「バカも休み休み言え。 お主、遊びすぎて頭がおかしくなったんじゃないのか?」
「頭も体も至って健康。 冗談言ったわけじゃないぜ。 シモーナなら大丈夫だ。な んか誤解してるようだが、あれはおれが使っている人間だ」
「使っている?」
エドアルドとアリアが同時に言った。
「そ。 正確に言えば、おれんちが育てた人間、ってことかな」

 ワイナー家は領地で生産したワインを北国に輸出し、羊毛を仕入れてエタニアで売っている。 諸侯や諸外国の情勢は、貿易をしている者にとっては命綱だ。 その情報を集めるために優秀な者を子供の頃から教育し、ワイナー家に使えさせているのだと言う。
「それくらいやらなければ、国のために無料奉仕なんかできるかよ」
とオリシスは言う。
 ワイナー家やバルツァ家のような大貴族はもちろん、カルマール家のような小貴族でも劇場や道路といった公共事業を請け負う。 戦争になれば戦費も負担する。 もちろんこれらに見合う利権の確保といったおまけが付くが、負ければただ働きである。
「シモーナはそんな情報を集める人間の一人なわけ。 逆にニセの情報を流すこともある」
だからこういう場所に潜入させているのだとオリシスは言った。
「集めているのはワイナー家の情報だけか? おまえ、他に何をやってる」
エドアルドはオリシスの瞳を探った。が、
「おまえら、本当ににおれのこと遊んでると思ってるな。 まったく友達がいがないぜ。 おまえらに協力するって言っただろ」
オリシスの言い方は、信じる方が馬鹿をみるような感じに聞こえる。だが、今までもオリシスはそうだった。 そしてそんなオリシスをエドアルド達は信頼していた。  
「何を集めたかは、エドアルド、おまえが一人で歩き回って集めた情報を公開すれば、こっちもそっくり教える。 一人よりは二人、二人よりは三人のほうがいいに決まっている。 一人で動けるほど小さい仕事じゃないはずだ。 だが、まずはアリアの手当てからだ」
 オリシスは一旦部屋を出て、シモーナを呼びに行った。
「兄上、どう思う?」
二人になったアリアは、心配そうにエドアルドに言った。
「あいつを引き込んだときからこうなる予感はしていた。 そうだな、オリシスより先におまえに話しておいたほうがよかったかもな」
オリシスはアリアを気遣ってああ言ったのかもしれないと、エドアルドは思った。

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 夜の喧噪の幕が開けた。
 アリアはまたカウンターに一人すわり、ワインを飲む。
「今日はやけにみんな景気がいい顔してるな」
客達はいつもより上機嫌で酒をあおっていた。
「今日はティスナ妃の誕生日だからですよ。 国民にも樽でワインが振る舞われました。 それに砂糖と胡椒もね」
カウンターの男はアリアの問いに、そう応えた。 この男の名前は未だにわからない。 皆は『異人さん』と呼んでいる。 本当に名前はないのかもしれない。
「ティスナってどんなやつなんだ?」
と言ってから、アリアはしまったと思った。 国王の側妃を呼びすてにするとは。
 しかし『異人さん』は別段気に留めた風はなく、
「美しい人ですよ」
と言った。
「へえ、会ったこと、あるんだ」
「ええ。 まだお若いころでしたけど。 そう、ラティアのようにあでやかな感じですね」
「ふーん。 どこかの貴族の娘だったの? それで国王に見初められたのかな」
「…さあ、そこまでは…」
「そうだよね、異人さんが知るわけ無いか」
 カウンターの男はグラスを丹念に磨き上げていく。 その単調な仕草は、彼にかかるとまるで手品を見ているように美しく感じられる。
「でも、性格悪いんだろうな。 税が上がったのって、彼女のせいだって言ってるし」
「…税が上がったのは戦後の処理のためでしょう。 ティスナ妃がどういう性格かはわかりませんが初めから性格の悪い人なんていませんよ。 それぞれその要因というものがあるのでしょう」
アリアはカウンターの男を改めて見上げた。 男は杯を洗い、磨いている。 しかし何気ない言葉がアリアの胸に響いた。
「…そうだよな」
 たとえ父の仇だとしても、そこにはそれなりの理由があるのかもしれない。 だからといって、仇討ちをやめるわけにもいかないが。 しかし、アリアがその言葉に惹かれたのは、それだけではなかった。 なぜか救われたような気がした。
「ちょっと、アーリアン! 喋ってないで裏から樽を持ってきておくれ。 これじゃあもっと仕入れておくんだった」
女主人がアリアを呼ぶ。 今日は酒が良く出る。 娘達や使用人たちはそれぞれの客の相手でふさがっていた。 暇なのはアリアだけのようだ。
「はいはい」
裏戸を開け、狭い路地に面した倉庫に向かう。 倉庫の鍵をあけ、かび臭く薄暗い中からそばにある樽をさぐりあてる。
「初めから悪い人なんていない、か…」
 もしかしたら自分は、誰かにそう言って貰いたかったのかもしれない。だけど許されない事実は確かに存在するのだ。 その言葉に甘える事はできない。 
 樽を外に運び出して、アリアは鍵をかけるために通りに背を向けた。

 そのとき、アリアは頭に衝撃を感じ、一瞬目の前が真っ暗になった。 と同時に傷みが走った。
「…っつ」
 振り向いたそこに、巨大な影があった。 棍棒らしきものをさらにふりあげている。
「な、」
「くたばれっ」
振り下ろされた棍棒をかろうじて避けて、アリアは路面にころがった。影の顔が見えた。
「おまえ…」
「いつかのお返しをさせてもらうぜ」
ラティアをかばったときの男だった。 うしろには何人かの気配がする。
「やっちまえよ。なかなかいい毛色じゃねーか」
「女よりもいいかもよ」
「おれにも回してくれよ」
ぞっとするような言葉が飛び交う。
 アリアは壁を背に起きあがった。 頭がズキズキ響く。 生温かいものが首をつたった。
「今日は剣を持っていないようだな。 まったくあんときはいい恥をかかせてもらったぜ」
男がアリアににじり寄る。 反対側からは数人の男達。 アリアはこの場をどう切り抜けようか傷む頭で必死に考えた。 が、逃げるよりほかない。 しかしどうやって。
「かわいがってやるぜ」
男の手がアリアの腕を掴んだ。 腹に力を入れる。 誰かの拳が腹に食い込んだ。
「…うっ…」
「ほらよっ」
顔や背中に拳が当たる。 その度に頭に火花が散るようだ。
 アリアは目をしっかり見開いた。 目前に迫る拳を見極め、さっと身をかわす。 拳は壁に激突し、持ち主は叫び声を上げて片手を押さえ、ころげまわった。
「こ、このやろう!」
ほかの男がアリアを襲う。 そこに足を振り上げて急所を狙った。 そいつのも見事に命中し、男は悶絶して倒れた。 
 残るは二人。 しかしアリアも流れ落ちる血で目が開かない。 パシッと音がする。 ナイフを出したのかもしれない。 腕で血を拭った。 視界がぼやける。 
 アリアの後ろ手に倉庫の取っ手があたった。 そっと取っ手を回して片手だけを差し込み、手に当たる陶器を取り出す。 うまい具合に酒だった。 倒れた男達も起き上がり、アリアに迫ってくる。
 アリアは酒の瓶の蓋をあけ、男達めがけて振りまいた。
「うあっ、なにをする!」
アリアは持ってきていたろうそくの火をかざして言った。
「その匂い、なんだと思う? ここでいちばん強い酒だ。 酒ってのは燃えるんだぜ」
路面に溜まっている酒に火を近づける。 すると炎柱がたち、消えた。
「さあ、誰からいく?」
アリアはいちばん近くにいた男にろうそくの炎を突きつけた。 アルコールは揮発性が高く、もうすでに燃えはしないが、脅しにはきいたようだ。 男達はあっという間に逃げ出していた。
「ふう…」
アリアは炎を吹き消して、痛む頭を押さえ、樽を中へと運び込んだ。
 カウンターの異人さんが驚いて駆け寄る。 アリアの顔は血だらけだった。
「水と布を…」
「どうしたのです。 手当をしないと」
「いいから、はやく水をくれ!」
アリアは血を拭うと、引き留めようとする異人さんを押し退けて人が埋め尽くしている広間を横切り、階段下の自室へと入った。 
 エドアルドは今日もいない。 ちょうどいい。 また小言を聞かなくてすむ。 
 アリアはベットに横たわると、そのまま眠りについた。

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