夢のはざま

鏡女王の物語【水鏡】連載中です。

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 国王オルギウスとティスナ、それにキアヌ王子が席につくと、諸候がそれぞれ前に進み出て誕生の祝いを述べはじめた。 その場にメルキオとアデリーナの姿はない。 先に亡くなった王子ユーシスの喪に服しているのである。 
 本来なら側妃ティスナも喪に服すべきである。 が、不幸続きの王宮を明るくするためと国王自ら開いた会であった。
 ラースローも前に進みいで、ティスナ妃に形ばかりの祝辞を述べた。
「ラースロー、そちが居ない王宮は華やかさを失った墓場のようなものだったぞ」
国王オルギウスはすでに酔っているのか、この場にあまりふさわしくない言葉をかけていた。 ユーシス王子の死からそれほど日が経っていないこの時期である。 とっさにティスナ妃が言葉をかけた。
「病はもうよいのか?」
「はい。 ですが、わたくしが病に臥したばかりにユーシス様を充分に診る事が出来ず、どのようにおわび申し上げてよいのか…」
「よい、その事はもう、申すな」
「は…」
ラースローはさらに深く頭を下げた。
「夏も近づいてきた。 近々、また北のコーツウェルに宮を移す。 その近くにおまえに屋敷をやろう。 いつまでもオレアルの屋敷に世話になっているのは肩身がせまかろう。 夏の間はそこから出仕するがいい」
 国王の声に周囲の人々は、おお、と感嘆の声を上げた。 北の避暑地に屋敷を賜るのは、許された貴族だけである。 他は宮の中のブロックを借りるだけだ。
「ありがたき幸せ」
ラースローはまた深く頭を下げたが、誰にも見えないその表情は苦々しい。
『値を釣り上げたか』
 屋敷を賜る。 それはアルマーシ公領の拝領は当分お預けだというこだ。
「オレアル伯、ラースローの身辺の世話をしてあげてくださいね。 家具調度品、使用人など、いろいろ支度があるでしょうから」
ティスナはラースローに微笑みかけながら言った。
 ティスナは確かすでに三十をいくつか超えているはずだが、十一歳の子供がいるとは思えないほど若々しい。 髪は黒く艶を保ち、肌は白くはないが、その分はりがある。 額や眉のあたりは確かに聡明そうだ。 実際この気性の荒い国王を操っているのはこのティスナなのである。 頭が良くなくては出来ない事だ。
「さあ、ラースロー。 楽しんでいってくださいね。 若い娘達は今日はあなたのために着飾ってきたようなものなのだから」
この件がすめばもう用はない。とラースローは思ったが、口元に微かに笑みをたたえ、優雅に王座の前から辞した。
「わしにまかせろ、ラースロー。 屋敷のことは全て整えてやる」
オレアルに掴まれた肩を切り放してしまいたくなる衝動にラースローは駆られた。 オレアルにまかせるとういうことは、オレアルから離れても、どこかにオレアルの監視があるということなのだ。 どこまでも抜け目のないやつらだ。 吐き気がする。
 ラースローはオレアルを無視して歩き始めた。杖をつきながら女達の熱い視線の中へ。

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 王宮の広間はきらびやかな男女がさざめきあっていた。
 意味の無い含み笑いや、うわさ話。 妬みや嫉妬、権力争い、恋のさや当て。 とめどもない様々な感情が渦巻いているが、誰一人として自分の本心をさらけ出すことがない、そんな世界である。

 カツン…、ズ…、カツン。

 その男が広間に姿を現した時、ほんの一瞬話が止み、大勢の人間がその男に注目した。
 淡い胡桃色の髪は真っ直ぐに肩の辺りで切りそろえられ、歩く度にさらさらと音をたてているようにも見える。 灰味がかった薄茶色の瞳は冷たく、何も映してはいないようだ。 その瞳が何かを熱く捉える事がいったいあるのだろうか。 痩せてはいるが均整がとれた体。 きめやかな白い肌、長いまつげにすっきりした鼻筋、うすい唇。ここにいる着飾ったどの美女より美女といってもいいほどである。
 周囲からため息が漏れる。
 この男がさらに注目を浴びたるは、その歩き方であった。 杖をつき、片足を引きずっている。 その姿が痛々しく、またため息を誘うのである。
「ごきげんよう、ラースロー。 病気と聞いていたけど、どうなさったの?」
一人の妖艶な貴婦人が男の側に寄り、扇で口元を隠しながら囁いた。
「病のあと無理をしまして、足をくじいてしまったのですよ」
「あら、それはお気の毒。 わたくしが看病して差し上げたのに。 今夜からでもわたくしの屋敷においでなさい。 タニアの有名な医者をつけさせましょう」
「なにをおっしゃっているの? ラースロー様より腕のいいお医者さまがいるわけありませんわ。 ラースロー様に必要なのは華やかで退屈しないサロンですわよ」
そういって会話に割り込んできたのは、豊かな髪をふんわりと垂らした若い女性だ。 赤い唇の端が若さを勝ち誇るようにつり上がっている。
「おほほほ。 退屈しないないですって? あなたと話をすることより退屈なことなんてラースローあるわけないじゃない。 頭の中は殿方とドレスのことしか詰まってないような方のサロンなんて」
美しい笑みをたたえながら、貴婦人は嫌みなどなんともないように言い返す。
 ラースローの廻りにはあっという間に女性達が集まっていた。
 宮廷内の男達は遠巻きにその様子を眺め、何かと美しいだけが取り柄の男について軽口をたたく。 しかし、ラースローが美しいだけではないことは、男たちの方がよくわかっていた。 医学、特に薬学に関しては宮邸医師にも優る。 キアヌ王子が熱病で命が危ぶまれたとき、さじを投げた医師の代わりにラースローが調合した薬が覿面に効いた。 その後側妃ティスナはもちろん国王にも重要され、国王の主治医になるのも時間の問題と言われている。 主治医という立場は、他の重臣や貴族よりも国王の身辺に近くなり、二人だけの時間をとりやすい。 そして健康を司るという面からも、最も信頼を得る立場になる。
 それだけではなかった。 ラースローがただの貴族なら、陰謀によってとうに姿を消されていただろう。 ラースローは、十数年前、嫡子が途絶えて上領されたアルマーシ公爵家の孫であるという申請がなされたのである。 国王はまだ承認はしてはいないが、近々公爵領を拝領するという噂もあり、そうなればラースローは王家に継ぐ爵位を継承することになる。 うかつに手を出せる相手ではなくなるのだ。
「しかし、キアヌ王子の熱病を治したのに、なぜカミーラ王女やユーシス王子のは治せなかったのだ」
「そこが、ほれ、王女たちは呪詛されたとうわさされるゆえんだ」
「それに王女様たちを治したとあっては、陛下の逆鱗を買う事にもなりかね…」
「おっと、それはこの場ではまずいのではないかね」
そんな声がラースローの耳にも聞こえる。

「おい」
呼び止められて、ラースローは声の主を振り返った。
「まだ出てくるなと言っただろう。 なぜ家でおとなしくしておれんのだ」
そう言う顔はニヤニヤとしまりがない。 ラースローの腕を掴む手も、心持ちか力が入っている。
「オレアル伯」
オレアルこそ、ラースローを公爵家の跡取りだと進言した人物であった。 アルマーシ公爵の行方知らずだった一粒種が残した子供を探しだし、オレアルが後見人となって面倒をみていたのである。
「まあ、いい。ティスナ様の誕生会だ。 出ない訳にもいくまい。 陛下もおまえが来るのを楽しみにしておられるからな」
『ふん』 
とラースローは心の中で毒づく。
『おまえにそんな事をいわれるまでもない。ティスナなどどうでもよい。 ただ拝領の件が気になるだけだ』
しかし、ラースローの表情は変わらない。
「もう少し青ざめていた方が恰好がつくな。 なにしろおまえは病み上がりだ。 しかし、うまい具合に落馬したものだ。 しばらく出仕できなかった理由が一目でわかる」
ラースローは目を細めてオレアルを軽く見おろした。 なぜ自分は、この下司な男に拾われたのだろう。 何も知らなければ今ごろは…。 しかしあのままの状態も決していいものとは言えない。 利用するためとはいえ、機会をくれたこの男に、本当なら感謝するべきなのかも知れない。
『せいぜい利用されてやるさ、今のうちは』
そんなことを思っていると、廻りが一斉に頭をさげてるのに気がついた。国王とその妃ティスナが広間に姿を現したのだ。
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「いいけど、一人で立てるのか?」
「よけいな世話だ。さっさ行け」
男は一人で起きあがろうともがいていた。 肩を痛めているらしく、なかなか思うようにいかない。
「く…っ」
ようやく上半身を起こした男は、靴を履いていない方の足をかばうようにしてそれでも何とか立ち上がろうとした。
「無理はしない方がいいと思う。 落馬なら軽くて全身打撲だ。 今は大丈夫でも、後で起きあがれなくなる。 熱だって出るぞ」
 ブロンドに近い淡い胡桃色の髪、長いまつげに縁どられた灰味がかった薄茶色の瞳。 質素な灰色のマントに身を包んではいるが、どこか高貴な血を受け継いでいるようにも見える。 黙っていればどこぞの貴族のお坊ちゃんのようだが、発する言葉は激しい。
「まだいたのか! 行けと言ってるのが聞こえなかったのかっ?」
「聞こえてるよ。 そのまま歩いて帰るのか? 一日かかったって街までたどり着けないんじゃないのかな。 別に止めないけど」
アリアは馬を引いて背を向け、馬に跨る。 そして思い出したように振り向いて言った。
「あ、あんたの馬、あのあし毛だろう? ここから五分馬を走らせたとこに繋いでおいた。 夕方までにたどりつけたらいいな」
男の返事はない。
「それじゃ、頑張って」
セレスの鼻先を街道に向かわせて、アリアは進みだした。それでも後ろから引き留める声はしない。
「頑固なやつだ…」
 すっかり日は昇っている。 そろそろエドアルドも起きる頃だろう。その前に戻るつもりだったのに、とんだ道草を喰ってしまった。

 あし毛の馬はもうすっかり落ちついていた。 蹄を見ると砕けた石が蹄に挟まっており、たぶんそれを無理に走らせたため馬が暴走したのだろうと思われた。
「ちょっと痛いが、がまんしろよ」
剣の先で石をかいだしてやる。 馬はいなないて後ずさったが、軽くなった足を何度か蹴ると、なんともなかったように大人しくなった。
「馬の方がよっぽど素直だな」
さて…、とアリアは街道の先を見る。 まだ追いつくはずもない。
「なあ、セレス。どうせ兄上の小言をきかなきゃならないんだ。 もう少し散歩でもしようか」

 男はまださっきの場所にいた。
 近づいてきた蹄の音に顔を上げようともしない。
「やっぱりどっか痛めたんだろう」
アリアが馬上から声をかける。その声にようやく上げた男の顔は蒼白だった。
「馬と靴を届けに来ただけだ。 あのままあの場所に置いていたら、あんたが着く前にとっくに盗まれてる」
アリアはあし毛の馬を適当に繋げると、靴を持って男の方へ歩み寄った。 だらしなく垂れている腕は、脱臼か、下手をすると骨折しているかもしれない。靴が脱げた方の足は、腫れているようにも見える変に曲がってはいないようだ。ただの捻挫だろう。
「そんな調子じゃ、一人で馬に乗れるかどうかもわからないぞ。 どうせ誰かに助けて貰わなければならないなら、私でもいいではないか」
「おまえの、そのなんでも見透かしたような言い方が気に喰わない」
苦痛をこらえながら男がアリアに言った。
 アリアは無言で男の腕にさわり、そしてひょいと持ち上げるとくいっと引っ張った。
「…っ! いきなり何をする!」
「言い方が気に喰わないなら、黙ってやるしかないだろう。 腕は脱臼していただけだ。 もう動かせる。 足は冷やした方がいいな。あいにく何も持ってないから、どこか水のあるところまで行こう」

 「あんた、馬に慣れてないだろう」
小川の近くで男の足を診ながらアリアは言った。 たぶんこういう言い方が相手を怒らせているのだと気がついてはいたが、男が大人しくついてきた以上何を言ってももう変わりがないように思えた。
「肩が脱臼するまで手綱にしがみついているなんて、そうとしか考えられない。 あし毛の歩調の悪さにもあんた、気がついてなかっただろう? 石が挟まってたよ。もう大丈夫だけど」
 男の足は痛々しいほど赤く腫れ上がっている。 そうでなければきっとアリアよりもきれいな足首をしていることだろう。
「本当は肉でもあればもっと冷やせるんだが、あんたが行くところまでこれで我慢してくれ」
アリアは布を水で浸し、それを足首にしっかり巻き付けて動けないよう固定した。
「慣れた手つきだな」
初めて男が穏やかな声を出した。 心地よいテノール。 キンキン怒鳴っているよりずっといい。
「慣れてるからな、実際」
剣の稽古や乗馬でアリアも何度か経験がある。 こんな風に役立つとは思ってもみなかったが。
「これで馬に乗るぐらいはできる。今度こそちゃんと消るよ」
アリアはにっこり笑うと、セレスに乗って男を後に駆けて行った。

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 「こら、静かにしろよ。 みんな起きちゃうだろ」
アリアはそーっと物音をたてないように、馬屋から自分の愛馬に鞍を付けて連れ出した。
 明け方に皆を起こして、その後さんざん嫌みを言われたのはついこのあいだの事だ。 とくにラティアは機嫌が悪かった。 あの夜は一言も口をきいてくれなかった。 まあ、あれは自分が悪かったのだしと素直に謝ったものの、ラティアが応えてくれたのは翌々日だった。 店の女主人にもたっぷり絞られた。 おかげで信用はがた落ちだ。 二度とあんなヘマはしない。
「よーしよし。 これからたっぷり走らせてやるからな」
 まだ日の出る前、人影もない街道をアリアは西に馬を歩ませる。 オリシスの話では西にいい草場があるという。 町中を抜け、民家のはずれの小高い丘を登りきると、目の前に大地が広がった。
「はっ」
アリアは手綱をゆるめてセレスの走りたいように走らせた。
 朝の湿った空気が気持ちいい。
 女達の館に来て以来、館の外に出るのは初めてだ。 エドアルドは何かと外へ出ているが、アリアは特別な用が無い限り外へ出る事はない。 なにより一人で出る事をエドアルドが許していないからでもある。 セレスも馬屋につながれたままで、いい加減走らせてやる必要があった。 だから朝早く誰にも気づかれないよう出てくるしかなかったのである。
 ひとしきり馬を走らせて馬を降り、アリアは木に繋いで腰を下ろした。
 シャツで汗を拭う。
「あとは剣の相手でもできたらなぁ」
汗をかく事は嫌いではなかった。 嫌な事は考えずに済む。 体を疲れさせた後の倦怠感が束の間アリアを開放する。
「酒ばかり飲んで、ちょっとたるみすぎてるな、最近」
 東の空に一筋光が輝いた。夜明けだ。
「帰ろう」
セレスの手綱をとってもと来た道を歩き始める。
 街道にさしかかった所で、アリアは一頭の馬を見つけた。 鞍を付けてはいるが人影はない。 繋がれている様子もなく、馬は気が立っているようだ。
「こんな時間に…」
不審に思うが、あまり人に目立つ行動は起こしたくはない。
「セレス、ここでちょっとおとなしくしていろ」
アリアはセレスを柵に軽く繋ぎ、迷い馬の方へと向かった。 正面へ回り込んで馬の目を見ながら微笑む。
「大丈夫だ。 おまえに危害を加わえようっていうんじゃないんだ。 どこかおかしくしたんだろう? 悪い事はしないから、ちょっと様子を見させてくれないか」
そーっと手綱を手繰り寄せて、馬の首をトントンと軽く叩く。馬は荒い息をアリアに吹きかけたが、意外におとなしく従った。 セレスと同じように柵に繋ぎ、もう一度首を叩いて聞く。
「おまえのご主人はどうした? 戻ってくるのかな」
その可能性があると思ったから柵に繋いだのだが、反対側の鐙に革靴が引っかかっているのを見て、アリアは急いでセレスに跨った。
「もうひと運動してくれセレス。 落馬だ」
街道を町とは反対方向に馬を走らせる。 すぐに人影が見つかった。 街道脇の草むらに男が一人倒れていた。
「おい、しっかりしろ」
駆け寄り、男の顔をのぞき込む。 が、男と思ったのは間違いだったのだろうか。 女性のようになめらかな肌、白い顔、端正な面立ちが苦痛にゆがんでいる。
「どこから落ちた」
「…馬」
「それはわかっている。 どこを打ったのかって聞いているんだ」
話ができるというなら頭ではない。 頭でないなら起こしても大丈夫そうだ。 男の肩にかけようとするアリアの手を、相手の手が力無く振り払った。
「わたしに触るな!」
体力の割には断固とした拒絶だった。
 あっけにとられてアリアは一瞬動きが止まった。男が眉をしかめてアリアを睨む。睨んでも美しい顔だ、とアリアは思った。
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 昼過ぎまでエドアルドはそのテーブルにうつ伏せでうたた寝をしていた。
 物音に目をあけ、そこにアリアの目を見つけた。
「アリア…」
「こんなところで寝ていると、体がまいってしまうぞ。 ベット空けたから、ちゃんと寝た方がいい」
エドアルドは両手で顔をこすり、知らない間に掛けられた毛布を胸元に引き寄せる。 掛けてくれたのはアリアだろうか。
「アリア…、おまえに話しておきたい事が…」
「アーリアンだ。 話はあとで聞く」
アリアの小声に、エドアルドは自分を遠巻きに廻りが掃除をしているのに気がついた。
「夕べは悪かったな」
それだけ言ってエドアルドは自室に行った。
「あとでメシを持って行ってやるから」
わざと男の子のような口を聞くアリアの声に、オリシスの言葉が重なった。

 アリアが運んでくれた昼食を食べながら、エドアルドは夕べの事を切り出そうとしたが、アリアに先を越された。
「兄上、思い出したか?」
「な、何をだ」
「ラティアのことだよ。 やっぱり彼女はどこかで兄上に会っている」
エドアルドとしてはできればそのこと抜きで話をしたかったが、そういう訳にもいかないようだ。
「ラティアがそう言ったのか?」
ううん、とアリアは首を振った。
 エドアルドは荷物の中からぶどう酒の皮袋を取り出し、器に注いでアリアにも勧めた。 自分の分を一気に飲み干し、さらにもう一杯注いだ。
「夕べ帰って来たとき、おまえとラティアがカウンターで話をしていた。 必要以上におれ達に近づいているような気がして、でオリシスにここの二番人気の娘を紹介してもらったんだ。 夕べ部屋に帰らなかったのはこのせいだ」
「その娘は、なんて名前なんだ?」
「えー…と、ス…じゃなかった、サミーアだったけか…」
ふーんと横目でアリアがエドアルドを見る。
「だってしょうがないだろう。 彼女の名前が目的で行ったわけじゃないんだから」
アリアはぶどう酒を一口のんで顔をしかめた。 ぶどう酒は皮袋の匂いがしみこんでいた。
「疑っているのか」
「疑ってなんかいないよ。 それで、何かわかったのか?」
「ラティアは下の娘には人望が厚いようだが、そのほかにはどうも受けが悪いらしい。 彼女もそう思ったからいろいろ話してくれたんだが」
 ラティアは四年ほど前にここにやってきた。 来たときはやせっぽちの少女だった。 『だから面倒みてやったのにさ、今じゃ立派なものよ。笑顔でひとの客をとっちゃって、飽きたら他の娘にポイだもん』というところだ。
「だけどさ、それってラティアのほうが魅力的ってことじゃないか。 他の娘にって、きっと割のいい客を下の娘に紹介してたんだと思うけど」
アリアが苦い顔をしながらぶどう酒をのむ。 そんなアリアの発言に、エドアルドは眉をしかめた。
「へえ、ずいぶん仲良くなったんだな」
珍しく突き放した言い方をする。
「そんなんじゃない。 ただ、ラティアは…」
「ラティアがどうした」
アリアはエドアルドの目を見た。
 ラティアは誰かに恋をしている。 その憂いを帯びた横顔が一人の人間としてアリアの目に写ったのだ。 ただそれだけだ。 なのにどうしてエドアルドはそんな目をするのだろう。
「ラティアに身の上話をするほど私はばかじゃないぞ」
アリアはそれだけ言った。
「口では突っ張った事言ってるけど、あれ、本気じゃないって気がするんだ。 ラティアはただ、誰かを探しているんじゃないかと思う」
「…誰って」
それは兄上なのではないのか? という問いをアリアは飲み込んだ。 聞いてはいけないような気がした。 
「わかんないよ。 だから気になるんじゃないか」
「…そうだな…」
エドアルドはまたぶどう酒を飲み干した。
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 アリアは一睡もせず朝を迎えた。
 エドアルドを探しに行こうかとも思ったが、どこを探せばいいのか検討もつかず、オリシスに相談しようにもオリシスの居場所もわからない。 シモーナに聞けば分かるのか? シモーナだって客がいる。 もうじき客が帰る。それまで待つのか? 
 アリアの不安はふくれあがる。 しかし、今の状況でさし当たって出来るのは、荷物をまとめて待つ事だけだった。 もし何かあったのなら、すぐにもここを発たなければならない。 今度はどこへいけばいいのだろう。
 アリアは薄明るくなったホールへ向かい、そのまま外へ出た。
 表には誰もがまだ眠っているらしく、ひとっこひとりない。 通りの両端を目を凝らして見るが、やはり人影はなかった。
「あのときやっぱりついていけばよかった…」
石段に腰を下ろして膝を抱え込んだ。
 エドアルドはなぜ帰ってこないのだろうか。 何処へ行ったのだろう。 父の仇に関係する場所だろうか。 たぶんそうなのだろう。 帰ってこないのは兄の身の上がばれてしまったからか。 捕まったのか、それなら命はないとみてもいい。
 アリアは夕べから幾度も繰り返し考えていたことを、再度否定するように首を振った。
『どうでもいいから、仇なんてどうでもいいから…、』
 うずくまってしばらくアリアは動けないでいた。
「なにやってんだ、こんな朝早くから」
頭上からの声に、はじけるようにアリアは顔を上げた。
「オリシス!」
薄手の上着を肩からだらしなく下げた恰好のオリシスが、アリアを見おろしていた。
「大きな声を出すな。 みんなが目を覚ますだろう?」
眉をしかめ、面倒くさそうにオリシスはあくびをした。
「兄上が、エドアルドが昨日の昼から帰ってこないんだ!」
それでもアリアはすがるようにオリシスのズボンを乱暴に引っ張った。
「お、おい、やめろよ。 やぶけちまうだろ。 はなせよ」
「ズボンと兄上とどっちが大事だと思ってるんだ」
「今はズボンだな。 これしか今もってないんだ」
のんきにオリシスは、ずり落ちそうになったズボンを片手で引き上げた。
 アリアは怒りで顔を蒼白にし、すっくと立ち上がった。
「兄上が帰って来ないんだぞ?」
「どっからだよ」
まだオリシスの声は緊張感がない。
「わからんないよ!」
オリシスはアリアの怒りもよそに、もう一回あくびをすると首をコキコキと鳴らした。
「夕べ会ったぜ、あいつと」
「どこで!」
「ここで」
「え?」
 アリアはオリシスが親指で指すオリシスの背後の扉を見た。曇ったガラスがはめ込まれている大きくはないその扉は、まぎれもなくさっき自分が出てきた戸である。
 エドアルドは帰ってきていたのか? 兄と会ったということは、オリシスも来ていたと言う事か。気がつかなかった。二人とも自分に声もかけずに、いままでいったいどこにいたのだろう。
 とそこまで考えて、アリアはかぁっと顔を赤らめた。
「まだどっかの部屋で寝てんじゃないのか?」
と言ったオリシスの言葉に、アリアは怒りを爆発させた。
 オリシスを片手で払いのけて店の中に入る。階段の真下まで大股で歩み、大声でエドアルドを呼んだ。
「エド! エドォ!」
複数のドアが開く音がし、不機嫌そうな女達と、背後に隠れるような男達が手摺に集まって来ていた。
「エド!」
その男達の中に、アリアはエドアルドの姿を見つけた。
「アリア…ン」
「なにやってんだよ。そんなとこで!」
階段を降りてくるエドアルドに微かにしみこんだ香水の匂いを嗅ぎ取って、アリアは奥歯を噛みしめた。
「どうした、何があった?」
「何があったじゃない! 帰ったなら帰ったってなぜ言わないんだ。心配してたんだぞ!」
「まあまあ」
オリシスがアリアの後ろから声をかけた。
「いろいろあるんだよ。 大人の男にはさ」
オリシスの声を振り払い、アリアはまだ人がたかっている階段の上を見上げた。 エドアルドは誰の所に泊まっていたのか、それを確かめようとした。
 アリアの視線に、ラティアが入った。 しかし、ラティアはアリアにも負けない怒りの表情を浮かべた後、すぐに身を翻し勢いよく自室のドアをばたんっと閉めた。
「帰った時、おまえラティアと楽しそうに話していたようだったから、声かけそびれて」
アリアの肩を抱こうとしてさしのべたエドアルドの手も払いのけ、アリアはラティアと同じように自分の部屋にかけ込んだ。 中から鍵を締めてベットに身を投げた。
 どんどんと戸を叩く音がする。自分の名をエドアルドが呼んでいる。
 だがアリアは毛布を頭までかぶり、膝を曲げてちぢこまった姿勢で全ての音を遮断しようと努めた。エドアルドだって男だ。誰と何をしようと勝手だ。わかってはいるが釈然としない。いったい自分はなんでこんなに怒っているのだろう。行き先を言わなくてもいいと言ったのは、アリア自身である。そう、行き先はどうだっていい。何事もなかったのなら何も言う必要はない。ともかく無事だったのだ。この他にエドアルドに求めるものはない。だけど…。
「これは、嫉妬だろうか」
アリアはうずくまったまま言葉にした。 エドアルドだけは自分を見ていてくれると思っていた。 たぶんそうなのだろう。 だけど自分だけというわけにはいかない。 おいてけぼりをくったことが悔しくて、そして悲しいのだ。 兄妹といえど、そんな願いがかなわないと知りたくはなかったのだ。

「アリア、アーリアン」
エドアルドは宥める様にアリアの名を呼ぶ。
「ほっとけ。 おまえらいい加減くっつきすぎるぞ。 いい機会じゃないか。 乳離れしろよ」
オリシスがエドアルドの背中に声をかける。冗談のような口調だったが、目は真剣味を帯びていた。
「腹が空いたら出てくるさ。 それまで寝かせてやれよ。 一睡もしてないぜ、あの調子じゃ」
「オリシス…」
エドアルドは扉から離れ、オリシスの隣に座った。
「俺はアリアを巻き込みたくないと思っていた」
「もう巻き込んでるだろう? 親父さんの仇はなにもおまえだけの問題じゃあない」
「それは…、そうだけど」
「だったらちゃんと話してやれよ。 頑張っているように見えても、不安でしょうがないんだと思うぜ」
「…ああ」
オリシスは考え込むエドアルドの横顔を見た。
「まじめにとりすぎるな。 おまえの欠点はすぐ考えこんで口数が少なくなる事だ。 それがアリアを不安にさせる。 不安だから頑張ろうとするんだぜ」
エドアルドが顔を上げ、オリシスを捉える。
「オリシス、おまえ」
しかし、オリシスは肩にかけた上着に袖を通し、
「おれは家に戻る。 またくるからそれまでに仲直りしておけよ。 兄弟げんかのとばっちりはごめんだ」
と言い残してそのまま出て行った。
 エドアルドは長いため息をついて、アリアのいる戸を振り返った。

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「金髪の女はね、ナルシストよ。 結局は自分の美しか愛せないの」
次にめくるのは緑の葉を髪に飾った『大地の女神』だ。
「黒髪は惜しみない恵み。 情愛の深さ。 安堵と安心。 …あたしにあてはまってるかどうかはわからないけど」
そして次にカードを選んで差しだしたのは、胡桃色の髪をきっちり束ね、分厚い書を片手に抱いた『知』だった。
「理性と知性。 決して自分のペースを乱さない。 感情を出す事もない、一番やっかいな相手」
 並べたカードを引き寄せてラティアは笑った。
「あんた、これから女に接するときは気をつけなさいよ」
「これ、全部カードの意味なのか?」
「あたしの経験と実測よ。 ここにはいろんな女達が通り過ぎて行ったわ。 その統計ってところね」
カウンター並べられたそれらカードを眺めて、アリアはラティアに言った。
「ひとつ忘れてる」
「え?」
「赤毛」
ラティアはひと呼吸おいて笑い出した。
「赤毛は赤毛を選ばないわよ」
「なぜ?」
ラティアは手持ちのカードをすばやくめくり、『戦い』を抜き出してアリアの前に置いた。
「お互いを焼き尽くすから」
カードには赤い髪を振り乱し、剣の柄を握った勇ましい女性の姿が描かれていた。
「情熱。 正義感なんてもんじゃないわ。 あるのは情熱だけ。 全てを燃焼させるくらいのね」
ごくりとアリアは唾を飲んだ。
「…あんまり当てはまってないな」
「あたりまえよ。 これ女の性格だもん」
「じゃあ赤毛の男はどういうんだ」
ラティアは似合わず顔を赤らめた。 カードを必要以上にいじくる。
「あんまりつっこまないでよ。 わかんないわよ、男の事なんて」
そういうもんかな、とアリアは思った。 仕事上女性より男性の種類を知る機会が豊富なのではないだろうか。 が、ぼそりとラティアが言った。
「やさしいのよ。 赤毛の男は。 すごくやさしいの。 …きっと誰にでも」  
ラティアのその憂いのある表情は、いまさっきも見たような気がする。
「いっとくけど、あんたの事じゃないわよ」
「わかってるよ」
ラティアが言ってる赤い髪の男とは、さっき言っていた昔の話しの男なのだろう。きっとラティアはその男の事が忘れられないほど好きなのだろう。
『あれ?』
何かがアリアの心に引っかかった。
「もしかして…」
言いかけた言葉を無視するようにラティアは席を立った。
「さあて、あたしはもう店じまいするとしようかな」
「ちょっとまてよ」
「なによ」
「もうひとつ教えてくれ」
とラティアを引き留めたものの、アリアは先ほどの問いを口にするのには、すこしためらわれた。
「あ、あの…、オリシスはよくここに来るんだろう?」
「よくなんてもんじゃないわ。 しょっちゅう入り浸ってるわよ」
ラティアは「それがなんなの」とでもいいたげだ。
「それ、…誰の所に泊まってるんだ…ろう?」
聞きたいが聞かなくてもいいと思っていた事がつい出てしまった。 言った途端、後悔がアリアを襲う。 知らないとでも本人に聞けとでも言ってほしい。
 ラティアは店の中をぐるりと見回して、顎をある方へと傾けた。
「シモーナんとこよ。地味だけど、いい娘よ。 オリシスみたいな風来坊にはいいのかもね。 あいつはけっこうもてるから他の娘のやっかみも多いけど」
 顎が指す方を見る。シモーナとおぼしき人物がアリアの視界に入った。 淡い栗色の髪をきっちりと額の真ん中で分け、聡明そうな額を見せている。 髪は背の真ん中ぐらいの長さで、真っ直ぐに垂れ下がっている。 顔はラティアほど華はないが、それなりに人目を惹くタイプかもしれない。 この場所に似合わず清楚な感じといってもいい。 歳は自分と同じかひとつふたつ年下だろうか。 たまに微笑む表情は、野に咲いた可憐な花のようだ。 控えめな優しさを感じさせる、そんな女性だった。
『聞かなければよかった。 いや、見なければよかった』
アリアはカウンターに向き直してそう思った。
 ラティアが戻ってきてカウンターに肘をついた。
「なによ。 難しい顔してさ」
「別に。 意外だっただけだよ。 オリシスはあんたみたいなのが好みだと思ったんだ」
 そう言ったアリアの耳にラティアの笑い声が聞こえた。
「やめてよ。 たしかにオリシスはもてるけど、あたしはごめんだわ」
「え?」 
「いい男よ。気さくだし、男気があるし、この世界ではああいう男が逆に女を貢がせるくらい。 実際シモーナはあいつが泊まるときは自腹切ってるんだけどさ」
「それくらいいい男なら、なんでごめんなんだ」
アリアの純粋な問いだった。
「オリシスは絶対自分を捨ててはいないわ。 あんなふうに遊んでいるようでもね、いつかはきっとどこかに行ってしまう。 得体が知れないなにかを感じるの。 ああいうのに溺れたらきっと抜け出せなくなっちゃうわ。 だけどこっちが執着するほどには向こうはなにも返してくれない。 報われない。 溺れていくだけよ。 誇りもなにもかも失ってね。 そうするだけの価値があいつにあるかも知れない。 でもあたしは嫌なのよ。 自分自身の全てを男に捧げるなんて、冗談じゃないわ」
 そう語るラティアの頬は紅潮していた。 シモーナに嫉妬しているわけではなくむしろ男に対して怒りを押さえているように見えた。
 そんなラティアが語った赤毛の男に対するのはなんだったのだろうとアリアは思う。
 その夜、オリシスは現れず、エドウィルも帰ってはこなかった。
 
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「ふーん、あんたこれ、いいとも悪いとも言えないカードじゃない」
ラティアはカードの角を中指と親指で持ち、ふーっと息を吹きかけた。 カードはラティアの右手の中でくるくる勢いよく廻った。
「どこか具合でも悪かったのか?」
アリアは廻るカードの先のラティアの顔を見ながら言った。
「なんで?」
「今まで出てこなかったから」
ラティアはアリアの前のカードを全て引き寄せると、手際よく切り始めた。
「別に。今日は出張してたのよ」
「え?」
「他の屋敷に呼ばれてたの。 やることはここと同じだけどね」
「そんなこともあるのか!?」
カードを並べる手を止めるラティアはあきれ顔だ。
「あんたねぇ…。 まぁ、もうあんたの世間知らずは昨日で充分わかったからいいけど」
こういうお店にこれない上等な客もいるのだとラティアは言った。
「そのぶん金はいいのよ。 と、さあて」
めくったカードは、またも『運命の輪』だった。
「ラティアも運命…か」
「ちがうわよ。 あんたの未来よ。 あんた、よっぽどこのカードに気に入られたのね」
「どういう意味なんだ、これ」
「なあに? カードの意味も知らないでやってたの?」
「死神ぐらいは知っている」
「そんなの子供だって知ってるわよ」
ラティアのあきれ顔に苛立ちも加わった。
「さっきは適当にカードを切っただけだ。 カードの意味なんて知らない」
「あんたどういう所で育ったのよ 。剣の腕はあっても、それじゃあ世間を渡っていけないわよ。 必要なことは自分から学ばなきゃ」
「うーん…」

アリアは唸った。 ここでそういう事を言われるとは思ってもみなかった。 だがラティアの言う事はもっともだ。

「運命の輪はね、過去も未来も同じ運命をたどるという意味よ。 あんたの過去が良かったか悪かったかはわからないけど、必ず未来も同じような事を繰り返す。 言ったでしょ、いいとも悪いとも言えないって。 ところであんた、幸せだったの?」
過去も未来も同じ運命…か。 ならばあまり明るい未来とは言えない。 それでも今まで自分は救われていた方だ。 家族もいるし、なにしろ今は飢えてはいない。
「ああ、だけどこんなところにいるようじゃ、幸せってな訳ないか。 悪い事聞いたわね」
ラティアはアリアの答を待たずに勝手に結論づける。言葉尻をあげれば、ラティアも幸せではないと言う事か。
「自分のカードはどうなんだ? いい結果でも出たのか?」
アリアがそういうと、ラティアは皮肉っぽく笑った。
「自分を占ったことなんて、一度もないわよ」
「なんで?」
「いい結果がでるわけないじゃない。こんなところにいるんだもん。あたしの先なんて占わなくてもたかが知れてるわ」
「玉の腰ってこともあるじゃないか」
「ばっかねぇ。あたしたちみたいな商売女を正妻にしてくれる奇特な男なんていやしないわよ。いいとこいってお妾さんぐらいだわ。あたし、そんなのごめんよ。 …でも、そうねぇ」
ラティアは言葉を切り、ふっと笑った。
「いつか自分のサロンを持ちたいと思っていたわ。貴族や王族を相手にする高級なサロン。この世界から一目置かれるような」
そういう女性もいることはアリアも知っていた。貴族の娘より高い教養を持ち、楽器でも文学でも一言をもち、男性と対等に話しができるような高級娼婦。
「そうだな。…ラティアほど美人だったら夢ではないかもしれないな。でもなんで思っていたなんだ?」
「夢、じゃないのよ。手段だったの。…でも、もういいの。あきらめたわ。運命はあたしにこのまま生きていけと言っているのよ」
ラティアの言っていることはあまりにも抽象すぎてわからない。
「あきらめることはないじゃないか。 運命の輪なんてくそ食らえだ。 ラティアだって、この生活がいやなら抜け出せることもできるはずだ。 運命にしたがわなきゃいけない理由なんてどこにもないだろう?」
 ラティアはアリアをしばらく無言で見つめた。 そしてふと視線を外らし、カウンターに肘をついて前を見た。 目はカウンター奥の酒が並ぶ棚を見ているようだったが、どこか遠くを見ているようでもあった。 目を細め、何かを懐かしむように、とても何かを慈しむように、その横顔はとても美しく、アリアは女としてではなく人間としてラティアの横顔に引き込まれるのを感じた。
「同じ様な事を言った人がいたわ。ずっと昔に。あたしがまだ子供だったころ」 
 ラティアは呟くように言った。くすっと笑って、またアリアを見た。
「あんたのみたいに燃えるような赤い髪をした、あんたぐらいの少年だった。子供のあたしにとってはそれでも充分おとなだったけど」
そうしてまた目を細める。
「昔の話よ」
とラティアは繰り返した。
 思ってもみないラティアの反応にアリアは何を言ってやればいいのかわからなかった。 ラティアの思い出は、決して他人が踏み込んではいけない神聖なものなのだと思った。 アリアが見る姿無き人の夢のように。
「そういえばさ、あんたの兄さん、今日も出かけてるの?」
いつもの調子に戻ってラティアが言った。
「ああ、まだ帰って無いみたいだけど」
「ふーん」
 ラティアはつまらなそうにカードをもてあそんぶ。
「今日は客につかなくていいのか?」
「いいの。今日はもう金回りのいい相手をしたから、今は自由」
ラティアはでたらめにカードを並べていく。
「ほら、これ」
ラティアが出したカードには金髪の女性、『美』があった。
「なんだ?」
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 翌日になってもエドアルドは夕べの内容を伝えなかった。 アリアはそれが少々気にいらなかったが、あえて自分から聞こうとは思わなかった。 エドアルドが言わないのはまだ自分が知る段階ではないのだ。 ひょっとするとまだなんの情報も得られていないのかも知れない。 
 中庭で洗濯ものを干す。 あかるい太陽に自然とあくびが出た。
 夕べは飲み過ぎた。 あれから騒ぎらしい騒ぎはなかったし、オリシスも途中で居なくなった。 二階の部屋のどこかに消えたのだろう。 金がかかるとはいえ、更にもう一杯頼んでしまったのだ。
 首をぐるぐる回して、はぁーとため息をつく。
「気が重いな…」
 アリアは芝生に座り込んで膝を抱えた。 ラティアになんて言おう。まずは謝らなければ。
 それにオリシス。 自分達をここに置いたのは、オリシスが通う名目にしたかったからではないのだろうか。 ホールにいたきらびやかな女達。 妖艶な笑顔。 陽気な笑顔。 淑女のような笑顔。 あの女達のどの笑顔にオリシスは惹かれたのだろう。
 アリアのいた町にもそういう女達はいた。 男に媚びを売り、はすっぱな口を聞き、派手な化粧をする女達をアリアは内心嫌悪していた。 だが昨日の一件で少なくとも軽蔑の念は消えていた。 彼女達も人間で、そして生きて行かなくてはならない生き物なのだ。 自分がこうして生きながらえているように。

「ここにいたのか」
エドアルドが立っていた。
「兄上」
「いい庭だな、ここは」
「うん」
 日差しが二人を包み込む。 穏やかな午後が何もかも忘れさせてくれればいいのにと思う。
 が、エドアルドが言った。
「ちょっと出かけてくる」
アリアは顔を上げずに「うん」と答えた。
「どこに行くか聞かないのか」
「聞いたところで兄上は答えてくれるのか」
エドアルドは黙り込む。
「そのときが来たら話してくれるんだろう? だったら今はいいよ。こっちのことは私に任せてくれ」
「そんなに遅くはならない。昨日みたいなことはやめてくれ」
「大丈夫だよ。 兄上は私をそうやって甘やかす。 よくないことだ。 父上は私に厳しかったぞ」
「親父は俺にも、誰にだって厳しかったさ」
そうかもしれない。 だがアリアは思う。 父エルネストは自分にはもっと心の奥の方で冷たく自分を突き放していたと。 それは仕方の無い事なのだ。 アリア自身、そうされる方が甘やかされるよりずっと楽だった。 エドアルドの愛情は暖かい。 しかしその愛情に甘んじてはいけないのだ。 自分にそんな資格はない。
「アリア?」
 芝生をむしり取っていたアリアにエドアルドが声をかける。
アリアは腰を上げ、芝生だらけのズボンを払った。
「とにかく心配なんてしなくていい。 私は大丈夫だ」
 口元だけに笑みをたたえ、アリアはエドアルドを見た。 悲しみも苦しみも涙さえも深く閉ざした、いつものアリアの瞳だった。 その瞳を見る度にエドアルドはまた妹を捕まえ損なったような気分に陥る。 いつもそうだ。 守ってやりたいと思うのに、アリアはそれを頑なに拒む。 アリアが剣を学びたいと言った時もエドアルドは本当は反対だった。 だが父は自分達と同じように厳しくアリアを鍛えた。 戦に出る訳でもないのにそこまでやることはない。 打ち身や切り傷が毎日のように増えていく妹を見るのが苦痛だった。
「出かけなくていいのか?」
アリアが下から自分をのぞき込んでいる。
 エドアルドはアリアの肩をポンポンとたたき、片手を上げて中庭からそのまま外へと出て行った。
 
 エドアルドは夜になってもまだ帰ってこなかった。 店は夕べのように賑わいが増してきていた。 アリアは食事を自分の部屋で取ったあと、店に出て何をするでもなくカウンターに腰掛けて、店のざわめきを背中で聞いていた。 ラティアはあれから見ていない。 オリシスも今日はまだだ。 もしかしたら来ないのかも知れない。 来ないなら来ないでほっとし、また逆につまらなくもあった。
「まあいいけど」
今日は酒は抜きだ。 昨日の異人風の男とふた言三言会話をし、また手にあるカードをもて遊ぶ。 独り占いをしてみても出てくるのは決まって『運命の輪』だ。
「なにが運命の輪だ」
運命のカードを口にくわえ、歯形をつけるほど咬んでみる。
「ずいぶんしけた顔してんじゃない」
ラティアがアリアのくわえたカードを取った。
「ラティア」
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「女を下ろせ」
 振り返った男は、自分を止めたのが線の細い子供なのを見てニヤリと笑い、空いている方の手でアリアを振り払おうとする。
 アリアはその振りを難なくかわし、素早く階段をかけ上がり、ラティアを抱いている方の肩に蹴りつける。 ゆるんだ手からラティアを奪い取るとすぐに自分の後ろに追いやり、よろめいた男に対して抜いた剣を突きつけた。
「余興はここまでだ。 このまま立ち去るか、ここで串刺しにされるか。さあどちらを選ぶ?」
 男は姿勢を立て直したが、目の前にあるのが剣と気づくのにしばらくの時間を要したようだ。
「へ、へへ、そいつの使い方知ってんのかい? ぼうや」
自分の姿は本当に子供に見えるのか、とアリアは面白くない。
「少なくともあんたよりはな」
シャっと振り上げた剣は、相手の胸元をかすった。 途端にはらりと男の胸がはだけ、胸毛がのぞいた。
「あんたみたいなやつの血を流したくてウズウズしてんだ。 こいつが振り下ろされる前に出て行った方が、あんたの身のためだと思うけどな」
アリアの目は真剣だ。 男はその気迫に押され、一歩も動けない様子だ。アリアは切っ先をゆっくり下げ、男の股間でぴたりと止まった。
「ここが使えなくなるってのは、どういう気分なんだろうな」
男の顔は途端に青ざめた。 
「わ、わ、わ、わ」
 階段を転げ落ちるような恰好で男は戸口に向かって走りだした。
 アリアも後を追い、戸口から遠くなっていく男の背を確かめた後、ゆっくりとカウンターへと戻った。
 廻りの男女が自分を見つめているのがわかる。 アリアがもとの席に付くと、観衆は徐々にまたざわめきを取り戻して行った。 さっき立ち上がった勢いでなのか、ワインの杯が倒れていた。
「ったく」
ひとりごちていると、目の前にすっと新たなワインが差し出された。 カウンターの中の男が涼しげな表情でコクンと頷く。
「いいよ、これ以上払えないから」
「いいんです。 私のおごりです。 今日はスカッとしました」
男の発音は少し変だ。 エタニア人ではないようだ。 短い黒髪を後ろに撫で付けた髪型が浅黒い肌に良く似合っている。 白目が見えないほどの黒い瞳。 若いようだが、もしかしたらかなり年上なのかもしれない。 どこかなつかしさを感じさせる異国風な、そんな男だった。
 アリアは軽く笑って新しい杯を取った。 口を付けたとき、聞き慣れた声が耳に入った。
「やりすぎだぞ、アーリアン」
「オリシス。いつきたんだ」
「取り込みの最中さ。 なんだよ、おれに騒ぎを起こすななんていっときながら、随分派手にやってたじゃないか」
オリシスもワインを注文する。
「しょうがないだろ。あの大男をひきずって行けるほど体力ないんだから」
「そうよね。 あんた小柄だしさ」
 いつのまにかラティアが隣に腰掛けて、乱れた髪を掻き上げていた。
「でも感謝するわ。ありがと」
ラティアの顔は少し青ざめているようだ。
「いいよ礼は。 仕事なんだから。 それより、あんなことしょっちゅうあるのか?」
「ううん。 客同士の争いならともかくだけど」
ふーっとラティアは大きなため息をついた。
「あいつとは前に一回上にいっただけよ。 ひどいやつだったわ。 殴るのよ。 そうしないと興奮しないなんて。 おまけに金だってけちってさ」
 アリアの中に新たに怒りが沸いてきた。 そうと知っていれば脅しだけじゃなくもっと痛めつけてやればよかったと思う。
「なんだってそんなやつと」
 アリアは嫌悪感をあらわにしてラティアに言った。 ラティアにではなく、あの男に対してだ。
「しょうがないでしょ。 これがあたしの仕事なのよ」
「だからといって、いやなことまですることないじゃないか。 もっと自分を大切にしろよ」 
アリアのその言葉にラティアはがたんっと席を立った。 拳を握った両手が震えている。
「あんた、よっぽどの世間知らずなのね。 あたしたちはただの娼婦なのよ。 金を払えば誰だって客なの。 好き嫌いなんていってられないのよっ。 これだから子供は嫌いよ!」
ラティアはそのままきびすを返した。 だがそこにエドアルドが立っており、ラティアは顔を硬直させ、一瞬立ち止まるがすぐにその脇をすりぬけ二階に駆け上がって行った。
「どうした」
エドアルドは今そこまでラティアがいた席に座った。
「何かあったのか?」
エドアルドがアリアとオリシスを交互に見る。 アリアの変わりにオリシスが答えた。
「アーリアンが初仕事をしたんだ」
顔色を変えてエドアルドがアリアをのぞき込んだ。
「ひとりで無茶はするな。 けがはないか?」
「ない」
けがはないが胸が傷む。
「傷つけるつもりはなかった。 あんな美人なら、相手ぐらい選べると思ったんだ」
 オリシスが事のなりをエドアルドにざっと告げたあと、アリアはそう付けたした。
 アリアは人との隔たりが長かった。 誰とも口をきかずに過ごした年月が、アリア独自の世界観を生んだのかも知れないが。
「まあな、ラティアはこの店の看板だ。 多少相手を選べる事はできるんだが」 
オリシスはぼそりとつぶやく。
「彼女は他の子をかばったのです」
先ほどのカウンターの男が杯を洗いながら低い声で話しかけてきた。 三人は異国風の男に視線を向ける。
「あの男は以前にも何度か来た事があります。 他の娘の客でしたが、その娘はがまんが出来ないと女主人に涙をためながら訴えていました。 人気の高い娘ならともかく、新人やそうでない娘は相手を選ぶことはできません。 ラティアは女主人に内緒でその娘に言ったのです。 今度来たら、自分が相手をするからと」
 カウンターの男は口に人差し指をあて、これは内緒にしておいてほしいと言った。
 アリアもエドアルドもオリシスも黙ってワインを飲んだ。
 ラティアが望むならもっと成り上がっていけるだろう。そうするには、ラティアの性格が許さないのかもしれない。アリアはラティアの、ここの女達の心内を少しだけのぞいたような気がした。
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 店のカウンターに座り、アリアはワインを少しずつ飲んでいた。
 エドアルドは2時間程前に「リカルド」という男を捜しにきた男を「人違いだ」と帰したあと、外に出たまま帰らない。 書面にかかれていた接触方法だった。 
 店は賑やかさを増し、男達のざわめきと女達の笑い声がホールを埋め尽くす。 今まで経験した事の無い雰囲気の中で、身の置きどころが掴めないアリアである。
「用心棒ったってなぁ…」
何をするわけでもなく、ただこの喧噪を眺めているだけである。落ちつかない。
 ふと、きつい香水がアリアの鼻を刺した。
「子供のくせにワインなんて飲んじゃって、ずいぶんませてるじゃないの」
 振り向くと、あの黒髪の女がすぐ後ろに立っいた。 顎を上げ、些か高飛車な態度でこちらを見おろしている。 盛り上がった胸、くびれた胴、引き締まった腰。 ドレスの上からでもその体が見える様だ。 昼間は下ろしていた豊かな黒い髪は、今は高く結い上げられている。 くっきりと弧を描く眉、小振りだが高い鼻梁、赤く官能的な唇、そして黒いまつげに縁どられた黒い瞳。 圧倒的な美を見せつけるかのようだ。
 アリアは何も言わずに女を見て、そしてワインに視線を戻した。
「なによ。 口が聞けないわけでもあるまいし」
カウンターに肘を付き、女はアリアの隣になった。
「あんた、いくつよ」
「いいだろう、何歳だって」
「かわいくないわね」
「かわいいって言われても、うれしいがる歳じゃないからな」
 いきなり女がアリアの器を奪い、半分になっていたワインをぐっと一気にあおった。
「まずい。 なによこれ。 香りがとんじゃっているじゃない」
女はワインの追加を頼んだ。
「おい、こっちは自腹切っているんだぞ。 勝手な事するなよ」
「おごりよ。 あたしの。かわいい用心棒にね」
素焼きの器のひとつをアリアの前に置き、もうひとつを自ら持ち上げて、女が言った。
「それはどうも」
さっきはかわいくないと言ったくせに、とアリアは不機嫌に器をとる。
「あたしはラティア。 あんたは?」
「…アーリアン」
「いい名前じゃない。 しばらくここにいんの?」
「さてね」
これは本当だ。 先の事など全くわからない。
 しかしラティアは口の端を引き締め、眉を曇らせた。 その表情は色香に似合わず幼さを感じさせた。
『?』
 この自分よりひとつふたつ年上に見えるラティアは、もしかするともっと若いのかもしれないとアリアは思った。 いや、それよりも、その表情の理由が気にもなったが。
「ラティア! いつまでも金にならないやつの相手をしてんじゃないよ。お客がお呼びだよ」
女主人の声に、ラティアは「はいはい」と気の無い返事をして、テーブルの方へ移って行った。
 化粧をし、ドレスをまとった女主人は昼間とは別人のようだ。 若い頃はさぞかしもてただろう容貌を備えている。 贅肉はあるものの、かえってそれが妙な色気を感じさせる。女は幾つになっても化けるものだ、と変にアリアは感心した。 

 ガタンと椅子を蹴飛ばすような音がして、次にラティアの声が響いた。
「やめてよ! 何すんのよ!」
 振り向くと、ラティアが労務者風の男に向かって罵声を浴びせている。 どうやらテーブルについたラティアをめぐっての諍いらしい。 おれが先に…、とかなんとか聞こえる。 男は顔を真っ赤にしながらラティアの腕をつかんで離さない。 ラティアの相手をしていたテーブルの男は、逃げ腰のていで話にもならないようだ。
 廻りのざわめきは一斉にラティアのテーブルに向いた。 だが誰も何もしようとはしない。
 男は抵抗をやめないラティアの頬をひっぱたき、担いで無理矢理二階に上がろうとしていた。
 アリアは女主人を見る。女主人はアリアの視線を感じると、無言で頷いた。それを合図にアリアは立ち上がって男の後を追い、階段の四、五段の所で男のベルトに手をかけた。

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「ただで飯を喰わせてくれるなら願ってもないことだ。その分働くかなきゃいけないのもしかたない」
アリアはあっさり言いきる。 もうその気なのか、言葉遣いまで少しだが乱暴になっている。
「あんたらの部屋はこの奥だよ。 二階から上はお宝たちの部屋だからね、仕事以外は近づかないでおくれ。 仕事の対価は部屋代と飯代だけだ。 飲みたいんならその分は払ってもらうよ」
無愛想に女主人が手を払う。 払った先にドアがあり、たぶんそこが当分の間の住処になるのだろう。
「ほんとうにいいのか」
エドアルドがアリアに囁く。
「なにか悪い事でもあるのか?」
逆にアリアが聞き返す。 アリアがいいと言うのならかまわない。 しかし無理をしているようにも見える。 だが本当の本心はやはりエドアルドにはわからなかった。
「その…、なんてんだ? おれは、まあ、いいんだが、お前には刺激が強いんじゃないかと、思ってな」
口ごもるエドアルドにアリアは笑って答えた。
「何事も人生経験」
「…ん」
エドアルドも苦笑いを返す。
「じゃ、おれは帰るからよ。しっかり働けよ」
オリシスが片手を上げて、戸口に歩きだした。
「ああ、悪かったな。 いろいろと」
エドアルドが後ろから言った。 出て行くオリシスの背を見たアリアはあわてて問う。
「オリシスはどこに帰るんだ?」
「さあ、本家ってことはないと思うけど」
「もうここには来ないのか?」
アリアの自分を見上げる目がなんともいじらしく、エドアルドは片目をつぶった。
「たぶん、今夜また来るよ」
それが必ずしもアリアを喜ばせる結果にならないとしても、言ってやりたかったのである。
「今夜来るのにわざわざ帰る事もないだろうに」
とアリアはアリアで一人ごちている。
「おれたちは他の人間と接触しなければならないんだ。オリシスもそこらへんを察しているんだろう」
「ああ、そうか」
オリシスに会ってから緊張感がまるっきり抜けているアリアは、今更ながら自分達のおかれている状況を認識し直した。

 と、エドアルドとアリアは頭の上からの笑い声に、ほとんど同時に顔を上げた。
 笑い声は階段の手摺にもたれ掛かって階下をのぞき込んでいる数人の女達のものだった。 女達は肌着のような恰好で、髪も結い上げずに垂らしたままクスクスと低く響く声で笑っていた。

『これが宝たちか』

 アリアは声にならないほどの声で呟いた。 女主人が自慢するだけの事はある。 化粧はしてなくとも、匂いたつような色香がここまで届く、艶やかな一群だった。 中でもひときわ目立つ女がいた。
 黒髪を豊かにまとい、黒く彫りの深い目で、微かな笑みをたたえながら自分達を見おろしている。はすっぱな感じは微塵もなく、まるでどこかの気品ある女王のようだ。
 男達はこういうのに弱いんだろうな。 とアリアは思った。
『だがこの女に勝てるような男はそういない。 でもオリシスなら…』
オリシスを思い浮かべた途端、アリアは胸の傷みを覚えた。
オリシスが通っているというのは、もしかしたらこの女かもしれない。
 アリアは首を振った。
『だからといって、何がどうというのだ』 
オリシスはオリシスだ。自分とはその世界とは何の関係もない。
 部屋の扉の取手に手をかけながら後ろを振り向いたアリアは、まだエドアルドが上階を見上げているのを見た。
『しかたない。兄上も男なんだから』
 しかし視線を追うと、エドアルドは先ほどの黒髪の女と無言で見つめあっていた。 だがエドアルドの表情は女に見とれているという感じではなく、どこか記憶を手繰り寄せているふうであったのがアリアには解せなかった。
「兄上…?」
 アリアの声にエドアルドは我に返ったようだが、その後は上を見る事も無くアリアに続いて部屋に入っていった。

 あてがわれた部屋は、簡易的なベットと長椅子とテーブルがあるだけの、質素なものだった。
 すこしかび臭いのは窓が無いせいだろう。 毛布はあるが、外で干さなければ使えそうにない。 見ると埃がたまっている。
「とりあえず寝られるようにしなくては」
 アリアは荷物を置いて、作り付けのクローゼットの中を点検する。 ぼろ切れなどを取り出して、水差しを持ち上げる。 中身は空だ。
「ちょっと水を貰ってくる」
アリアは詰まれた毛布と水差しとぼろ切れを抱えて部屋を出た。 表通りとは反対の奥まった扉を見つけ、開く。 思った通り中庭に出た。
 中庭といっても使用人の使うものだが、それにしては手入れがよく行き届いている。 木も植わっているし花も咲いている。 一面に敷かれている芝生は初夏の色に染まり、中の雰囲気とはかけ離れた普通の家の中庭だった。
「けっこうやるな」
 アリアのここの女主人に対する賞賛だ。 物干しには女物の下着や、シーツ、カバーなどが風になびいている。
 アリアは空いている場所に毛布をかけ、手で埃をはたく。 井戸から水を汲み、ぼろ切れを浸しおもいっきり絞る。 水差しにも水を入れ、自分達の部屋に戻った。 エドアルドはベットに腰掛けて何かを考えているようだった。 テーブルやクローゼットを拭きながら、アリアは言った。
「さっきの人、知っているのか?」
エドアルドは顔を上げ、肩をすくめた。
「ずっと見ていたじゃないか」
「ああ。 どこかで会ったような気がするんだが、ぜんぜん思い出せない」
エドアルドの答えはアリアに対しての隠し事ではなさそうだった。 オリシスの連れとして記憶があるのでは、とも思ったが、ではなぜあの女はエドアルドを見つめていたのだろうか。 自分達ではなく、エドアルドだけを。
 それは結局声にならず、アリアとエドアルドは店が開くまでの間、少しの仮眠をとった。 ここしばらくろくに寝ていない。 オリシスに会った安堵感のせいか、3時間ほど二人はぐっすり眠った。
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「ただで飯を喰わせてくれるなら願ってもないことだ。その分働くかなきゃいけないのもしかたない」
アリアはあっさり言いきる。 もうその気なのか、言葉遣いまで少しだが乱暴になっている。
「あんたらの部屋はこの奥だよ。 二階から上はお宝たちの部屋だからね、仕事以外は近づかないでおくれ。 ただなのは部屋代と飯代だけだ。 飲みたいんならその分は払ってもらうよ」
無愛想に女主人が手を払う。 払った先にドアがあり、たぶんそこが当分の間の住処になるのだろう。
「ほんとうにいいのか」
エドアルドがアリアに囁く。
「なにか悪い事でもあるのか?」
逆にアリアが聞き返す。 アリアがいいと言うのならかまわない。 しかし無理をしているようにも見える。 だが本当の本心はやはりエドアルドにはわからなかった。
「その…、なんてんだ? おれは、まあ、いいんだが、お前には刺激が強いんじゃないかと、思ってな」
口ごもるエドアルドにアリアは笑って答えた。
「何事も人生経験」
「…ん」
エドアルドも苦笑いを返す。
「じゃ、おれは帰るからよ。しっかり働けよ」
オリシスが片手を上げて、戸口に歩きだした。
「ああ、悪かったな。いろいろと」
エドアルドが後ろから言った。
「オリシスはどこに帰るんだ?」
「さあ、本家ってことはないと思うけど」
「もうここには来ないのか?」
アリアの自分を見上げる目がなんともいじらしく、エドアルドは片目をつぶって言った。
「たぶん、今夜来るよ」
それが必ずしもアリアを喜ばせる結果にならないとしても、言ってやりたかったのである。
「今夜来るのにわざわざ帰る事もないだろうに」
とアリアはアリアで一人ごちている。
「おれたちは他の人間と接触しなければならないんだ。オリシスもそこらへんを察しているんだろう」
「ああ、そうか」
オリシスに会ってから緊張感がまるっきし抜けてしまったアリアは、今更ながら自分達のおかれている状況を認識し直した。

 と、エドアルドとアリアは頭の上からの笑い声に、ほとんど同時に顔を上げた。
 笑い声は階段の手摺にもたれ掛かって階下をのぞき込んでいる数人の女達のものだった。 女達は肌着のような恰好で、髪も結い上げずに垂らしたままクスクスと低く響く声で笑っていた。

『これが宝たちか』

 アリアは声にならないほどの声で呟いた。 女主人が自慢するだけの事はある。化粧はしてなくとも、匂いたつような色香がここまで届く、艶やかな一群だった。 中でもひときわ目立つ女がいた。
 黒髪を豊かにまとい、黒く彫りの深い目で、微かな笑みをたたえながら自分達を見おろしている。はすっぱな感じは微塵もなく、まるでどこかの気品ある女王のようだ。
 男達はこういうのに弱いんだろうな。とアリアは思った。
『だがこの女に勝てるような男はそういないだろう。オリシスなら…』
オリシスを思い浮かべた途端、アリアは胸の傷みを覚えた。
 オリシスが通っているというのは、もしかしたらこの女かもしれない。
 アリアは首を振った。
『だからといって、何がどうというのだ』 
 オリシスはオリシスだ。自分とはその世界とは何の関係もない。
 部屋の扉の取手に手をかけながら後ろを振り向いたアリアは、まだエドアルドが上階を見上げているのを見た。
『しかたない。兄上も男なんだから』
 しかし視線を追うと、エドアルドは先ほどの黒髪の女と無言で見つめあっていた。
 ただエドアルドの表情は女に見とれているという感じではなく、どこか記憶を手繰り寄せているふうであったのがアリアには解せなかった。
「兄上…?」
 アリアの声にエドアルドは気づき、その後は上を見る事も無くそのまま部屋に入っていった。

 あてがわれた部屋は、簡易的なベットと長椅子とテーブルがあるだけの、質素なものだった。
 すこしかび臭いのは窓が無いせいだろう。 毛布はあるが、外で干さなければ使えそうにない。 良く見ると埃がたまっている。
「とりあえず寝られるようにしなくては」
 アリアは荷物を置いて、作り付けのクローゼットの中を点検する。 ぼろ切れなどを取り出して、水差しを持ち上げる。 中身は空だ。
「ちょっと水を貰ってくる」
アリアは詰まれた毛布と水差しとぼろ切れを抱えて部屋を出た 。表通りとは反対の奥まった扉を見つけ、開く。 思った通り中庭に出た。
 中庭といっても使用人の使うものだが、それにしては手入れがよく行き届いている。 木も植わっているし花も咲いている。 一面に敷かれている芝生は初夏の色に染まり、中の雰囲気とはかけ離れた普通の家の中庭だった。
「けっこうやるな」
 アリアのここの女主人に対する賞賛だ。 物干しには女物の下着や、シーツ、カバーなどが風になびいている。
 アリアは空いている場所に毛布をかけ、手で埃をはたく。井戸から水を汲み、ぼろ切れを浸し、おもいっきり絞ると、水差しにも水を入れ、自分達の部屋に戻った。 エドアルドはベットに腰掛けて何かを考えているようだった。 テーブルやクローゼットを拭きながら、アリアは言った。
「さっきの人、知っているのか?」
エドアルドは顔を上げ、肩をすくめた。
「ずっと見ていたじゃないか」
「ああ。 どこかで会ったような気がするんだが、ぜんぜん思い出せない」
エドアルドの答えはアリアに対しての隠し事ではなさそうだった。 オリシスの連れとして記憶があるのでは、とも思ったが、ではなぜあの女はエドアルドを見つめていたのだろうか。 自分達ではなく、エドアルドだけを。
 それは結局声にならず、アリアとエドアルドは店が開くまでの間、少しの仮眠をとった。 ここしばらくろくに寝ていない。 オリシスに会った安堵感のせいか、3時間ほど二人はぐっすり眠った。
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 昼間はけだるい雰囲気のこの店で、アリアもエドアルドも所在なさげにあたりを見回していた。
 一見居酒屋のようだが、二階につながる階段がやけに幅広い。階段の先にも何かありそうだ。
 まだ化粧もしていない女主人がオリシスのとなりから、エドアルド兄妹を品定めするように視線を這わす。
「この柔そうなふたりが…?」
ぼそぼそとオリシスに耳打ちする。
「腕は確かだぜ。なんたっておれと互角なんだからな」
 オリシスは腕組をしながら答える。
 ここはどういう所なんだ、というアリアの問いに、エドアルドがそっと
「たぶん娼館だ」
と言った。
「!」
アリアは声も出ない様子でオリシスと女主人を見た。
「お前さんと互角っていうのは、あの若いのかい? だったらそっちの子どもはどうなのさ」
そういう声が聞こえて、アリアは内心むっとする。
 ここへ来る前、アリアはオリシスに言われたのだ。

「お前の名前を考えなきゃいけないな」
「名前って、何の?」
「男で通す気なら、『アリア』はまずいだろう? 歳だって19にしちゃ髭も生えてないんじゃカッコがつかない」
 言い当てられて、アリアは言葉も出ない。 髭の事など考えもしなかった。
「だいたいお前は童顔だし細身だ。 子供といってもだれも不思議には思わん」
「お主は見た目より老けて見えるからな」
かろうじてそんな事を言うと
「年くって見えるのは男の甲斐性ってもんだ」
などと言い返すオリシスはとてつもなく憎らしく思える。
「じゃあ、私はいったい幾つに見えるというのだ」
「せいぜい14,5歳ってところだな。 声だってかわっちゃいない。 いいところだろう」
 ぐっと答えにつまる。 何も言えないとアリアは思う。
「アリステアなんてどうだ?」
オリシスがニヤニヤしながら言った。
「いやだ。そんな貴族みたいな名前」
アリアがプイとそっぽを向く。
「…貴族みたいったって…。お前、もともと貴族だろう」
あきれ顔でオリシスが呟く。
「アーリアン…」
エドアルドの声にアリアが振り向く。
「アーリアンのほうが間違いが少なくて済むぞ」
エドアルドが笑う。
「うん」
アリアも照れながら頷いた。
「ちぇ。 アリアはエドの言う事なら素直に聞くんだな」
「当たり前だ。ふざけた事しか言わないくせに」
「お前が信用してないだけだろ」
「信用されるようなことをしたら、私だって素直になる」
 とアリアは言うがそれは半分嘘だった。ふざけた事を言ってても、オリシスは信頼出来る。 それはアリアも充分承知している。 素直になれないのはそれが理由ではないからだった。
「じゃ、ま、アーリアンでいこうか」
 オリシスはそう言って、この娼館にやってきたのだ。

「多少腕は落ちるが、こいつもなかなかいける質だぜ。身が軽いから使いっぱでもなんでも使いみちはあるだろう。そこがホレ、お姐さんの腕の見せどころってもんさ。何人もの若いのまとめるなんて、そうそう出来るもんじゃないと思うぜ」
 オリシスの歯の浮くような台詞にまんまと乗ったのか、あるいは仕方無いと思ってはいるものの、他の娘達の手前にもうひとつ口実がほしかったためか、とにかく女主人は渋々ながら承知した。
「まぁいいだろうよ。 使えなかったらその場で追い出すよ」
「もちろん。ま、そんな心配はないと思うがね。こいつらが職と住まいを見つけるまででいいんだ。 そんなに手間は取らせない。おれが保証するよ」
「あんたの保証ってのが一番当てにならないんだよ。こないだのツケ、まだ払って貰ってないよ」
ゼイ肉だらけのウエストに手をあてて片手を差し出す女主人の様子に、エドアルドはぷっと吹きだした。 しかしアリアの方は、オリシスの『ツケ』に気を取られる。 ここの女主人に顔が利くと言う事は、ここの常連ということだ。
 差し出された手を無視して、
「商談成立。お前ら、当分ここで過ごすのも悪くないよな」
オリシスはエドアルド達に向かって言った。
「悪くはない、な」
エドアルドがアリアに同意を求める。
 エドアルドにしてみればなかなかいい場所ではある。人が絶えず訪れ、女がいる限り男が出入りするのは当然だ。よそ者が住み着く事さえ日常的な事だった。たいがいそういう者はここの用心棒として居座っている。その手の者はごろつきがほとんどだが、そういった手合いを嫌う店も有るわけで、ここもそういう数少ないひとつなのであろう。
 問題はアリアだ。アリアにとってはどうだろうか。
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「さすが、というべきか。それくらいはわかって当然というべきか。まあだいたいそんなところだな」
オリシスはもう一度階下を見て、付け加えた。
「オレアルが別室に移ったようだ。 別室に誰がいるか、知っているか?」
知るわけがない。
「ルジーナ家、レンドル家、トリアーノ家…」
名を上げるオリシス。 
「国王派と呼ばれる面々だ。 好戦派とも言う。 王太子派はコーリウス家を筆頭に…」
オリシスの上げる名を、エドアルドもアリアも無言で聞いた。 
「国王派は目先の利益だけしか考えない頭の固い連中だ。 今や戦争をして領土を広げる時代ではない。 外交の重要性をまるきり理解できないから、メルキオ殿下のやり方に不満を持っている。 西の海洋国家を見ろよ、あの国のことはエドアルドもよく知っているだろう。 あの領土と人口で生き残っていられるのは何より経済の安定と他国の情報収集に長けているからだ」
 エドアルドは1,2年に一度の割合で、その国の石弓傭兵として貿易船に乗る。 傭兵といっても自分の荷も積み込み、個人貿易もできる仕組みだが、エドアルドはそうやって現金収入を得ていた。
 オリシスの話ぶりではオリシス自身は王太子派と思える。 だがエドアルドはあえて聞いた。
「ワイナー家とバルツァ家の名が上がっていなかったが」
2家ともエタニアの古い家で、特にバルツァはエタニア一の武門の家柄だ。
「国王派と言いたいところだね。 ただうちの親父もサリエルもどこにも接触はしていないようだ」
「バルツァ家の当主と親しいのか?」
オリシスはエドアルドの問いに応えるのに、一瞬間があいた。
「特別親しいわけではない。 宮廷ぎらいという点では気が合うが」
エドアルドはそれ以上何も聞かなかったが、オリシスが「そろそろ行くか」と席を立っても気が付かなかった。 アリアがオリシスの後を追う
「兄上!」
まだ席にいるエドアルドを振り返ってアリアが呼んだ。エドアルドは腰を上げた。決して軽い腰ではなかったが、立ち上がらなければ何も始まりはしない、そんな足どりで。

「いいのか? そのまま出てきて」
 アリアが先を行くオリシスに言った。
 結局あの店での勘定を払わずに出てきたのだ。 店の者も何も言わずに見送っていたが。
「かまわん。あそこの店主は昔うちの料理人だったんだ。 店の資金も家の親父が出してやったようなもんだからな」
だからといってなにもただ喰いすることはないだろうとアリアは思う。
『それにそうと知っていれば、もっと味わってたべたのに…』
 まったくこの放蕩息子は…。 と心の中で毒づくが、自分達にとって助かっているのは確かだ。
 先に馬を進めるオリシスの後をアリアとエドアルドが追う。
「どこに行くつもりだ?」
アリアが聞いてもオリシスは
「いいからついてこい。しばらくはタニアにいるつもりなんだろう?」
 アリアはエドアルドを見る。
 エドアルドは何か考え事をしてるのか、先ほどから一言も口をきかない。
「あまり目立った行動はしたくないぞ。 私たちは追放されてるんだからな」
しかたなしにアリアが答える。
「くだらんこと気にするな」
「くだらんこととはなんだ」
「おれ達を見てだれが貴族と思う? どこをどう見たって薄ぎたない放浪者だろ。幸いお前達は何年もタニアには現れてはいない。 素性などばれようがない」
オリシスの言う事ももっともだが、
「薄ぎたないのはお主だけだ。私たちはただの旅人と言ってくれ」
とアリアは言う。
「似たようなもんだろうが」
「……お主、一度自分の姿をキチンと把握した方がいいぞ」
アリアはため息まじりに首を振った。
そこへ、エドアルドが口を開いた。
「オリシス。宿を探してくれ。 あまり金がかからず干渉されにくいところがいい」
 エドアルドの要望は当たり前のものであったが、あまり理にかなっているとはいいがたかった。 宿泊代の安いところはたいてい小さな宿であり、宿は小さければ小さいほど好奇の目がはびこっている。 しかしオリシスは小さく笑って言った。
「そこに今から行こうと思ってたんだ。 ま、多少の難はあるがな」
オリシスの多少はあてにならない。 どちらかというと多の方が圧倒的に多いのだ。
 不審な目を向けるアリア。 しかし、今はそれに従うしかなかった。

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