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夢のはざま

鏡女王の物語【水鏡】連載中です。

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もっと早く終らせるはずだった「夢のはざま」。思いのほかダラダラと長引いてしまいました。
最後まで読んで下さった皆様、お疲れ様でした。
そしてありがとうございました。

この物語は直木三十五の「南国太平記」及びそのテレビドラマ「風の隼人」を元に、時代と場所を中世ヨーロッパ(ハンガリー帝国あたり)に移して創作したものです。

原作読んだ方、またドラマを観た方は「全然違うやん」と思われるかもしれません。

ここで原作を登場人物を通して紹介したいと思います。

原作は仙波小太郎(エドアルド)が主人公です。
あ、いえ、この「夢のはざま」も当初はエドが主人公のつもりだったんですけど。



エドアルド …  仙波小太郎(せんばこたろう) [勝野洋]

薩摩藩の軽輩。剣の達人。呪詛の証拠を藩主島津斉興なりおき(オルギウスⅢ世)に進言するが、逆に薩摩藩を追放されてしまう仙波一家。原作ではまだ父も母も生きています。
尊敬する島津斉彬なりあきら(メルキオ)の子を次々と呪詛する牧仲太郎まき なかたろう(ラースロー)を打つべく、父八郎太(エルネスト)と共に一派を追います。比叡山にて牧を追いつめるも父八郎太はあえなく惨死。小太郎は深傷を負いながらも逃げ延びる。
本編ではエドアルドとラースローは一度も顔を合わせたことはありませんが、原作では呪詛を行う牧とその息子、百城月丸ももきつきまる(ラースロー兼任)からの果たし合いに応じたりしています。 
最終的には、呪詛でやつれきった牧(ラースロー)を追い、討ち取るのですが、時すでに遅し、斉彬(メルキオ)は呪詛の影響を受け死亡してしまいます。
薩摩は斉彬の死で一端は時代を逆行します。この軽輩たちの鬱憤がのちの倒幕につながるわけです。
これからは経済力だと悟った小太郎(エド)は侍を捨て、金を儲けて倒幕派に資金提供するため商人への道に進むことを決意するのです。


アリア … 仙波綱手せんばつなで[夏目雅子]

小太郎(エドアルド)のすぐ下の妹。小太郎の幼なじみで隣家に住む益満休之助(オリシス)に好意を抱いていたのですが、仙波一家が薩摩藩江戸中屋敷を追放されたあと、お由羅(ティスナ)一派の調所笑左右衛門ずしょ しょうざえもんの動きを探るべく大阪蔵屋敷に潜入。そこで百城月丸(ラースロー)と出会います。
月丸(ラースロー)が父の敵の牧(ラースロー兼任)の息子とは知らず深い仲に。月丸の正体を知った後、苦悩するのですが、月丸と小太郎(エド)の果たし合いに割り込み、月丸の刃にかかって死亡。
取り乱してふたりの果たし合いを止める姿を小太郎に「武家の娘がふしだらな」と侮蔑されたり、何かとかわいそうな薄幸美人です。アリアとはまったく性格が異なりますね。アリアの過去の不幸な出来事はまったくの創作です。
ドラマでは月丸と駆け落ちするのですが、益満(オリシス)に誤って切られ、やっぱり死んでしまいます。物語はドラマの方をとりました。


オリシス … 益満休之助ますみつ きゅうのすけ[西田敏行] 

薩摩藩の軽輩。小太郎(エド)の友人。才気と豪気と男気はあるのですが、何をすべきなのか本人もよくわからなかったようです。初めは陰謀に巻き込まれた仙波一家を助け奔走しますが、後に倒幕に目覚め、斉彬の理想を実現すべく行動していきます。実在の人物で隠密的な役割をしていたようです。
原作では綱手(アリア)を妹のように思っていただけ。彼は死にません。
ドラマでは初めから隠密として働いています。西田敏行が益満を演じていたのですが、当時は結構二枚目。今で言えばTOKIOの山口くん的な雰囲気です。オリシスのイメージはもっと細めなんですが…。


ラースロー … 百城月丸ももきつきまる牧 仲太郎まき なかたろう[板東八十助(現在の三津五郎)]

呪詛・調伏を行う薩摩藩の兵道家の父牧仲太郎、その息子が百城月丸。ラースローはこのふたりを一緒にしてしまいました。
牧はこのまま自らが習得した兵道を世に知らしめることなく消滅させたくはないと、お由羅(ティスナ)の依頼を受けるのです。
月丸はラースローと違って、エドに勝るとも劣らない剣の達人です。
綱手(アリア)に近づいたのは情報を得るためだけでなく、惹かれてもいたせいもあるのですが、綱手(アリア)を欺していることに良心の呵責を感じながらも「妻は夫に従うものだ。わかってくれるに決まってる」などと男の身勝手さ丸出し。
綱手を失った月丸はその後、綱手の妹、深雪(ラティア)によって仇討ちされます。
ドラマでは先ほども言ったとおり綱手と駆け落ちし、生活のために辻斬りまでしちゃいます。どちらにしてもいい終わり方をしない人物です。


ラティア … 仙波深雪せんばみゆき[名取裕子]

小太郎(エド)、綱手(アリア)の妹。ラティアはアカの他人ですが、原作は実の妹です。深雪はお由羅(ティスナ)の屋敷に女中として入り込み、隙あらばお由羅と差し違える覚悟を強いられます。が、奥女中はイジメの巣。優しくかばってくれるお由羅に悪い印象を持てず、深雪は苦悩するのです。
が、そこは武家の娘。刃を向けられたお由羅が取り乱すのを見て、「町人上がりが見苦しい!」と簡単に思慕の念を捨て去ってしまうあたり、小太郎そっくりです。
自分を慕ってくれる江戸のスリ、庄吉(シモーナ)と共に月丸を追い、綱手の仇をとる気丈な女性です。


シモーナ … 庄吉[細川俊之]

物語はオリシスに仕える隠密ですが、原作は男性で江戸のスリ。原作は庄吉(シモーナ)が小太郎(エド)の印籠を擦るところから始まります。で、小太郎に手首おられて恨みを持ち、その後嫌がらせをしたりするのですが、小太郎の妹深雪(ラティア)にひと目惚れ。身分違いでしかも片思い。それでも深雪の為なら命もいらないとばかりに、仙波一家を助けます。
実際、調所の密貿易の証書を盗みに入り片腕を切られたり、月丸を討ちに行くとき、ホントに死ぬほどのケガをしたりします。
終いには深雪(ラティア)も庄吉を憎からず思うようになり、身分違いも小太郎が侍を辞めてしまったおかげで、二人はどうにかなるんじゃないでしょうか。そこまでは描かれてませんけど。
ドラマの庄吉は、眼光鋭い元岡っ引き。良い味だしてます。


ティスナ … お由羅[南田洋子]

薩摩藩主、島津斉興の側室。もと江戸の大工の娘。自分の産んだ久光(キアヌ)を藩主にしようと、嫡男斉彬の子を次々に呪詛調伏させてしまいます。
もともと薩摩は、斉彬の革新的なところを快く思わない重臣達が多く、保守派と革新派におおきく別れていたところを、お由羅に利用されるわけです。
ティスナのように、悲惨な過去があったわけではありません。久光キアヌと違って結構年いってます。兄斉彬思いのいい弟で、兄の意志を継いで藩主になります。
この物語と違って、このお家騒動で破れるのは斉彬(メルキオ)の方なのです。

そのほか、小太郎の父、母。小唄の師匠富士春、お由羅の兄の小藤次、噺家の南玉師匠など、魅力的な人物が多彩。
機会がありましたら、是非原作「南国太平記」も読んでみてください。

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泣く声が聞こえた。
「先生、起きあがっては」
「かまわん」
 老人はベットから起き上がり、弟子の手を借りながら、寝室に続いている小さな部屋の椅子に腰掛けた。
 老人の髪は白く腰まで伸びている。口も白い髭で覆われており、額にも頬にも手にも深い皺が刻まれていた。
「ここにもうじき母親につれられて少女がくるだろう。その子はわたしが診よう」
 老人の言葉に弟子達はいまだ信じられない思いをする。確かめに行った弟子が首を振る。遠くにその姿はまだ見えないというのに。 病に冒されてはいても老人はまだ彼らにとって師であった。

 老師の言葉通り、少女の手を引いた母親が小屋を訪ねてきた。
 少女だけが老師の部屋に入り、弟子が椅子に座らせた。老師とすぐ向かいあった位置であった。
 老師は弟子さえも下がらせ、うつむいて涙をこぼす少女をしばらく見ていた。
「なぜ泣いている」
 目にいっぱいの涙を浮かべた少女に老人は言った。
 少女の母親は、ここ一年間、寝てもさめても涙を流し続ける娘を心配していた。泣いている理由を訪ねても娘はただ首を振るばかりであった。病気ではないかといろんな医者に見せたが、原因はさっぱりわからなかった。
 母親は迷ったあげく、町の外れの森の入り口にあるこの小屋を訪ねたのだ。
 万病を治すと噂される老師がいて、数人の弟子たちが薬草を調合したり、怪我や病気を診たりしている。噂が噂を呼んで、遠くから訪れるものも少なくない。だがここに来るもの達は、最後の藁にしがみつくためにやってくるのがほとんどだった。それ以外はあまり近づきたくない場所だと言ってもいい。
 少女は涙を流し、唇を引き締めていたが、ぽつりと喋った。
「悲しいの」
「なにが悲しい」
「そばにいないから」
「誰がそばにいない」
 少女は首を振った。
「ふたりの人。でも、捜しているのに、どこにも居ないの」
うつ向いてしゃくりあげる少女に、老師は優しく微笑みかけた。
「泣かないでもいい。大丈夫だ」
「でもあたし、会いたいの。会わなきゃいけないの」
「なぜだね」
「会って謝らなきゃ。あたし、あたし…」
 少女は泣きじゃくった。老師は少女の髪を一筋撫でた。
「大丈夫。そんなふうに思わなくてもいい。謝る事などなにもない」
 撫でられた髪に伝わる温かさ。少女は涙に濡れた瞳を上げた。
「…ラ…ス?」
 やさしい穏やかな瞳が少女を包んだ。
「ラースロー?」
 老師は何も言わず微笑んでいる。
「…ごめんなさい。ごめんなさい。ごめん…」
 少女が椅子から立ち上がって老師の首にしがみついた。
「あなたを、…ひとりにしてごめんなさい」
 老師は少女の背中に手を廻し、やさしく撫でた。
「さみしくはなかった。本当だ。だから今、こんなにも穏やかだ。おまえがわたしに謝る理由は、何もない。むしろ、わたしのほうがおまえに謝らなければ」
 少女を椅子に座らせて、向かい合った。
「おまえのその思いはもう必要のないものだ。もう忘れていい。わたしが植え付けてしまったのだ。だから取り除こう。もう、泣かなくていいのだよ」
 老師が少女の額に軽く手を触れた。
「もうひとりのことは心配ない。もうじき会える。おまえはそういう星を持って生まれてきたのだ。今度は諦めるな。自分の好きなように生きるのだ」
 老師は少女の額から手を離した。
「だが、おまえにはまだもっと学ぶべきことがたくさんある。出会うためには初めから学ぶ必要がある。その小さな体におまえの過去は大きすぎるのだ。 もうひとりとの出会いまで、おまえの過去を封じよう。心配するな。必ず会える」

 母親の手に引かれて、夕暮れの中を帰っていく少女。
「先生。お休みなってください」
 弟子達がテラスの老師を支えた。
「いや、ここでいい。ひとりにしてくれないか」
 揺り椅子に腰掛けて、老師は赤く染まる森の空を見た。
 血に染まったアリアを抱きかかえ、自分の命を終わらせようと思ったのも、こんな美しい晩秋の夕暮れだった。 
 アリアを側に横たえ、湖の畔で己の剣を喉元に突きつけた時、遠く赤ん坊の泣く声が聞こえた。
 草をかき分けると、ぼろ切れにくるまれた赤ん坊が、声のある限り泣いており、そばには母親らしき女が倒れていた。女の息はなかった。
 ラースローは赤ん坊を抱き上げた。
「アリア…」
 おまえは、それでもわたしに生きろと言うのか。
 赤ん坊を抱いて、ラースローは咽び泣いた。
 あれからもうどのくらい自分が生きているのか覚えていない。放浪し、拾った子供は数しれない。 傷ついた子を癒し、子供らを養うため、貧しい村に薬を与えていくうちに診療所のようなものが出来た。成長した彼らに自分の持っている知識を教え与えた。幾人もの子供達がここから巣立ち、教わった知識で各々の生活を営んでいる。
「アリア…。わたしが今まで生きてきたのは、おまえに再び会うためだったのだな。こうやっておまえを救うために、わたしが生きてきた意味があったのだな…」
 ラースローは懐から包みを取り出して、開けた。
 ぱさついた赤い髪がこぼれた。
「いや、救われたのは、やはりわたしの方か」

───どんな時も、どんな時代でも必ずそばにいてくれる者が現れる。お主を愛し、必要とする相手が現れる。だから決して自分を卑下するな。今は私が保証してやる───

「別れだ、アリア」
 ラースローは微笑み、そして両手を上げて赤い髪を風に放した。
 風が髪を舞上げる。乾いた赤い髪は夕陽に照らされて、燃えるような輝きを辺りに振りまいていた。舞い上がり、揺らめき、風に乗ってどこまでも。
 上げていた手は力なく垂れ下がり、そしてそのまま二度と動かなかった。

「どうしたの」
 後ろを振り返った娘に母親が言った。少女はしばらく立ち止まって小屋の方向を見ていたが、やがて
「ううん…」
 と歩きだした。
 少女のほほに涙が知らないうちにこぼれ落ちた。母親に気付かれないようにうつ向く。
 ついさっきまで、自分はとても悲しかった。どうしようもなく寂しかった。なぜなのかわからない。今は悲しくともなんともないのに。それなのに涙が出る。
 とても悲しかった事だけはどこかで覚えている。きっとそれを思い出せないのが切なくて泣けてくるのだ。まるで、鮮やかに見た夢を忘れてしまった時のように。
 この切なさも、きっと明日の朝には忘れてしまうのだろう。
 だから今はこのまま涙を流そう。忘れ去った悲しみのために。

  夢のはざま 完





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「もうじき出港です」
 若い船員がエドアルドに声をかけた。
「気をつけて行きたまえ」
 サリエルがエドアルドに右手を差しだした。
「船長の腕が頼りですね。でも、海賊には負けません。傭兵の経験は伊達ではありませんから」
 笑ってエドアルドはサリエルの手を握った。
「世話になりました」
 バルツァ家に半年近く滞在していた。そして今、バルツァ家の貿易船に乗ってエタニアを出ようとしている。季節風がエドアルドを外の国に導いてくれるだろう。
「春にまた」
「ええ、春に」
 エドアルドの傍らにラティアがいた。
「ラティア」
 キアヌがラティアの手をとった。バルツァ家の暮らしにすっかり慣れ、他の子供達とも打ち解けたキアヌは、キア・ヌィとして新しい人生を歩み始めている。どんな人生を迎えるかは、キア・ヌィが決める事だ。
「元気で暮らすのよ」
 ラティアはキア・ヌィの頬にキスをした。
「ラティアも」
 エドアルドとラティアは船に乗り込み、甲板に立って、なだらかな丘に広がる白い家並みを眺めた。美しい港であった。
 自分の隣にラティアがいるように、アリアのそばにラースローがいるのだろうか。
 エドアルドはラティアの肩を抱き寄せた。
 出会う立場がほんの少し違ったら、違う関係になりえたかもしれない男のことをエドアルドは思った。アリアもオリシスも、みな笑って語り会えたかもしれない。
 いや、いつかまた会える。その時は笑って過ごそう。未来だけを見て、過去を捨てて。
 船がゆっくりと岸を離れた。
「さようならぁ」
 岸壁でキア・ヌィが手を振っていた。
「おーい、元気でなー」
 エドアルドもラティアも手を振った。
 サリエルが手を振る。皆が手を振る。
 船は海を滑り出し、次第に岸が小さくなった。
 また帰ってくる。春に、花の咲く頃。
「おーい」
「おーい…」
 港が見えなくなるまで、船が見えなくなるまで、彼らは手を振り続けた。

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 居酒屋でオリシスはカウンターの椅子に腰掛け、強いアルコールを一気にあおった。
「店主。酒だ」
 空になった杯を突き出す。もう相当に酔っていた。
 メルキオの国王戴冠一週年の式典があった。それを機に宮仕えを辞する許しを請うたのだが、国内の早急な立て直し、不穏な動きのあるトルキット族や隣国への諜報等、やらねばならない事は山ほどある。腹心ともいえるオリシスをメルキオが手放すわけがなかった。
 それはオリシス自身もよくわかっていた。だが願わずにはいられなかったのだ。アリアを巻き込み、殺してしまった原因の王位交替劇の宮廷に、己が生きてその地位を授かる事の滑稽さから逃れる事を。辞めてどうするかはわからなかった。また諸国をさまよい、のたれ死にするのも悪くはない。たったひとつ、手にいれたいものを自ら失って、それでどうして生きろと言えるのだ。
 だが、やはり自分は生きて行くのだろう。だからやりきれなく、酒を飲んでいるのだ。
 オリシスはまた杯を空けた。
 出仕帰りのオリシスは、きちんと髭を剃り、金銀のついた騎士の衣を着、立派なマントを羽織っている。以前の姿ならともかく、上級騎士の身なりのオリシスは、この下町の居酒屋ではかなり目立っていた。しかも泥酔している。他の客達は遠巻きにオリシスをちらり、ちらりと見やっていた。
 オリシスは席を立ち、店主に金貨を2枚渡した。
「旦那、釣りを」
 その言葉が聞こえなかったのか、または無視したのか、オリシスはふらついた足どりで店を出た。 狭い路地を、どこに行くでもなくただ進む。自分の足が思うように動かないことの意識はあった。
ガタついた石畳につまづいて、膝を強く打った。酔っているせいで幸い痛みは感じない。
「手を貸しましょうか」
 背後から声がした。
 オリシスはふと笑った。
『おれとしたことが、背後をとられるとは』
 だが聞き覚えのある声だった。振り向いて顔をあげ、目を細める。薄暗くてよく見えない。相手が腰を屈めてオリシスに近づいた。
「ああ、あんたか」
 娼館のカウンターの男、異人さんだった。差し出された手につかまる。
「ずいぶんと酔ってらっしゃるようですね。あなたらしくもない」
「ああ、そうだな」
 と答えかけて、オリシスは異人さん事、リュージャを見た。この男の前では今までぐうたらな風来坊の役を演じていたはずだ。この酔った姿はあの時を知っている者にとってはめずらしくもない。
 オリシスの酔いは冷めた。だが体は言う事をきかない。引っ張り上げられた体は勢いで、リュージャの方へ踏み込んでいた。しかも預けているのは右手だ。これこそオリシスらしくない失態だった。
 手を引き抜こうとしたが、もはや遅すぎた。リュージャの左手は、オリシスの右手を更に強く引き寄せ、右手に握った短剣をオリシスの腹部に深く突き刺していた。
「…く…っ」
 満身の力を込めて、オリシスはリュージャを蹴り飛ばした。よろめきながら腰の大剣の柄を探る。
 剣はなかった。
 リュージャが離れる瞬間抜き取ったのだ。あるのは腹に刺さった短剣のみ。
 抜いたとたん、血が吹きだした。
 リュージャは大剣の先をツッとオリシスの前に突きだした。
「貴様…、何者だ」
 前かがみになってオリシスはリュージャを睨みつけた。が、失われていく血で目がかすむ。
「ただの異人です。ですが私の事はどうでもいい」
 リュージャの声は冷静だった。
「なぜ…。初めから、知っていたのか」
「いいえ。あの店にいたとき、私はあなたが好きでした。あなたもエドアルドもアーリアンも」
 そういうリュージャの顔はやさしく微笑んでいた。あの少しもの悲しげな笑みであった。
「ティスイ…ティスナの処刑の時、あなたは国王メルキオの後ろの柱の影にいましたね」
 それで全てを知ったのだとリュージャが言った。
 ティスナの目が自分に向けられた。しばらく見つめあった。
 なぜ? どうして。幸せになるはずだったのに。来年、ジャカランタの花が咲く頃…。
『私は幸せだったわ。あの頃、あなたと過ごした日々が私の全てだった』
 ティスナの一瞬の微笑みが、歌った歌がそう語っていた。
「おれを殺すのか…」
「ええ」
 静かな殺意がリュージャにあった。
 そう、それもいいだろう。アリアを討った己の剣で自分も死ぬ。
 リュージャが構えた大剣は、そのままオリシスの胸を深くつらぬいた。
「ティスイは確かに悪業を行った。処刑は当然の報いだったのでしょう。でも…」
 リュージャは剣から静かに手を離した。
「私は、それでも彼女に生きていてもらいたかった」
 リュージャの目に涙を見たような気がした。
 オリシスは石畳に崩れ落ちた。足を投げ出して、壁によりかかる。遠ざかる足音が耳に残った。
 背後を取られたと思ったのは、あれは初めから正しかったのだ。知り合いならば、あんな声のかけ方はしない。たぶん酒場あたりからつけられていたのだろう。油断した。
 そしてオリシスはまた笑った。油断したと思うのは、まだ生きたいと思ったからだろうか。こんな自分にまだ生きたいという意志が残っていたのだろうか。
 笑った途端に血を多量に吐きだした。
 大剣は心臓をわずかにそれたようだ。だがこの出血では、もう保ちはしない。いや、その前に窒息か…。
 吐いた血がのどの辺りで固まり始めている。吐き出す気力ももはやなかった。
 息が苦しい。
 空を見上げる。少し気道が広がり、空気が流れる。それもほんのひとときのことだろう。
「アリア…」
 とうとう触れる事ができなかった。アリアの髪や、頬や、肩や手を、ただの一度も。
 あれは幻だったのだろうか。本当にアリアはこの世に存在していたのだろうか。
 現実は人間に、なんと酷い夢を見させるのだろう。アリアの存在を確かめることが出来たのが、あの一撃だったとは…。
 路地に並んだ屋根屋根から夜の空が見えた。
 星はなかったが、月は屋根に半分だけ顔を出していた。
 目がかすむ。だがこの月を、この場で一番美しいものを、しっかり見ておきたかった。

 完全に昇った月が、青白くオリシスを照らしていた。

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「やめろよ、ラースロー、オリシス!」
 アリアは二人に呼びかける。腕にしても体力にしてもオリシスの方が数倍も上だ。ラースローの剣は、アリアの足下にも及ばない未熟さだ。ラースローがじりじりと下がっているのがアリアにもわかった。
 なぜこんなことになってしまうのか。ラースローとオリシスがなぜ自分の前で戦うのだ。アリアは、二人が草をかき分ける音、剣を払う音、激しい呼吸、これらを聞きながら自問した。
 これは運命なのか。

『運命の輪はね、過去も未来も同じ運命をたどるという意味よ』
 ラティアはそう言った。

『おまえは誰かと出会うべくこの世に生まれてきた。そういう宿命を背負っている』
 ラースローはそう言った。
 それを運命というなら、出会うべき相手はまちがいなくオリシスだった。オリシスにまた出会えたことが運命だった。
 しかしそれだけでないとしたら? 出会った事だけで終わりではないとしたら? 
『思い出せ。いつもどうだった? どんな終末を迎えた?』
 ガッとラースローの剣がはじき飛ばされる音がした。ラースローの神経が張りつめられるのを、アリアは感じた。ラースローはあの術をオリシスにかける気なのだ。
『おれが先に死んだんだ。死にはしないと約束したのに』 
 オリシスは確かにそう言った。
 オリシスが剣を振り上げて、ラースローめがけて走りだしたのが見えた様な気がした。
『ラースロー、やめろ!』

 オリシスが振り下ろした剣の先に、赤い髪を振り乱したアリアの姿があった。
「…アリア…」
 オリシスの手に、相手をしとめた重い手ごたえがあった。
 飛び散った赤い髪が風に舞い、アリアはそのままのけぞった。ふわりとドレスの裾が舞ったが、地に崩れ落ちた時には、もう微動だにになかった。
「アリア─────っ」
 ラースローがアリアを抱き起こした。呼んでも揺さぶっても、アリアは動かなかった。

「貴様が殺したんだぞ」
 アリアを抱きかかえたラースローが、低く押し殺した声を発した。
 かつてはここ、エタニアいちの美男子と謡われ、魔の手を持つ者として王宮さえも震撼させたこの男が、今や何という変わりようだろう。
 不精髭を生やし、衣の裾は破け、何日も着替えていないのか、衿や袖に垢がこびりついていた。あわい栗色の髪は艶を失くし、無造作に束ねられている。しかし目だけは驚愕と怒りと悲しみの混じった光を宿し、真っ直ぐにこちらに向けていた。
 これがラースローの慣れの果てか…。
 と、オリシスは思った。
 手に持つ剣は今もまだオリシスの両手に握られ、血を含んだ分よりもずっと重く感じられた。
 その血は本来ならラースローのものであるはずだったのに…。いや、あるいは初めから、剣を手にした時からこうなる事を願ったのだろうか。
「…貴様が…、アリアを」
 顔を歪め、微動だにしないアリアを抱く手に更に力を込め、ラースローが声にならぬ程低く言った。

 そう、自分が殺したのだ。親友の妹を。親友が仇としたこのラースローの恋人を。そして己が最も………。

 いつから、何が狂ってしまったのだ。

「わたしも殺すがいい」
 ラースローはアリアを抱きかかえ、オリシスを睨んだ。灰味がかったラースローの瞳が赤く見えた。
「殺せっ!」
 オリシスは大きく息を吸い込んで、そしてラースローを睨み返した。
「殺すものか、貴様など」
「なにぃ?」
「アリアと一緒に死ねる幸福など、貴様にくれてやるものかと言ったのだ」
 オリシスは自嘲気味に笑った。この男の姿は、本来あるべき自分の姿ではないのかと。どこかでこの男と自分の人生が入れ違ってしまったのではないか。あるいは、自分の記憶にある前世はこの男のもので、自分は何か勘違いしているのではないか、と。
 その証拠にアリアをこの手で殺したというのに、なんの感情もわいてこない。それともアリアを切ったときに、己の心も真二つに切ってしまったのか…。
「アリアのいない悲しみを、貴様は一生抱き続ければいい。死ぬまで苦しめばいいのだ」
 さらにオリシスは言った。この哀れな男にこれ以上ないつらい事実を突きつけて、オリシスは歩き出した。

 ラースローは哀れではあるが、自分よりははるかに幸せに思えた。短い間であったにせよ、アリアと出会い、愛し合えたのだ。それに引き替え自分はどうだ。あいつに会うためだけにこの世に生まれてきたというのに、この手でその生を終わらせてしまうとは、何という皮肉だ。
 来世で会おうとアリアは言った。だが、こんな自分をあいつは迎え入れてくれるだろうか。
 涙がオリシスのほほをつたった。

 一生苦しめばいい。

 あれは、ラースローが自分に言った言葉だったかもしれぬ。
 森の暗闇の中へ、オリシスは歩き進んで行った。まるで自分の存在を消し去るかのように。

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